10年前の大型WEB構築プロジェクトが大炎上してしまった話
ぼくは名古屋のデザインファーム「アクアリング」の代表をしています。
大型WEBサイト制作は、ぼくらの得意分野のひとつです。これまでソフトバンクさんやデンソーさんなど、多くの大企業のホームページを手がけてきました。
しかし、決してはじめから難なくやれたわけではありません。
今回は、ぼくがはじめて担当した大型WEBサイト制作の話をします。ふりかえると恥ずかしくなるような失敗ばかりです。しかしこの案件は、その後ぼくらが全国区のWEB会社に成長するうえで、大きなきっかけとなりました。
いまのWEB制作にも通じる「あるある」な失敗も多いので、後世への教訓になればと思い、まとめてみました。
華やかなプレゼンと受注からスタート
その案件は、華やかなプレゼンと受注からスタートしました。
いまから10年前、当時のぼくらは40人ほどの規模のWEB制作会社でした。案件は数百万円程度のものがほとんどで、たまに1、2千万のものがあるぐらい。
もちろんそれもありがたいのですが、小さな案件ばかりだと、営業も制作もとにかく数をこなすことになり、疲弊してしまうんです。
会社が次のフェーズに向かうために、大型案件の受注をもっと増やさないといけない。社内のトップ営業だったぼくは、そのために走り回っていました。
そうしてご発注いただけたのが、中部国際空港(セントレア)さんだったんです。
ぼくは「なにがなんでもこの案件は落としちゃいけない」と、入念にリサーチしてプレゼンをつくりました。
たとえば「アイトラッキング」という目線を分析する機械をつけて、WEBサイトをどういうふうに見ているのか計測したり。実際に空港まで行って、200人くらいのお客さんに声をかけ、WEBサイトの利用調査もやりました。
定量的なエビデンスだけではおもしろくないと思ったので、定性的な「ユーザーの感情」も加えました。「実際に自分が中部国際空港を使って、福岡へ旅行に行く」という想定で、ワクワク感を確かめてみたんです。
福岡の情報を調べるタイミングでワクワクして、本を買ってワクワクして……。その「ワクワク」をグラフ化し、飛行機に乗るタイミングでもっとワクワクしてもらうにはどうしたらいいか? を提案しました。
プレゼンは好感触でした。
終わったあとに「感動しました」と賞賛の声をいただいたぐらいです。自分としても「これは絶対に受注できるな」という手ごたえがありました。営業には自信があったし、リサーチもプレゼンも全力を尽くしていたので。
……ここまではよかったんです、ここまでは。
はじめての大型案件、はじめての現場
ふだんの案件では、受注したあとすぐに制作チームにボールを渡していました。「あとはよろしく!」と。それでぼくは、また次の受注をとりにいっていたんです。
しかし今回は、そういうわけにもいきませんでした。
というのも、これまでにない大きな案件だったので、まず単純に人手が足りなくて。この規模の案件のディレクション経験がある人も、当時はいませんでした。
それで例外的に、ぼくも制作に関わることになったんです。
この案件のディレクションは、ぼくとディレクターの2名でやることになりました。社内に経験者なんていないので、もうほんとうの手探りです。
「まずいことになったな」と思いました。
当時のぼくはなんというか「口がうまい奴」だったんです。プレゼンや営業ではすごく力を発揮して、お客さんをキラキラさせることができていました。ただ、実際にものごとがはじまると、途端にパフォーマンスが落ちてしまうタイプで。
ただ、営業としては実績もあげていたので、内心けっこう自信はありました。そうして、よくわかっていないまま制作に突入していったのです。
あいまいな戦略と要件定義
WEBサイトをつくるとき、まず最初にサイト全体の戦略と、具体的に「なにをどこまでやるのか」を決めます。「要件定義」とよばれる工程です。
この「戦略・要件定義」の重要性を、そのときのぼくらはまだ理解していませんでした。
なにせはじめての大型案件。そもそも制作なんて、お手伝い程度しかやったことがありません。
「こういうふうにしたらおもしろいはず」「お客さんはこういうものを求めてるはず」という大枠のアイデアはありました。でもそれを、具体的な制作内容にまで落とし込めてはいなかったんです。
