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農、とは~日本とケニアの農を考察してみる

私が「農」に関り始めたのは、大学で農学部に進学してから。幼少期は、大好きだったテレビドラマ、「ナースのお仕事」シリーズの影響で医療職に就きたいと思っていた(っぽい)。と言うのも、私はドラマの内容以上に「松下由樹」さんが好きだったゆえ、ドラマがドラマでの世界でしかないことを悟った瞬間、私がなりたいのは「松下由樹が演じていた尾崎翔子」だわ、とその後、医療職への夢はどこか彼方に飛んで行った。ちなみに、松下由樹さんは今でも大好き。

という前振りは、置いておいて・・・

そんな私は、高校3年生で食と農を学びたい!と農学部へ進学した。進学して、私はがっつり農を学び、いつか途上国で米粒を渡されたら田畑を耕し「地」の違う場所で稲穂を実らせ、食糧危機に何らかの貢献をするんだわ、って思っていた。ところがどっこい、専攻したのは「化学」。なぜかって、白衣が着たかったから。もう、妄想と自己判断がめちゃくちゃで、私の周りの人はみんな呆れていた。

という前振りも、置いておいて・・・

大学卒業後は、地元で農業協同組合に就職し、管轄内で一番大きな支店で米穀・果樹・野菜の担当をし営農指導や集荷業務、米穀検査などをしていた。1年1か月で農協の営農業務を自動的に網羅していた。願わずめちゃくちゃ忙しかった。朝5時に起きて肉まんを頬張り、帰宅は20~21時くらいだった。要するに、長時間の体力仕事。

JA時代は途上国の研修生も来てくれた。

仕事として米も作らせてもらいました。

そして、青年海外協力隊として派遣されたケニアでも配属先は、僻地中の僻地(だと思っている)市の農業事務所(ちなみに、希望はルワンダ、セネガル、ベナンでケニアの「ケ」の字も書いてなかった)いざ、配属先に行ってみると、配属先の仕事は9割方他国からの資金支援のプロジェクト。しかも、事務所にいるのは人ではなく「ねずみ」だけ。みんなどこでなにをしているのか・・・というアガサクリスティーも名探偵コナンも難事件だと豪語するだろうミステリー小説の中にいるのかよ、と思った。

ちなみに通勤路・・・・

日本でもケニアでも、幸いにも農家だったり、「農」に携わる人にそこそこ出逢えた。日本では、農業談義をしたり週末終業後、先輩と庭焼き肉に誘ってもらったり、一人暮らしで大変だろうからと野菜や米をもらった。みんな優しくて熱心な人たちだった。ケニアでは、金くれものくれって言われまくり、お前らのせいで貧乏なんだと怒鳴られた。でも、農業について教えてくれたり、ウガリの作り方を教えてくれたりしてくれる人も少ないながらいた。そのため、(安全対策上)関われる人は限られていた。

私が見た限りの日本の農の在り方は、利益追求。ケニアでの農の在り方は、不営利的自家消費(もちろん利益追求型農業をしている人も極々少数でいる)。ケニアは、政府や他国がプロジェクトを行い、利益追求型農業にしようとしていたが、結局、彼らが育て、収穫した作物は彼らの食卓へと並べられ、市場に並ぶことはほとんどなかった。ちなみに、私の任地の主要農産物はメイズ、ケール、牛・・・くらいだった。

日本とケニア、そもそもに在り方が違った。両国、「生きるため」の農業には変わりない。そして、もう一つ両国、いや、世界中の共通点かもしれないが、農を育む人の高齢化。若者は、不安定な収入保障がない体力仕事を避ける。日本では機械化やFOASの導入で作業が効率化されている。とは言え、食の変化や安価な輸入品の増加などで国内産の農産物消費が減少し、単価が労働に見合わない。

白ネギの調整。

そして、ケニアは食の多様性に乏しく、ケニアの人々の食事はいつも同じ。つまり、農作物もメイズ、ケール、バナナ、豆あたりしか実質消費がない。みんながみんな同じものを作っても売れない、だったら自分たちで食べる分だけ(政府が支給した種子で)作ればいいんじゃね?みたいな感じになる(んだと思う、おおもとは)

だいたい食卓はこんな感じ(これも豪華な方)

同じ「農」でも、在り方が違い、目的も違った。比重でも存在するかのように、くっきりと。

地元のスーパーを見ていると、本当にきれいに磨かれたつやつやの白ネギがある。私は、白ネギ出荷の裏側を知っているから少々高くても、買う。ナイロビで高所得層が集うモールで少々しなびた葉物野菜は買えなかった。この野菜の生産の「裏」を知らなかったから。日本でも「顔の見える農業」が話題になったが、口に入れるもの、そりゃ慎重になる。以前、協力隊として研修していた北陸にある組織の職員が、「農薬の基準は(栽培基準前提で)自分が生で口に入れることができないならそれ以上農薬は撒いたらダメだ」と言っていた。その通りだと思う。だから、買うという行為に少しだけ「知る」という要素も必要なのです。日本にいれば。

文化を変えることができないから難しいけど、ケニアにもう少し食の多様性があれば、農の魅力がどこかで光っていたのかもな・・・とも思う。職のない、農村部での主要産業としての農が今後、ニーズに合わせた拓き方ができるように日本でひっそり模索を続けていこうと思う、シロアリマンとともに。

私たちの「生きる」ことを支えてくださっている農家の皆様には感謝しなければならないと思う日々です。

活動の話などは、また今後。

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