社長になって、はじめての大仕事は「自分の会社を売る」ことだった
ぼくは2019年の6月に、アクアリングの社長になりました。
アクアリングは、名古屋発のデザインファームです。設立から22年。従業員数は約100名。デンソーさんやソフトバンクさんなど、大手企業のウェブサイトを数多く手がけてきました。
ぼくの社長としての最初の大仕事は、自分たちの会社を「売る」ことでした。
アクアリングは2人の創業者によってつくられた会社です。ぼくは創業2年目に入社し、一兵卒から社長になりました。経営の経験なんてまったくありませんでした。
そんななか、ぼくらは2020年から中京テレビのグループ傘下に入りました。
社長として右も左もわからないまま、いきなりM&Aを乗り越えなければいけなかったのです。決してきれいなストーリーではありませんが、今回はこの3年ほどの買収劇と、M&A後の奮闘についてふりかえってみたいと思います。
「買われた側」のリアルな事例として、参考になればうれしいです。
オーナー2人から「ちょっと話がある」
2019年の夏。ぼくは創業者でありオーナーの2人から「ちょっと話がある」と呼び出されました。そして、こう伝えられたのです。
「実は俺ら、会社から引退しようと思ってる」
「……マジっすか」
オーナーが会社からいなくなる。それはつまり彼らの株を会社で買い戻さなければならないということでした。しかも創業時より会社の企業価値はぐんと上がっていたので、株の値段もそれなりのものになっていて。
オーナーの期待に応えられるお金なんて、どうていすぐには用意できませんでした。
当時のぼくはまだ代表になったばかりで、会社の預金状況もついこのあいだ知ったような状態でした。経営に関しては「ど素人」です。
それでもさすがに「これはまずいぞ」ということだけはわかりました。
急浮上した「M&A」という選択肢
自力で株を買い戻すのは厳しい状況でした。でも、やっぱり彼らがゼロから立ち上げて、大きくしてきた会社です。ぼく自身も、就活で失敗してくすぶっていたところを、先代に拾ってもらった恩がありました。
彼らに成長させてもらったし、救われてきた。だからこそ、引退するなら最大限、花をもたせてあげたいという思いがありました。
どうにかいい方法を考えないといけない。経営ど素人のぼくの頭に、とつぜん「株式」というワードがドーンと降ってきたのです。ぼくは急いで情報を集めました。
「銀行から借入する」という選択肢もありましたが、ここから借金を背負うのはリスクがありすぎると思いました。
「上場」という選択肢も頭をよぎりました。
ただ実は、上場の話はこれまで何度かあったものの、すべて断っていたんです。ぼくらが大切にしている「いいモノづくり」の精神が、上場して利益を優先しすぎるあまり、ないがしろになるのは嫌だったからです。だから「上場もないな」と。
そこで初めて「M&A」という選択肢なら現実的かもしれない、と考えるようになりました。このときはまだ「ゆくゆくは可能性もあるかもね」ぐらいの感覚です。
すると、話を聞かれていたのかと思うほどぴったりのタイミングで、もともと知り合いだった中京テレビの局長から「ちょっと飲まない?」と連絡があったのです。
ぼくは「全然いいっすよ」くらいの感じで飲みに行きました。それで話していたら「非常にさ、言いにくいんだけどさ……」と切り出されて。
「アクアリングさんってさ、業務資本提携とか考えてたりしない?」と言われたのです。
ぼくは「ええ?」という感じでした。あまりにもタイミングがよすぎたので。そのときはもちろん「いや、考えてないですね」と言いつつ、ざっくりと話は聞いて「一応オーナーに話しますね」と言ってその場を終えました。
それで持ち帰って、先代の2人に共有したのです。
M&Aに関しては、そのあとに失敗したとか、不幸になったという話もけっこう聞くので、不安はありました。当時はまだ、中京テレビさんがどういうスタンスでぼくらを迎え入れようとされているのかも、まったくわからない状況だったので。
先代も「これからの将来、会社に残るのはシゲたちだから、おまえらの気持ちを大事にしたい」と言ってくれました。
マスメディアに見出した可能性
急浮上した、中京テレビさんとのM&Aの話。