スケジュールに関してもそうでした。1ヶ月、1週間単位の作業工程はひいていたものの、それを1日単位にまで落とし込んではいませんでした。
大型案件とあって、制作期間は1年半以上ありました。「それだけあればなんとかなるだろう」と、半ばたかをくくっていて。
それに、これまでも制作はなんだかんだ言って、ちゃんと納期内にいいアウトプットをしてくれていました。「今回もきっとなんとかしてくれる」と思っていたんです。
そんなぼくらの様子に、先方からも多少は「大丈夫?」と心配のお声をいただいていました。でもぼくは「大丈夫です。先はまだまだ長いから、ここから巻き返します」と、ひとまず進めていました。
当時のぼくはまだ「なにごともなく進められている」と思っていたんです。
まずはお客さんの社内をまとめる
大企業のWEBサイト制作で、かならずと言っていいほどぶつかる壁が「社内調整」です。
当時のセントレアの社長は先進的な方で「これからはデジタルだ」と、サイト制作にも乗り気でした。
しかし、社内の部署のみなさんに協力していただくのはなかなか大変でした。なにせ、10年前はWEBサイトの重要性なんてほとんど広まっておらず、ぼくらもそれを伝えきれていなかったからです。
そこで先方の担当者さんと一緒に、各部署の部長さんたちを集めてプロジェクト会議をひらきました。そこに社長にも来てもらって、上からズドンと号令をかけてもらったんです。
それから、各部門の責任者の方々を集めて「ワークショップ」もやりました。10年前はかなり珍しい取り組みだったと思います。そこで、各部署のいま感じている課題を紙に書いてもらって、みんなで共有したんです。
ワークショップをしたのは、このサイトリニューアルプロジェクトを「自分ごと」に感じてもらうためでした。「みんなで決めたことだもんね」と納得してもらうことで、手戻りを減らす効果があるのです。
そうやってなんとか、社内の協力体制をつくることができました。
まとまらないし進まない
社内の意見をまとめて、全部署へのヒアリングも終わって。いよいよそれらの情報を整備して、実際にサイトをつくっていくフェーズです。
しかしこのあたりから、だんだん様子がおかしくなってきました。
話がぜんぜんまとまらないし、進まないんです。
WEBサイトをつくるとき、デザインをする前に「情報整理」と「UI設計」という工程があります。「見出し」になにを持ってくるか、なにを載せてなにを削るか。そういったページレイアウトを、各コンテンツごとにぜんぶ決めるんです。
それがなぜか、いっこうに固まらない。
先方の担当者も、どんどんぼくらへの不信感をつのらせていきました。
ドミノ倒しのようにスケジュールが遅れていく
ぼくらが追い込まれていった大きな理由は、スケジューリングが甘かったことでした。
ひとつ工程が遅れると、ドミノ倒しのようにすべてが遅れていくんです。
空港のWEBサイトは「交通インフラ」の一部です。フライトの予約や運行状況の発信という、重要な役割を担っている。
公開予定日に間に合わないなんて、絶対に許されませんでした。
お客さんに忖度してしまい、大ゲンカに
当時の担当者さんは、このプロジェクトに対してとても熱量が高く、ときにはぼくらを引っ張ってくれるような方でした。
だからこそ、ぼくらの提案に対しても先方から「こっちの方がいいんじゃない」と、たくさんフィードバックが返ってくるわけです。
ぼくらは焦っていました。
ほんとうは、意見をぶつけあって、お客さんの意見もふまえたうえで、さらにブラッシュアップしたものをご提案すべきです。
ところが、ぼくらはそこで忖度してしまったんです。
お客さんの言う通りにつくりかえてしまった。「もうそれでフィックスしましょう」と。そうじゃないと間に合わないぐらい、とにかく時間がなかったのです。
そういうことが2、3回続いて、ついに先方から「君たちはそういう仕事のしかたをするのか?」と、お叱りを受けてしまって。
ぼくらもそのときはいっぱいいっぱいで冷静になれず、そのまま大激論になってしまいました。
事件がおこったのは日曜日でした。休日でしたが、もうその日のうちに方針を決めないとまずいぐらい、ギリギリの状況だったのです。
夜のラーメン屋で直談判
事態はおさまらず、その日の夜に空港の中にあるラーメン屋で、担当者と直談判することになりました。
