読書は、2〜3冊同時進行読みでもイイのでは? (フロイトの精神分析学入門長すぎる🫨)
フロイトの「精神分析学入門」を読み始めた。
しかし、難しい。
まず、理屈そのものが難しい。
加えて、言い回しがまどろっこしかったり、
主語が長かったり、といった文章表現が難しい。
ノートに書いて整理しながら読まないとなかなか理解できない。
そして、長い。
第一講、第二講、という「講」がまとまりの最小単位なのだが、
それが全部で28講。
ページ数にして700ページを超える。(中公文庫版の場合。)
しかも「続」精神分析入門があるとのこと。
オーノー、、、早くも挫折しそうだ。
何が苦痛か?
その一つは、他に読みたい本があるのに読めないことだ。
しかし、そもそも一冊が読み終わってからでないと他の本を読んではいけないというのは固定観念にすぎないのではないか。
本は複数冊を並行読みしても良いのではないか?
そして、大事なのは何を読むのかという組み合わせではないか?
こうした疑問から、同時並行読みと、その最適化について考えてみた。
献立を考える為に、本の性質を分類してみる
並行読みをするには条件があると思う。
それは組み合わせに気を付けることだ。
喩えるなら食べ合わせであり、献立である。
例えば、哲学書Aと哲学書Bと哲学書Cを3冊同時並行読みするのは、チャーハンとスパゲッティと食パンを同じテーブルに並べるのと同じだと思う。
炭水化物ばかりだし、重いし、それぞれ味の方向性も違う。
本にはそれぞれ性質があるはずだ。
その性質を踏まえながら、本の献立を考えるのが良いのではないか。
という訳で、献立を考える為におおまかに本の性質を分類してみたい。
【①】知る為に読む本
知識欲を満たせる本。情報量の多い本。情報の集積された本。
例:日本史の本、雑誌、新聞。
読むのにかかる時間:少
情報の咀嚼にかかる労力:少
【②】ストーリーもの。
小説。物語。自伝。ストーリーを理解すること、
また、ストーリーを覚えておくことが必要。
考える、知る、というよりは感じることを主体としている。
例:「小説、物語、自伝」
読むのにかかる時間:中
情報の咀嚼にかかる労力:中
【③】学術論文系。
理解したり考える為に読む本。理屈の理解が必要。
ノートに書きながら整理しながら読む必要のある本。
理解したことを説明できるようにすることを目指すこともある。
例:「精神分析入門」
読むのにかかる時間:長い
情報の咀嚼にかかる労力:大
【④】ハード哲学系。
新しい思想、自身の価値観に影響を与える本。抽象的、観念的。ものの見方を再考する本。
例:「ツァラトゥストラはかく語りき」
読むのにかかる時間:長い
情報の咀嚼にかかる労力:大
【⑤】詩。
分量は無いが、一行の持つ意味は多い。
例:「宮沢賢治詩集」
読むのにかかる時間:短い
情報の咀嚼にかかる労力:小(~時に最大)
これらを最適に組み合わせることで、深めつつ広げていく読書体験を実現できると思う。
「③学術論文系の本一冊だけを読んだ場合」
冒頭の私のように、読むことが苦痛になるだけではなく、他の本を読めない苦痛によって挫折してしまう。
だからといって要所をかい詰まんで速読をするのもちょっと違う気もする。
それは、音楽を1.5倍速で聴くのと似ている気がする。
「⑤詩集だけを読んだ場合」
一方で、詩のように読もうと思ったら短時間で読めるものを「集中して2時間で読み切る」というのも成立しない。
詩の醍醐味はきっと、自分の中に言葉を蓄積させて、じっくり長い年月をかけて熟成させていくことにあるだろう。
じゃあベストの献立はなんなのか?
②のような本、例えば小説を読みながら、①のような「知るために読む本」を読む。そして朝起きたら、あるいは寝る前に詩をひとつ読んでみる。
割合で言うならこんな感じだ。
②感じる為に読む本:50%
①知る為に読む本:40%
⑤詩:10%
例えばこういう感じで本の組み合わせ、配分、アロケーションを組んで同時並行読みするのが良い気がする。
まとめ
本は、必ずしも一冊だけを読み続ける必要は無いはずだ。
本は、並行読みしても良い。
そして並行読みする際に気を付けたいのは、
その編成であり、
その配分であり、
その配球であり、
そのポートフォリオであり、
いうなれば献立である。
本の献立に気を配ることで、
「美味しく」「十分な栄養を摂取しながら」「胃腸を痛めることなく」
読書体験を深め、広げていけるのではないか?