水差しダブル

オリエント美術の世界 〜イスラーム〜

アフガニスタンのマザーリ・シャリーフで出土した考古遺物を紹介します。マザーリ・シャリーフは「聖なる墓所」を意味しており、この地名は15世紀に第4代カリフのアリーの墓が発見されたことに由来しています。

メディアによっては長母音を省いて「マザリシャリフ」と記されることもあります。日本では「マザーリ・シャリーフ」と表記するのが一般的です。そう言っているように聞こえるからです。しかし、厳密には「マザール・ィ・シャリーフ(Mazar-e-Sharif)」のほうがより忠実な発音のカナ表記かもしれません。「マザール」は「墓」の意です。

マザーリ・シャリーフは東西を結ぶ交差点として早くから発展してきました。アレクサンドロス大王もこの地を訪れています。大王の来訪を機にヘレニズム文化の影響下で発展してきましたが、現在ではイスラームの文化国となっています。マザーリ・シャリーフは、美しき大都市で私たちの目を釘付けにします。古くから大都市として繁栄していたため、巨大な遺跡群が存在しています。遺跡からは見事な土器や美しいガラス製品が出土します。


オイノコエ
アフガニスタン、マザーリ・シャリーフ出土
10〜11世紀頃制作
ガラス製

オイノコエと呼ばれる特殊な形状の美しい容器。液体を保存し、他の器に移し替える際に利用されました。イスラームグラスの代表作で、三葉形の口縁が特徴です。イスラームグラスとは、7世紀以降にイスラーム文化圏で生産されたガラス製品の総称。

本作は器面に起伏した縞文様が美麗で、表面の銀化も美しい状態です。当初のガラスは王侯貴族に限られた高級品でしたが、1世紀に吹きガラス技法が誕生したことを機に大量生産が可能になり、コストが下がって一般庶民にも広く浸透するようになりました。

本作は口縁と把手が一度割れています。よく観察しないとわからないほど精巧な直しです。オリジナルのパーツをそのまま利用して修復が施されています。ものによっては年代が異なるものや現代のパーツを継ぎ足して直されている場合もあるので注意が必要です。


オイノコエ
アフガニスタン、マザーリ・シャリーフ出土
10〜11世紀頃制作
ガラス製

三葉形が特徴的なオイノコエ。古代ギリシアでは酒器として好まれ、器面にギリシア神話等の一場面を表した土器が生産されました。イスラームでもオイノコエの形状は好まれた。

本作は一見形状や銀化が綺麗なようにも思えますが、把手を修復した痕跡が確認できます。また、器面全体の銀化が美しいですが、これは他のガラスの銀化した部分をペーストしたものです。表面の不自然なパティナからそれがわかります。すなわち、業者によって加工・修復が施されたされたものといえます。しかし、器面以外のパーツはオリジナルであり、ペーストされた銀化ガラスも現在の人工物ではなく、古代のものを利用しています。考古資料としても十分意義がありますが、より美しく加工・修復することで販売促進を試みる業者の工夫も個人的には面白い文化だと感じています。現代と古代が繋がったような感覚、そんなふうに思えるのです。

ちなみに、銀化は土と空気の条件によって生まれる現象なので、ヨーロッパ圏や日本などでは美しい銀化は起きません。乾燥した地域でしかあのような虹色に輝く銀化はできません。そして、銀化は人工でつくることが難しく、一定の環境下で地中に500年以上埋まっていることが発生の条件となります。

こうした水差しは旧居住区から出土することが多いです。人々が日常の生活で利用していたのでしょう。私は当初、ガラス製の水差しは強度が低いので飾りか葬送用に制作されたものだと考えていました。しかし、実験してみると水を入れても問題なく利用することができます。一見すると華奢なつくりのように思えますが、そこにはやはり古代人の知恵があることを思い知らされました。

アフガニスタンではガラスの断片が井戸の中から発見されるケースが多いです。おそらく、当時の人々は割れたガラスや失敗作のガラスを井戸に投げ捨ていたのかもしれません。それゆえ、粉々になった断片ですが、非常に美しい色彩を放った銀化ガラスがかつての井戸からよく回収されます。


オイルランプ
アフガニスタン、マザーリ・シャリーフ出土
12世紀頃制作
土製

緑釉がかけられた美しいランプ。ヘレニズム世界のランプには神話のワンシーンなどが表されましたが、イスラームのランプはシンプルなデザインが特徴。偶像崇拝を禁ずる彼らの宗教観によるものです。しかし、イスラームは器面のデザインをシンプルにした代わりに、機能美を需実させていきました。また、イスラームのランプは、ビザンツ帝国のランプの形状を継承してつくられています。

ランプは土製、石製、青銅製のものが主に出土します。土製は安価なため、広く浸透しました。しかし、油が外に滲み出てしまう難点があっため、受け皿を敷いて利用されることもありました。石製や青銅製は高価ですが、油漏れの心配はありませんでした。ランプは旧居住区の他、墳墓からも出土します。そうしたものは宗教的な意味合いで副葬されたものでしょう。暗闇を照らすランプは、死後の道しるべの光となったことでしょう。


オイルランプ
アフガニスタン、マザーリ・シャリーフ出土
12世紀頃制作
土製

深緑の釉薬が放つ色合いと光沢が美しい。こうしたランプは、軽量な手の平サイズでつくられていました。それゆえ、持ち運びに便利で屋外でも利用することができました。オイルランプは日用品として利用されていたため、相当数が生産されたと考えれますが、完体で残っているものはやはり数少ないです。

ランプは今から約5000年前に登場しましたが、意外にもその構造自体はほとんど変わっていません。基本的には、油を浸した芯を置いて着火する仕組みです。油は胡麻油、椰子の油、オリーブオイルなどが利用されました。しかし、液体状の油が使用できるのは裕福な者であり、貧しいものは動物性の油を利用していました。こうした動物性油を総称して「ギー」と呼びますが、利用時にものすごい臭いが発生します。


以上、アフガニスタンで出土した考古遺物を4点紹介しました。特に「オイノコエ」と呼ばれる水差しは、その形状が独創的かつ美しく魅せられます。アフガニスタンは、文明の交差点として古くから重要な役割を果たしてきました。それゆえ、古代文明を探る上でも、この場所は鍵となります。


Shelk 詩瑠久

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