そこで前に出て話してくれたのは、うちの創業者の田中という人でした。
「うちの力量が足りないところは、正直あると思う。それは本当に申し訳ない」
「でもとにかく、スケジュールが本当にまずい。インフラのひとつである空港のサイトを、一瞬でも止めるわけにはいかない。期日通りにローンチしないと、いろんな人に迷惑をかける」
「ここで建設的に話を進めないと、すべてが崩壊してしまう」と。
担当者の方も「わかったよ。君らの気持ちは伝わった」と納得してくれました。「ゴールに向けて、前向きに議論をしよう」と。
そこから風向きが変わって、一気にプロジェクトが立て直されていったんです。
ようやく自分の不甲斐なさに気づいた
……じつは、この直談判の現場に、ぼくはいませんでした。週末だったので、そんなことになっているなんて知らなくて。週明けに話をきいて「マジっすか」という感じで。
そこでようやく、自分の不甲斐なさに気づきました。
「ほんとうは、ぼくがその交渉をやらなきゃいけなかったんじゃないか?」と。
当時のぼくは「受注するまでがぼくの責任、いいものをつくるのは制作の責任」だと思っていました。
社内の風潮としても、ずっとそうだったんです。制作は営業に「もっといい仕事をとってこいよ」と文句を言うし、営業も制作に「お前らこそ、もっといいもの作れよ」と言い合っていました。
ぼくは「営業側」だったので、プロジェクトが遅れていることも「それは制作側の責任だろ」と、どこか他人事で。
交渉も本来であれば、ぼくが関わるべきでした。でも、ぼくは完全に逃げていたんです。
そこで矢面に出た、あの創業者の姿勢は、ぼくの心をえぐりました。
本来はぼくがしなければいけなかった役割を、ここまで逃げて放置して、けっきょく彼にやらせてしまった。ものすごく後悔したし、反省しました。
「君の志はなんだ?」という問いに・・・
プロジェクトが停滞してしまったとき、ぼくは担当者の方から「君の志はなんだ?」と問いかけられました。
「このプロジェクトへの、君の志はなんだ?」と。
その問いに、ぼくはなにも答えられませんでした。
もちろん、このプロジェクトの成功を心から目指していたし、「お客さんの悩みを解決してあげたい」と本気で思っていました。
でも、とてもじゃないけどそんなことが言えるような状況ではなかった。けっきょくなにも言い返せず、ひたすら「すみません」と平謝りすることしかできなかったんです。
あのころのぼくに足りなかったもの
あのときのぼくにはなくて、創業者の田中にはあったもの。
それは「覚悟」だと思います。
当時のぼくは、制作とお客さんのあいだをつなぐ役割でした。「制作が話を聞いてもらえないから、ちょっと代わりに伝えてくる」とか、担当者から「お前ちょっと代わりに聞け」と、制作の代わりに話を聞かせてもらうこともありました。
しかし、そのすべてが「頼まれたからやる」という受け身のスタンスだったんです。そもそも「俺の担当は受注するところまでだから」という意識も強かったので。
それに対して田中は、みずから烈火のごとく燃える場所に飛び込んでいきました。
絶対にこのプロジェクトを成功させる。そのためにぶつからなきゃいけないなら、俺が行く。
その覚悟があったから、崩壊しかけた案件を前へ進めることができたんです。
WEBグランプリで日本一に
先方の協力と制作陣のがんばりのおかげで、なんとかサイト公開の日を迎えることができました。
リニューアル切り替え作業は、深夜に実施しました。万が一トラブルが発生したときにリカバリーする人など、この作業のためだけに各所から30〜40人ぐらいが集まっていました。
プレッシャーのなかで、無事にサイトを公開。
そのあとみんなでプロジェクトルームに集まって乾杯したときの光景を、いまでも覚えています。苦楽を共にした担当者とも乾杯して、いろんなことを語り合いました。
ぼくはこのサイトを、外部にも評価してもらったほうがいいのではないかと思い、「WEBグランプリ」というコンテストへ応募することにしたんです。
もちろん先方からの期待に対して満足なボールを打ち返せていないこともあったのですが、最終的にできあがったサイトには、けっこう自信があって。
そうしたら、いきなりグランプリを受賞することができたんです。
競合他社がみんな真似してくれた
グランプリをとれたことはもちろん、それ以上にうれしかったのが、ほかの主要空港がぼくたちのつくったサイトを真似してくれたことでした。
