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早朝ウオーキングが人生を変えた:腸活と腸内環境の解説(4)

ブラックフライデーで感動の再会


すでに恒例となりつつある「ブラックフライデーで私が買ったもの」ですが、昨日の買い物でついにトータル1万円を超えました。

1日の料金は数千円でも、今年は「小分け買い」と決めたので大台突破は時間の問題でした。
ちなみに昨日はこれをポチリました。

私の主食は豚肉ですが、それと交互して冷凍食品をよく食べます。

・冷凍チャーハン
・冷凍チキンピラフ
・冷凍ドライカレー

ここに「こくうまキムチ」を乗せればコスパ最高の極上な一品食品の出来上がりです。
しかしある日を境に、「ドライカレー」がスーパーから消えていた。
磐石なローテーションを組んでいただけにドライカレーに勝る食品には現在も出会えていませんが、ここにきて感動の再会です。
ただし、通販では初の「冷凍」なのでちゃんと家に届くのか、注意深く見守りたいと思います。

私の考える腸活具体策3:適度な運動

「運動」という単語を目にすると、決まって拒否反応を起こす人がいます。その理由としていつも挙がるのが、

・疲れる
・めんどくさい
・時間がない
・寒くて、暑くてやる気が出ない、など

これは体調を崩す前の、健康なときの私がしていた「言い訳」そのものですが、運動をしない多くの人も同じような理由だと思います。
でも考えてみたら、

・疲れていても「ご飯」は食べるよね?
・めんどくさくても「トイレ」は行くよね?
・時間がなくても「歯を磨く」よね?
・寒かろうが暑かろうが早く起きて「仕事」に行くよね?

なのになぜ運動だけできないの?

運動というとアスリートの「激しいトレーニング」を思い浮かべる人がいますが、腸活はアスリートではありませんし、どこぞの大会にエントリーもしません。
運動といっても砲丸の玉とピンポン玉くらいの似て非なるものです。
私が考える腸活具体策の適度な運動は「朝と夜」の二つに分けて解説します。

適度な運動「朝編」

腸活具体策パート1で私は「朝日を浴びる」ことを提案しました。
自律神経を切り替えてくれる貴重な朝日ですが、残念ながら朝日と呼べる時間は限られています。

私の個人的な感覚では「9時」を過ぎると朝日と呼ぶのに少し違和感が出ます。
9時過ぎの陽射しはお昼の太陽が少し混ざったような「純粋な朝日」ではすでになくなっているような感じるからです。
9時を過ぎれば仕事も始まるし、目に見えない慌しい「空気感」も影響しているかもしれません。

私は今年の3月から、朝日を浴びながらの「適度な運動」を実践中です。
現在は平均して20分前後、雨の日はその半分の10分前後になりますが、とにかく起床したら水を飲んで外へ出るようにしています。

朝日と早朝の空気を思う存分、体内に入れるためです

きっかけは朝日を浴びると幸せホルモンの「セロトニン」が脳からドバドバ出る、という話を聞いたからでした。
実際に早く起きて朝日を浴びるために外へ出てみると、

す、すげえ!

朝日のまぶしさを忘れるくらい、私はその場に立ち尽くしてしばらく朝日を浴び続けました。
これまで味わったことのない「幸福感」「高揚感」「清清しさ」があったのです。

私はもっと朝日を浴びたいと、朝日に向かって歩き始めたのが「適度な運動」の始まりです。
そのときはすでに体調を崩していたのでまず初歩的な「ウオーキング」から始めました。
私の理解ではウオーキングと散歩の違いは、

姿勢とスピード

同じ歩くでも景色を見ながら「わー、きれい」が散歩で、常に前だけを見て姿勢やスピードを意識するのがウオーキングという理解です。

ウオーキングに慣れたら「歩行瞑想」に移行しました。
瞑想とはいろいろな解釈がありますが私の理解では、

今に集中すること

瞑想のよくあるイメージとして、

・あぐらをかいて目を瞑る
・ゆったりとした音楽の中でリラックスする
・「無」になる

私はじっとしているのが苦手です。
しかしこの概念自体は素晴らしいので、何とか取り入れることができないだろうかと試行錯誤の末にたどり着いたのが「歩行瞑想」です。
歩行瞑想はウオーキングの強化版みたいなもので、「景色がきれい」は雑念に分類されます。
そうではなくて、

