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ひとりで踏ん張る強さから、頼る強さへ:ひとりで抱え込んでしまうあなたへ

「仕事や人間関係で心が折れそうになったことはありますか?」
「ひとりで抱え込みすぎていませんか?」

私自身、2024年に職場での出来事がきっかけで適応障害を経験しました。この文章では、その発症から回復までの過程を正直に綴っています。もし同じように悩んでいる方がいたら、少しでも力になれたら嬉しいです。

突然すぎる出来事

地獄の1on1で心が壊れた日

2024年10月のある木曜日。
その日、上司との1on1で私は徹底的に全否定され、人格を攻撃される言葉を浴びせられました。話を聞いてもらうどころか、すべての言葉を曲解され、1時間にわたって地獄のような時間を過ごしました。

帰り道は、怒りが湧き上がっていました。「人としてどうなんだ」と上司を批判したい気持ちでいっぱいでした。それでも、自分の気分をなんとか立て直そうと、お気に入りの文房具屋さんを見に行ったり、マッサージを予約したりしてみました。その時は、「これで明日は大丈夫」と自分を励まし、甘く考えていたのです。

残念ながら、その気持ちは翌日、あっさり崩れ去ることになります。

涙の早退と、出口のない迷路

翌日の金曜日、なんとか出社しましたが、上司の存在に対する不安と恐怖が身体にまで影響を及ぼし、動悸と手の震えが止まりませんでした。仕事に集中するどころか、何も手につかず、結局2時間も経たないうちに泣きながら早退しました。帰宅しても症状は収まらず、「これからどうしたらいいんだろう」と絶望感に押しつぶされていました。

週末は、「この先」についてひたすら悩む時間でした。とりあえずメンタルクリニックを受診しようと思い、近くのクリニックをいくつか調べました。しかし、調べ始めたのは日曜日だったため、休診しているところばかりでした。なんとかオンラインで予約できるクリニックもありましたが、最短で5日後しか予約が取れませんでした。

そして、同時に「休職」についても調べ始め、診断書が必要であることや、休職中は傷病手当金が支給されることを知りました。慣れない日本の制度を理解するのは簡単ではありませんでしたが、「自分でなんとかしなきゃ」と思う一心で、ChatGPTも駆使しながら必要条件や計算方法など、いろんなパターンについて質問していました。

小さな光と、新しい葛藤

月曜日、体調不良を理由に会社を休むと連絡を入れました。そして、受診できるクリニックを探し、運よくその日の夕方に予約が取れました。
問診票をひと通り記入して、最後の欄には「聞いておきたいことを書いてください」とありましたが、私はただ「今後どうすればいいですか?」と書くだけで精一杯でした。それほど途方に暮れ、不安でいっぱいだったのです。

診察では、職場ではないにもかかわらず、不安症状である動悸と手の震えが止まりませんでした。そんな状態の私を、先生が急かすことなく話を聞いてくださり、「適応障害の診断書を書くから、それを持って人事と相談するといい」と教えてくれました。このアドバイスのおかげで、少しだけ光が差し込んだ気がしました。症状を抑える薬も出していただいて、当日から飲むようになりました。

正直、初診で診断書が出ない可能性もあるとネットに書いてあったので、ほっとした部分もあります。しかし一方で、自分が「適応障害」と診断されたことで、自分が「心が弱い」人間なんじゃないか、あるいは周りにそう思われるんじゃないかと、別の心配が浮かんでいました。

それでも、ほかに現状を打開する方法は思いつかないので、翌日診断書を手に人事に連絡しました。事情を説明したところ、まずは1週間のお休みを認めてもらえました。
そして翌週に上司の上司と話す場が設けられ、異動の提案をいただきました。私も、辞めずに残るなら「それしかない」と思い、提案を受け入れた上で、異動のタイミングとそれまでの過ごし方について協議しました。

パニック発作で気づく事の重大さ

その結果、11月は最低限の業務に絞りながら休養に集中することを決めました。例の上司と完全に距離を置くため、週2日の在宅勤務で自分の作業やメンバーからの相談にのみ対応しました。

