まごうことなき傑作!優しくて切ない…そして美しい…純愛食人ロードムービー「ボーンズ アンド オール」【ホラー映画を毎日観るナレーター】(683日目)
「ボーンズ アンド オール」(2022)
ルカ•グァダニーノ監督
◆あらすじ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生まれつき、人を喰べてしまう衝動をもった 18 歳のマレンは初めて、同じ秘密を抱えるリーという若者と出会う。人を喰べることに葛藤を抱えるマレンとリーは次第に惹かれ合うが、同族は喰わないと語る謎の男の存在が、二人を危険な逃避行へと加速させていくー(Filmarksより引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
公式サイト↓
これはもう多くを語ること自体が野暮といいますか、この映画に出会い、心が震え、そして涙するという素敵な思い出としてそっと自分の胸の中にしまっておきたいです。
やはり私にはどうしようもないB級ホラーがお似合いなのかもしれません。
月並みな表現ですが、心の底から見て良かったなと思える本当に本当に素晴らしい作品でした。こんなにも芸術的で美しく、優しくて、そして切ない映画がこの世にあるという事実を一人でも多くの方に知っていただけたら幸いです。
いつまでも感動の余韻に浸っていたいところではありますが、何も書かないわけにもいかないので、ここからはいつも通り私の野暮な感想や解説を書いていきます。
今作はまだ公開されてから日が浅いため、配信などはまだないようですが、アマゾンプライムにて407円でレンタルが可能です。私は例によって浜田山のTSUTAYAを利用させていただきました。レンタルショップでは旧作扱いなので100円でレンタルが可能です。
※ネタバレは極力避けますが、もしあれだったら視聴後に読まれた方が良いかもしれません。
『“人を食べる”という衝動を持ったマレンがまだ会ったこともない母親に会いに行くために旅をし、そして自身と同じ衝動を持った青年と出会い、惹かれ合い、悩み、そして葛藤に苦しみながらも旅を続ける』という純愛ホラーロードムービーです。
人間が人間の身体を食べる行動あるいは習慣のことを指す“カニバリズム”。
このカニバリズムを題材としたホラー映画は非常に多く、「悪魔のいけにえ」(’74)、「食人族」(’81)、「羊たちの沈黙」(’90)、「グリーン•インフェルノ」(’13)等のビッグネーム作品はホラー好きでなくても一度はそのタイトルくらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
こういったカニバリズムを題材に、またはエッセンスとして取り入れているホラー映画は皆一様にカニバリズムを恐怖として描いています。そりゃあ、人が人を食べるわけですから当然その行為を異常だと思うのは当然の道理ですし、自分を食べようと迫ってきたら恐怖を感じるでしょう。
しかし、今作ではそのカニバリズムというものを個性や資性の一つとして描いております。たまたまカニバリズムという極少数派の資性を持った人々。受け入れる者、開き直る者、葛藤する者、各々が様々な思想を持つ中で、主人公マレンはどう向き合っていくのか。本来であれば共感することが難しいカニバリズムという一見突飛な題材は、自分ではどうすることも出来ないコンプレックスやハンディキャップ、差別、社会からの疎外などに対するメタファーなのかもしれません。
監督を務めたルカ•グァダニーノ氏は「胸騒ぎのシチリア」(’15)や、日本でも話題となり爆発的に大ヒットした「君の名前で僕を呼んで」(’17)など青春や恋愛をテーマとした作品で有名ですが、2018年にはダリオ•アルジェント監督の名作ホラー映画「サスペリア」(’77)のリメイク作を発表するなど、活躍の幅は多岐にわたります。
「君の名前で僕を呼んで」でも主演を務めたティモシー•シャラメ氏が今作では主人公マレンと惹かれ合うカニバリズム(イーター)の青年•リー役で出演しており、グァダニーノ監督との再タッグが実現しております。
「君の名前で僕を呼んで」に関してはアマゾンプライム、U-NEXT、Netflixなど各種サブスクで視聴可能です。こちらの作品もオススメですので是非!