体の動きを観察する

・呼吸は吸ってるのか、吐いてるのか
・腕は後ろにちゃんと引けているか
・着地のときにちゃんとかかとから先に着いたか、など

周囲ではなく、過去でも未来でもなく、「現在」の体の動きに集中してその一挙手一投足を意識する。それを私のウオーキングに取り入れました。

少し古い知識なので本来の瞑想や歩行瞑想とは異なる部分があるかもしれません。
興味がある人は各自で調べてやってみてください。
瞑想はプラスになってもマイナスになることはありませんから。

早朝ウオーキング、歩行瞑想から次のステージへ

瞑想とは「今」に集中することです。その手段としてかかとや呼吸などを意識しながら行いますが、これがなかなか簡単にはいきません。必ずと言っていいほど、

自我が耳元でささやきます

・今日の晩ご飯はどうする?
・今日のランチもまたあの店?
・最近楽しいこと何かあった?

自我君はまったく関係のないことをささやいて集中力を乱しにかかりますが、それに答えてはダメです。答えると次のささやき攻撃が始まって堂々巡りになります。
無視するのもダメ。自我君は何度でもささやき続けます。
ではどうするのか。

暖簾に腕押し作戦です

自我君がささやいたらハイハイと受け流す。
今度は違う切り口でささやき始めるので、そのときも「ハイハイ」と受け流す。
そうした問答を繰り返していくうちに自我君は消えていなくなります。

歩行瞑想にも慣れてきたある日、その日も自我君はささやきました。いつものように受け流そうとするも、何かがひっかかった。

お前、もう走れるんじゃね?
何をいつまで歩いてるんだよ?


そのときは受け流しつつも、家に帰って自我君の言ったことをもう一度考えてみました。

暖簾に腕押し作戦の「キモ」は、歩行瞑想中は「今」に集中して雑念に負けそうなときは「後で熟考」することです。
手強い自我君の語りかけに対抗するには受け流すことの他に「保険」が必要だった。

自我とはもう一人の私です。誰よりも私のことを知っている。だから私の食いつきそうな話題を熟知しており、ときにそのささやきは「核心」をついてくることもあります。

たしかに体力がなければ毎日20分前後のウオーキングを継続できません。しかもそのころは「歩く」というより「ゆっくり走る」くらいのスピードに移行していました。
私が「歩く」ことから始めたのは、病に侵されたときの10分以上の徒歩や階段の上り下りで、

息切れしたからです

それが朝日と日々の運動を数ヶ月も継続してきたことで、体力はかなり回復してきました。

息切れしていた自分とはおさらばだ!

次の日、私は朝日に向かって走り始めました。
走るといってもジョギングをもう少し遅くしたスピードです。
10分走っても、階段ダッシュをしても息切れはしなかった。
これは私にとって大きな「進歩」でした。

自我君はその日もささやきました。

やればできるじゃん!

ハイハイと受け流しつつも、私の顔は少し微笑んでいました。

朝の適度な運動:腸活バージョン

ウオーキングにしろジョギングにしろ、体の「縦運動」は腸のぜん動運動を刺激します。
それだけでなく運動は体を温め、血行を良くするので腸を含めた体のあらゆる器官に酸素や栄養を送り届けてくれます。

しかしそうは言っても朝の6時7時前には出勤する社会人たちにとって、朝の運動が体に良いことはわかっていても、やりたくても「できない」状況にあることを私は理解しています。だったら、

少し遠回りして会社に行ってみれば?

いつもと同じ通勤路は見える景色も同じでマンネリになります。だったら、

・本来右折するところを「左折」してみる
・駅北口からの通勤路を南口から行ってみる
・朝日を浴びる時間が長い道を選んでみる

朝日を浴びながら体を動かす方法など探せばいくらでもあります。

やるかやらないか

やってみれば腸内環境がよくなるかもしれないし、血行が良くなって体調が改善されるかもしれません。
あるいは自我君が褒めてくれたり、今日の仕事の進め方をあなただけにささやいてくれるかもしれません。

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