最初は動揺しましたが、冷静にぼくらの会社の未来のことを考えると、そんなに悪い話ではないかも……と思えてきました。
マスメディアと組むことで、うちとしてもおもしろい取り組みができるんじゃないか? と思ったのです。
マスメディアは衰退産業と言われてはいますが、やっぱり地域のなかでは絶対的な信頼があります。
ぼくらはいま、大手企業のWEBサイト制作がメインの事業です。しかしこれからは「コミュニケーションデザイン」の領域にも得意分野を広げていきたいと考えていました。そこでマスメディアが身内になって、武器にできるのは大きいと思ったのです。
ぼくらは創業時から、ずっと名古屋を拠点にしてきました。地元のお客さまに愛してもらって、業をなしてきた。だから中京テレビさんが「ローカルと一心同体で生きている会社」という点でも、シンパシーを感じました。
中京テレビさんとなら「子会社が親会社のいいなりになる」ような関係性ではなく、お互いのいいところを分けあって、新しい未来を作っていけるかもしれない。
それを確かめるためにも、お互いのことをよく知る必要がありました。
そこで、M&Aを”結婚”とするなら「ちょっと”デート”を重ねましょうか」という感じで、お付き合いをはじめたのです。
それが2019年の10月くらい。その時点で社内でM&Aのことを知っていたのは、ぼくと藤井という副社長、あとは先代の2人の、計4人だけ。
相手がいることなので、近しいメンバーにすら情報を漏らすことはできませんでした。
中京テレビさんと重ねた「デート」
2019年の秋くらいに中京テレビさんとお付き合いが始まって、そこからデューデリジェンスも進めました。うちの経営の内部帳簿や、今後の戦略などをこと細かに話して、ぼくらも中京テレビさんの状況をヒアリングしました。
中京テレビさんとしても「これからは放送やイベントだけでなく、オンラインでのコミュニケーションにも力を入れたい」「そのためにもアクアリングの力を借りたい」と思ってくださっていて。
最終的に話がまとまったのが、2020年の4月末ごろ。
うちは5月決算なので、5月末に事業提携などの契約をしました。そこから事業譲渡をして、正式に中京テレビさんの傘下に入ったのです。
M&Aのことは、社内のメンバーには5月のギリギリまで黙っていました。
うちの会社では、5月の最終週の金曜日に「社員総会」をやっています。ぼくはそこでメンバーのみんなに伝えようと思いました。
例年はホテルを借りて、みんなで宴会をやります。「今期もお疲れ様でした」「来期はこうやっていくぞ」という話をして、大団円で終わるのが恒例でした。
ところがこの年は運悪く、パンデミックが起こってしまったんです。
まさかのコロナ直撃、リモートでのM&A発表
うちはIT企業というのもあって、2月ごろからすぐにリモートワークを始めました。
ぼくはずっと不安でした。メンバーと顔も合わせられない。当時はまだリモートに慣れていなくて、みんなZoom会議の温度感やルール、マナーもよくわかっていない、ぎくしゃくした雰囲気です。
そんな状況で「会社のM&A」というこんなにも重要なことを、リモートで言わなあかんのか……と。
総会は、5月28日の金曜日。29、30日が土日。31日が月曜日で、6月1日から次の期になるというスケジュールでした。
中京テレビさんには「メディアリリースは、とにかく月曜日まで待ってくれ」と頼み込んでいました。うちのメンバーが、メディアリリースでM&Aを知ることだけは、絶対に避けたかったのです。
M&A当日の夜
株主提携の印鑑が押されたのは、総会の前日。27日の木曜日でした。
あの日のことはいまでも忘れません。夜のオフィスに、ぼくは当時の幹部4人を集めました。
その時点で、すでに先代の2人は印鑑を押しているので、もう社員ではないんです。言ってしまえば「外部の人」なので、その場にはいませんでした。
ぼくは幹部たちに「会社の株を中京テレビに売却した」「今日から中京テレビのグループになった」と伝えました。
……当たり前ですが、びっくりするくらいブチギレられました。
「茂森さん、なにを考えてるんですか」「こんな大事なことを、よくもまあ勝手に決めて!」と。言ってしまえば「魂を売ったのか」と。本当にそんなテンションでした。