ストーリーとしては
という風に展開していきます。
先ほど先述したように今作ではカニバリズムというものを恐怖としてではなく、抑えることが出来ない衝動として描いています。本編における初めての食人シーン(友人の指に噛みつく)を見ると、目の前に来た友人の指に反射的にパクっと噛みついているように見えます。それは私達が普段くしゃみやあくびをするのと同じ感覚のようにも思えてきます。
おそらくは夢中でしゃぶりついているうちに聞こえてきた友人の悲鳴や周囲のパニック具合でハッと我に返り、慌てて逃げ出したのではないでしょうか。『定期的に人肉を食べていればある程度は欲求が抑えられるのか』は定かではありませんが、逃げ帰ってきたマレンに対する父親の「またやったのか!」というセリフから、一度や二度のことではないことが想像できます。もしかしたら普段は人肉を食べることを我慢しており、その欲求を抑えきれず友人や周囲の人々に危害を加えてしまうと、父親と共に警察に捕まる前に夜逃げを繰り返していたのかもしれません。
父親の残したカセットテープで物心が付く前の自分自身のこと、そして会ったことのない母親の話を聞いた彼女は出生証明書から母親の出身地がミネソタであることを知り、意を決して旅に出ます。
そして、その道中で出会った不思議な老人サリーは自身と同じ食人の衝動を持っており、この時初めてマレンはこの衝動を持つ人が自分以外にもいることを知ります。
サリーと共に老婦人の肉を食べるシーンではあえて食べるシーンを映さず、部屋に飾ってあるその老婦人の夫や家族と思われる人達の写真を映していくという演出が個人的には非常に胸に来るものがありました。名前も分からないし、セリフが一つもない老婦人にも命があったこと、そして人生があることを表しているようで相当印象に残りました。
このサリーが非常に厄介というか、不協和音を奏でるイレギュラーなキャラクターでして、そんな彼を掘り下げるだけでもとんでもない時間を持っていかれそうなので割愛しますが、同族に対する異常なまでの仲間意識を持っており、その裏には食人衝動(マイノリティな資性)を持っていることへの孤独感があるのではないでしょうか。
その後、サリーに別れを告げ、別の土地で同族の青年リーと出会ったマレンは彼と旅を共にし、母親の足跡を辿ります。この旅の道中で2人は互いに惹かれ合い、そして自分たちの過去や罪を吐露していきます。しかし彼らが言うその罪とは果たして本当に罪なのか。いなくなれば全てが解決するのか。答えは誰にも分からないからこそ切なくて悲しいんです。
「何か感じるべき。人を殺し、物を奪い、私たちは去るだけ。未来の話や自分自身を大切にすること、私たちには何もない。つらすぎる。こんなことが60年も70年も続くの?」というマレンのセリフにその悲しみが凝縮されているようでした。
そして母親との再会を経て傷ついたマレンを支えるリー。2人の絆はより強固なものとなります。この母親との再会シーンはあまりにも衝撃が強すぎるため詳しく明記することは避けますが、マレンの母がどれだけ苦しんだか、そしてどれだけマレンのことを愛していたか、「命を絶とうとも思ったけど、いつかあなたが来るかもしれないから」という言葉、そしてその時最愛の娘を傷付けたくないからこそのあの選択肢だったのかもしれません。
その後ほんの一瞬だけ訪れるリーとのありふれた平凡な生活は彼女にとって唯一幸せな時間だったのかもしれません。仕事を見つけ、働いて、映画を見て、愛しあう。しかしその2人の暮らしが長くは続かないということがどう見ても明らかで、それが分かっているからこそ、この2人の日常生活の描写で涙が止まりませんでした。そしてそこからあまりにも辛すぎるクライマックスへと続いて行くわけですが、どうかこの先の展開は御自身の目でお確かめいただければと思います。
あまりの衝撃にまだふわふわしており、なんだか漠然とした表現ばかりになってしまいましたが、ほんの少しでもこの作品の良さが伝われば嬉しいです。全映画ファンにオススメの傑作です!
☆この度ホームページを開設しました!
もしよかったら覗いてやってください。
渋谷裕輝 公式HP↓