セントレアのサイトをリニューアルした翌年から、羽田や新千歳、福岡などの空港のサイトが、バンバンUIを変えてきたんです。
セントレアがほかの空港と違ったのは「フライト以外の目的で空港にくるお客さんも増やしたい」ということでした。そこでサイトでも「飛行機」だけではなく「空港内のお店や飲食店」の魅力をアピールしたんです。
グランプリの受賞を、セントレアのみなさんもすごくよろこんでくれました。
いまでも中部国際空港には、中央のコンコースあたりにグランプリのトロフィーが飾ってあります。さらになんと、セントレアの社長がみずから「アクアリングさんを接待したい」と言ってくださって。
これまでのすべての苦労が報われた気がしました。
「お客さんの課題をいちばんわかっている存在」に
そのあと、セントレアさんとはサイト制作以外も、積極的にご相談いただけるような関係性になりました。
ぼくらはサイト制作をやる過程で、全部署にヒアリングして社内の課題を集約していたり、全部署の責任者と顔がつながっていたりします。
いつのまにか「セントレアの課題をいちばんわかっている存在」になっていたんです。
なにをするにも話が早いし、セントレアさんの抱えている課題をくんだうえでクリエイティブをつくることができる。
実際、サイト制作のあとも、Pepperを使ったおもてなしや映像演出、新聞広告や周年イベントなど、いろいろな取り組みをご一緒しています。
会社が次のステップへ進めた
あのときの失敗や成功体験は、ぼくらに多くの学びをくれました。
戦略や要件定義には、会社としてていねいに時間をかけるようになりました。スケジュール管理も、いまはプロジェクトマネージャーという専門の役割をつくってしっかり管理しています。
また、当時は空港のプロジェクトルームに泊まることもしょっちゅうで「夜打ち朝駆け」もふつうにやっていました。そのスタイルをこの先も続けていては、とてもじゃないですがメンバーの身体がもちません。
そこはプロジェクトの進行を改善したり、ひとつひとつの打ち合わせの濃度を高めることで、無理のない形に変えていきました。
そしてなにより変わったのは、プロジェクトへの関わりかた。
ぼくを含め、メンバーたちは営業や制作といった部署に関係なく、主体的にプロジェクトに関わるようになりました。
深くコミュニケーションをとり、お客さんの内部まで入りこんで、おなじ「熱量」を共有する。そうやって、志とスキルの両方がそろうことで、レベルの高いアウトプットができるんです。
あの経験が、いまのぼくらの基盤になっている
それからいろいろあって、ぼくはアクアリングの3代目社長になりました。社長になってから、ぼくは新しくミッションをつくりました。
「仲間となって未来の輪郭をデザインする」というものです。
この「仲間となって」という言葉は、まぎれもなく当時の経験がもとになって生まれた言葉です。
「受注者」「発注者」の関係ではなく「人間」対「人間」として、お客さんと向き合う。お客さんとひとつの「チーム」になることで、いいアウトプットができる。あの案件に教えてもらったことを、ぼくらはいまも信じています。
*
2019年、ふたたびセントレアさんから、WEBサイトリニューアルのご依頼がありました。
ぼくや当時のメンバーたちは前線から外れて、新しい世代のメンバーたちが担当することになって。彼らは、あのころのぼくらとは比べものにならないぐらいスムーズな進行で、しかし「熱量」は失うことなく、プロジェクトを完遂させてくれました。
そしてふたたび「WEBグランプリ」で日本一に輝いたのです。
あのときはほんとうに苦しかったし、決して理想的な制作プロセスとはいえませんでした。でも、そこからたくさんの学びを得て、ぼくらは大きく変わることができたんです。
いま、WEB業界はまさに転換点にあります。ぼくらもただの「WEB制作会社」にとどまらず、より広い視野をもって、デザインの力で企業や世の中の課題を解決していく存在になっていかなきゃいけないと思っています。
きっと困難もあるでしょう。でも、ぼくらならきっと乗り越えられるはず。
あの経験があったから、自信をもってそう思えているんです。
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