言い訳しようと思えば話せることはたくさんありました。
オーナーたちのいままでの恩に報いたい。彼らの将来を考えるなら、早いほうがいい。かといって、借金で経営を不安定にしてはいけない。若手はどんどん所帯を持ち始めているし、みんなの給与も上げていってやりたい……。
ただ、それを言い訳にはしたくなかったのです。
オーナーの意向ももちろんありましたが、最終的にM&Aの決断をしたのはぼくです。オーナーとぼくら、1票ずつ握っている感じでした。ぼくが「うん」と言わなかったら、このM&Aの話は決まらなかった。
自分で選んだのだから、逃げずにこの道を正解にしないといけません。
そこでぼくは「マスメディアという武器が手に入る」「地域への貢献も加速できる」「アクアリングの未来にとって、きっとプラスになるはずだ」と、幹部たちに説明していきました。
いちばん大きかったのは、中京テレビさんがぼくらのカルチャーを、好奇心とリスペクトをもって受け入れてくれたこと。
カルチャーが違うのに”結婚”してしまって「あなたは私の家に嫁いだから、もううちのルールに従って」っていう嫁姑みたいな関係になったらつらいです。
でも中京テレビさんの場合は、すごく理解のある姑でした。「あなたの好きなようにやっていいわよ」みたいな感じ。提携の協議をするなかでも、とてもウェルカムな空気で、うちの会社を迎え入れてくれていると思えました。
そういうことも幹部メンバーたちに話して、ひとまずその場を収めました。
総会当日、フリーズするメンバーたち
いよいよ社員総会の当日です。ぼくは「みんな、最後にちょっと重大発表があるんだわ」とドキドキしながら切り出しました。
「実は昨日からアクアリングは、中京テレビグループに入ったんだ」と。
パソコンの画面に映るメンバーたちは、明らかにフリーズしていました。「は? どういうこと?」という感じだったと思います。
ひとまずぼくはそのあとも一方的にしゃべって、最後に「はい、というわけでね。質問があったら、またちょっと聞いてほしい」という感じで、総会は終わりました。
金曜日に発表したことで、土日で家族に話したりして、多少は咀嚼する時間ができたのかなと思います。
「中京テレビ」という看板は、やっぱり名古屋エリアの人にとっては圧倒的なブランドです。週末をはさんで、一部のメンバーはDMで「家族が喜んでくれました」という連絡をくれたりもしました。
なんだかんだ、テレビ局の傘下に入ることの安心感はあって、特に新しいメンバーは好意的でした。
いっぽうで古くからいるメンバーは、モノづくりに対してストイックで、ハートで動くタイプです。だから「やりたいことができなくなるんじゃねえか」「いろいろと面倒くさいことを言われて、会社がダメになるんじゃないか」という不安を抱えている人も多くいました。
社内が二分されている、デリケートな状況でした。
社長交代は「絶対にやめたほうがいい」
実は契約ギリギリまで、ぼくは危うく社長を辞めるかもしれない状態でした。
2020年5月の契約間近になって「社長はどうする?」という話になりました。ぼくらはほぼ100%子会社なので、ふつうは親会社から新しい社長が来るのがセオリーです。
ぼくはそれに強く反対しました。「絶対にやめたほうがいい。そんなことをしたら会社は崩壊する」と言ったのです。
中京テレビさんは、最初は「なぜそこまでこだわるのかわからない」という感じでした。でもぼくが「絶対にやめたほうがいい」というので、疑問や懸念もあったと思うのですが、受け入れてくれました。
異例の措置として「中京テレビ側にも代表権はつけるけど、肩書きは『副社長』にする」ということになりました。ぼくと中京テレビからくる副社長とで、ダブル代表をすることになったのです。
うちは先代たちがゼロから立ち上げて、みんなで苦楽をともにして作ってきた会社です。みんな先代たちを慕っていたし、ぼくもその歴史をわかっているからこそ、みんなに社長として受け入れてもらえたところは大きいです。
もし、ぼくが就任1年で引退して、新しい社長がきていたら、社内のメンバーは不安と違和感で、拒絶反応を起こしていたと思います。