それでも、実は一度、後輩からの相談で、その上司も参加する会議に一緒出てほしいと頼まれたことがありました。
最低限の在宅勤務になってから2週間の頃、上司との接触が一切なかったおかげで、不安症状もだいぶ落ち着いてきました。それですっかり油断してしまったのですが、いざ「当人と同じ時間を過ごすかもしれない」「会話を交わすことがあるかもしれない」となったとたん、まだ会議の開催が確定していないにもかかわらず、自宅にいながらパニック発作が起きてしまいました

従来の動悸や手の震えに加え、過呼吸にもなりながら、涙もいきなり溢れ出して止まりませんでした。一瞬でこんな状態になってしまった自分に驚きました。そして、「私は大丈夫ではなかった」とあらためて認識して、後輩に「会議は別々にしてほしい」と伝えました。

それからは、同じ会議には一切参加しないというルールも徹底するようにしました。

回復、そして復帰に向けて

この件を除き、11月中は心と身体を回復させる大切な時間でした。勤務しない日は家でのんびりしたり、ずっと行ってみたかったカフェに出かけたりしていました。まれにですが、気分転換も兼ねて、重い腰をあげて遠出する日も作るようにしました。

そして12月、久々に出社しました。最初は、上司と同じ空間にいることに耐えられるか不安でしたが、同僚たちが笑顔で迎えてくれたことに救われました。例の上司とすれ違うときは無視を徹底し、自分を守ることを優先しました。そのうちに少しずつ平穏を取り戻すことができました。


振り返って思ったこと

知らないことだらけの不安、支えられて乗り越えた日々

日本という外国で暮らしている私にとって、メンタルクリニックの探し方や休職の手続きといったことは、全くの未知の領域でした。誰に相談すればいいのかもわからず、会社がどのように対応してくれるのかも不安で仕方なかったのです。自分が「知らない」ということ自体が、恐怖をさらに増幅させていたように思います。

幸い、人事や上司の上司は適切に対応してくれましたし、同僚たちからの優しい言葉も、心の拠り所になりました。「大丈夫だよ」「無理しないでね」といった何気ない一言が、どれほど心強かったか。自分一人では到底抱えきれなかった重さを、少しずつ周りの人たちが分け合ってくれたことで、なんとか前に進むことができたのです。

特に心の支えとなったのは、高校時代からの友人でした。知り合って16年になり、同じように海外で奮闘している彼にだけは、弱った姿を見せることができました。「きっと大丈夫だから」「思ってること全部吐き出していいよ」と言ってくれたときの安心感は、今でも鮮明に覚えています。心細さに押しつぶされそうだった私にとって、その言葉はどんな薬よりも力強いものでした。この文章を彼が読むことはないかもしれませんが、ここで改めて感謝の気持ちを伝えたいです。

弱さを認め、頼る強さを知る

今回の出来事で、ひとつ気づいたことがあります。一人で踏ん張る強さはもちろん大切ですが、それ以上に「自分の弱さや限界を認めて、周りを頼る強さ」も必要だということです。以前の私は、弱みを見せることが怖くて、自分だけでなんとかしようと頑張りすぎてしまうところがありました。でも、人に頼ることで、状況が劇的に変わることを身をもって知りました。

周囲の支えのおかげで乗り越えられた今回の経験は、「一人で頑張らなくてもいい」と教えてくれる大きな転機でした。今では、自分を責めるのではなく、困ったときには「助けて」と言える自分でいたいと思っています。

苦難を越えて見えた希望

あの辛い日々を振り返ると、自分の限界を知ることができたのと同時に、人の温かさに改めて気づけた貴重な出来事だったように思います。これからも困難に直面することがあるでしょう。でも、その先には必ず希望があると信じています。そして、その希望に向かう道の途中で、周囲に頼ることを恐れず、支えてくれた人たちへの感謝を胸に、新しい挑戦を続けていきたいと思います。

もし、同じように一人で悩みを抱えている方がいたら、「ここまでよくぞ頑張りました」とお伝えしたい。その上で、「それでも現状が改善されないのならば、次の一歩として、ぜひ誰かを頼る勇気を持ってみてください」と。それがきっと、未来に繋がる一歩となるはずです。

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