その後しばらくして、中京テレビさんからも「前例がないケースなので不安でしたが、本当に茂森さんの言うとおりでしたよ。社長はお任せして、大正解だと思いました」と言っていただけました。
新しい副社長に「服」をプレゼント
社員総会から1週間後、中京テレビさんから副社長がやってきました。経営企画部の部長だった、水野さんという方です。
水野さんを迎え入れるとき、ぼくらから彼に服をプレゼントしました。
テレビ局の管理職の方は、なぜかみんないつもスーツなんです。それを見たうちのの現場のメンバーが「まずは服装っすよね。スーツでオフィスにいられたら、なんか落ち着きません」と言っていて。
そこで「じゃあ水野さんへの歓迎として、みんなで服をあげよう」ということになりました。
ぼくがチョイスした服と、おなじく副社長の藤井がチョイスした服、そしてメンバーのみんながチョイスした服の3着をあげることにしました。そうすれば、週5日のうち3日は、ぼくら色の服で会社に来てくれるだろうと思ったんです。
水野さんもそれを受け入れてくれて、メンバーのみんなもウェルカムな雰囲気で迎え入れてくれました。
そして、水野さんはほんとうに優秀な方でした。
M&A後のぼくらの拒絶反応を察知して、中京テレビの首脳陣たちとすごく上手にコミュニケーションをとってくれたのです。
「その施策はいまはまだやめたほうがいい」とか「そこまで変えるのはまだ早すぎる」と、うまくコントロールしてくれて。彼がいなければ、M&A後の調整はとうてい乗り越えられなかったと思います。
中京テレビさんの大ホールでプレゼン
いよいよ、中京テレビグループの一員としての日々がスタートしました。
一緒になってからの2年間、ぼくらと中京テレビさんはじわじわと融合していきました。とうぜん、拒絶反応もおこります。ここからは、それをどうやって乗り越えてきたのかお話しします。
まず、ぼくは役員たちと一緒に、ロビー活動をやりました。中京テレビのみなさんへ「アクアリングはこういう会社ですよ」というプレゼンをしたんです。
中京テレビさんのオフィスには、大きなホールがあります。ぼくらは中京テレビグループ全体に声かけをして、社長以下の役員や役職者、ほぼ全員にそこへ集まってもらいました。
ぼくはホールの演台に立ちました。
ちょっと言い方が悪いのですが、ここはやっぱり、なめられないようにしなきゃいけない。だから、自信満々の態度で臨みました。
「ぼくらは自分たちのやっていることに誇りを持っています。一緒になったからには、アクアリングからテレビの未来を変えていくような取り組みをしたい」「一緒に未来を作っていきましょう」と話したんです。
そうしたら、意外と受けがよかったらしくて。いろんなところから「よかったよ」という評判をいただくことができました。
「ほんとうにこれでよかったんだろうか?」
プレゼンは高評価でした。プロ野球でいうと「ドラフト1位で入団した期待の新人」みたいな感じです。
しかし、それからしばらくは、実際に登板する機会がありませんでした。
中京テレビさんも「どの試合で使ったらいいんだろう」みたいな感じで、まだお互いに方向性をつかめていなかったのです。
気を使って仕事を依頼してくれることもあったのですが「このイベントでスマホと連動した企画をやりたいので、請け負ってもらえませんか」といった感じで。それだと結局、ただの外注みたいになってしまいます。
そのあたりを水野さんも整備してくれていたのですが、どうしてもうまくかみ合わない時期が半年ほどあって。
ズルズルと時間だけが過ぎていきました。
ぼくは焦っていました。
現場のスタッフからは「これ、どうなんですか。M&Aしてなんか変わりましたかね?」「本当にやってよかったんですか?」という声が聞こえてきます。
いきなり社長になって、自信なんてないまま会社の未来を左右する決断をして。それなのに、その成果がなかなか見えないーー。
「ずっとこのままだったらどうしよう」「本当に会社を売ってよかったのだろうか?」と、自分の決断に自信が持てなくなってしまったんです。
ぼくは、あまり仕事のプレッシャーで体調を崩すことはないのですが、このときは初めて体調を崩しました。急にお腹をくだしたり、吐きそうになったりするんです。
初めはよくわからなくて「胃もたれかな」ぐらいでした。でも、M&Aの決断をするときと、この停滞期間に、明らかに身体に異変があって。
当時、ぼくの不調に気づいたメンバーが「ちょっと飲みに行きましょうよ」と誘ってくれたことがありました。ありがたいのと同時に「やべー、わかるんだ。社長のくせに、こんな姿を見せちゃダメだな」と反省しました。
中京テレビ社長から「もっとおもろいことやろうぜ」
そんなとき、ぼくは中京テレビの丸山社長から「個別面談したい」と呼び出されました。
そこで丸山社長から「せっかく一緒になったんだから、もっとおもろいことやろうぜ」と言われたんです。
「いまの関わり方だと、言い方は悪いけど、グループになった意味なくない?」と。ぼくはもう、おっしゃる通りだと思いました。「社長、ザッツライトです。よくぞ言ってくれました!」という感じです。
で、その2週間後、ぼくは社長へプレゼンを持っていきました。「おもろいことプロジェクト」というタイトルをつけて。
提案したのは「中京テレビ全体のデジタルコミュニケーションを再構築しませんか?」という内容でした。今後、視聴者とのつながりはマスメディアだけでなく、デジタルやそれ以外のものも使って立体的にやっていく必要がある。「ぼくらはそれをサポートできます!」と。
社長からは「いいよ、やってみな!」という反応をいただいて。
強力なお墨付きを得て、ぼくは抱えていた不安が吹き飛ばされました。
これまでは、買った側も買われた側も気を遣いあって、やりたいことをハッキリいえない状態でした。探り探りでコミュニケーションがうまくいかず、だから不安だった。
でもやるべきことをすり合わせたら、ぐんと視界がクリアになったんです。
親会社にぶら下がるのではなく、引っ張っていく
この2年間で、ぼくらと中京テレビさんの方向性もずいぶん揃ってきました。
そもそも中京テレビさんがうちに期待しているのは「既存の事業でもっと売上を伸ばす」みたいなことではありません。
放送、リアル、オンライン三位一体となって、コミュニケーションの可能性を広げていく。アクアリングの人材や知見と、中京テレビグループのアセットを絡めて、これまでの中京テレビにはできなかったことをやっていかなきゃいけません。
このM&Aは「中京テレビ」という大きな傘の下に、アクアリングがぶら下がるようなものではありません。むしろぼくらが中京テレビさんをDXして、変えていかなきゃいけないと思っています。
実際、ぼくらが中京テレビさんからご相談いただいていることは単なる「作業」ではなく「経営の中核」レベルの話です。
いまは中京テレビさんの中長期計画の立案にも関わっています。経営計画や採用戦略、採用コンセプトについて話したり、新規事業の実現性を一緒に探ったりしているところです。
うちのスタッフたちも、やっぱりそれぐらい求めてもらえるとすごくうれしいし「グループになった甲斐があったな」と感じます。
ようやくいいスパイラルが回り始めようとしているところです。ぼくもすごくワクワクしています。
このM&Aを、メンバーの成長の機会に
社長になってからの3年間で、ぼくは自分の無能さを改めて感じました。
いままでは、自分にできないことがあってもなんとかごまかしたり、その場しのぎで乗り切ったりしていました。
しかし立場が変わり、M&Aのような大きな決断を迫られたとき「これは、ごまかしやその場しのぎじゃ乗り切れないな」と痛感したのです。そういう苦悩が、体調や表情にも出てしまったのかなと思います。
これまで外面だけは硬い皮で覆われていたけど、それをむいてみたら、本来の中身はグジュグジュだった。M&Aを通してそれを認識したことで、ぼく自身も成長することができました。
M&Aのあと、大きく揉めることもなくここまでこれたのは、一般的には「成功例」と呼べるでしょう。でもぼくは「平穏で、特になにも変わらなかった」ではダメだと思っています。
メンバーみんなが「一緒になってよかった!」と思えるぐらい、プラスの変化を起こさないといけません。
だからうちのメンバーたちには、この機会をうまく使って自己実現をしてほしいです。そして、そのきっかけを作ることが、社長であるぼくの役割だと思っています。
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