マークの大冒険 フランス革命編 | もうひとつのフランス史 ブルボン家の指輪
空には入道雲が立ち込め、夏の訪れを感じさせるそんな日だった。頬をくすぐるぬるい風が街に走る。空には一羽の鷲が飛翔している。鷲の目下には大学の敷地が広がっている。緑の蔦が絡む赤煉瓦造りの校舎。校舎の外壁には巨大な時計が埋め込まれており、それがシンボルのように佇んでいる。そんな校舎の一室で、今日も歴史学の講義が行われていた。
「そう、だからナポレオンの功績によって、現在の古代エジプト史があるというわけだ。そして、ナポレオンの登場は、1789年に巻き起こったフランス革命に起因する」
教壇ではマークが講義を行っていた。400人は収容できる大教室で、学生たちが講義に聞き入っている。
「教授、お電話です」
マークの助手であるアルフォンソが電話を彼に渡した。
アルフォンソ
Dr.マークの助手。気まぐれな彼の行動にいつも悩まされているが、マークが最も信頼を寄せている優秀な助手。
「もしもし。何!?エジプトで新しい発見!?場所は?やはりサッカラか!それはボクが行かないわけにはいかないな!分かった、すぐに向かう!!」
サッカラ
死者の街とも言われるネクロポリス(集合墓)が密集するエリア。数多くの墳墓が存在することから、ミイラや副葬品が大量に発見される。その歴史は古く、古代エジプトでは欠かせない土地として、長きに亘って重要視されてきた。
講義室にざわめきが起こった。
「ということだ。最低一週間は留守にする。それじゃ、諸君、休校だ。今日のところは、これでさらばだ!」
マークによる休講の通達で、教室には学生たちの歓喜の声が広がった。
「教授、半期全14回の講義のうち、6回以上の休講は書面での事由提出の上、補講日を設けることが必須とされます!」
助手のアルフォンソは、マークの休講発言にすかさず抗議した。
「その件については、後で考える。それより早く空港に向かうぞ、アルフォンソ!」
「ですが、旅の準備が」
「荷物などどうでもいいだろう。身体さえあれば、何だってできる」
「教授はいつも急なんですよ!」
「学問とはそういうものだ」
「はぁ......」
溜息をつくアルフォンソ。
「行こう、ボクらのエジプトへ!」
アルフォンソの苦労にはお構いなしといった感じで、マークは颯爽と教室をあとにした。
1793年1月21日午前10時____。
フランス王ルイ16世は、パリのコンコルド広場で民衆に罵詈雑言を浴びさせられながら断頭台へと向かっていた。断頭台の上では処刑人サンソンが待っていた。
ルイ16世
ブルボン朝の心優しきフランス王。錠前造りが趣味で、頭脳明晰な人物だった。ギロチンの刃を斜めにすることで、死者の苦しみを軽減する仕組みを開発した者としても知られる。皮肉にも、そのギロチンよって自身も処刑された。妃は、かの有名なマリー-アントワネット。彼らはフランス革命の動乱に巻き込まれ、民衆の前で公開処刑される悲惨な最期を送った。これまでは愚帝として見下されてきたが、近年ではその評価が見直されてきている。
マリー-アントワネット
神聖ローマ帝国のフランツ2世の娘。フランスとオーストリアは敵対関係にあったため、融和のために政略婚でフランスのルイ16世に嫁いだ。当初の夫婦仲は最悪なもので、婚約から7年も結婚に至らなかった。マリー-アントワネットの方が全く好みでないルイ16世を避けていたが、晩年はルイを必要とし頼るようになっていった。ちなみに「マリー-アントワネット」と表記しているのは誤記ではなく、正確性をより考慮した意図的な表記である。マリー・アントワネットと記されることが一般的だが、マリーもアントワネットも、どちらも彼女のファーストネームであり、中黒で区切るのは本来であれば不適切であり、ハイフンで繋ぐのが望ましい。
サンソン
世襲で処刑を担っていたフランスの死刑執行人。どんな死刑囚も最期は彼に身を委ねることになる。その職業柄、サンソンは人々から忌み嫌われていたが、不動産ビジネスで成功しており豊かな生活を送っていた。処刑人と聞くと残忍な人間そのものと思われるかもしれないが、サンソンはルイ16世のことを慕っており、それゆえ、彼にとって王の処刑という運命を受け入れることは非常に困難なものだった。サンソンはルイ16世の処刑後、隠れて彼のためにミサを行った。償い切れない罪を犯してしまったという自責の念に駆られたからだ。これが知られれば、今度は彼が反逆罪として死刑に処されるが、そのリスクを冒してまでも懺悔のミサを執り行ったという。
「どうして逃げなかったんだ?だからボクは、何度も警告したのに。これだけの衛兵と民衆に囲まれていたら、もうどうにもならない」
マークは、断頭台に向かって進むルイ16世に向けて言った。
「私は国王だ。逃げも隠れもしない。最後まで民とともにある」
「だけど......」
「これまでありがとう。楽しかった。時代も国も違うキミの話は本当に新鮮だった」
「時代も国も?」
「隠さなくていい。誰にも言ってないさ。だが、キミはこの時代とは違う世界から来ているんだろう?」
「気付いていたのか」
「とっくにね。いろいろと不可解に思う点は幾度かあったけれど、決定的だったのは宮殿の庭にカラスのような形をした黒い巨大な鉄の塊があった。雨の日に窓からふと一瞬だけ見えたんだ。どう見ても、この時代のものとは思えない。あれを見て確信したよ。キミはこの世界とは別の場所の住人なんだってね」
「雨の影響で一時的に光学迷彩がとけていたのか」
「それから最期に妻にはこう伝えてくれ。キミが今までのことを恥じて私に対して悪かったと思う必要はない。私は全てにおいて満足だった。キミが気に病むことは一切ないと。フェルセンのことも気にしていない。私が死んだら自由にしたらいい。そう伝えてくれ」
優しすぎる男、ルイ16世
上記の台詞は、彼が実際に妻マリー-アントワネットに宛てた遺書に記された内容をベースに脚色にしている。妻とフェルセンの浮気をルイ16世は黙認していた。結婚は契約、純愛は愛人と、という当時のヨーロッパ貴族の暗黙の了解をルイ16世はきちんと理解していた。だが、ルイ16世は生涯愛人を一人も持たず、妻マリー-アントワネット一筋だった。これは彼が熱心なキリスト教信奉者だったことにも由来するが、性格的な部分も大きい。歴代のフランス国王は、必ず多くの愛人と関係を持っていた。「最愛王」と呼ばれたルイ15世が、その典型例だろう。そう言った意味でルイ16世は極めて稀有な国王であり、彼ほど誠実で粋な男はいない。
フェルセン
スウェーデンのハンサムな貴公子で、マリー-アントワネットの愛人。マリー-アントワネットを生涯支え続けたが、彼女の死後、祖国のクーデターに巻き込まれ、リンチに遭って命を落とす悲惨な最期を迎えた。
「キミはどこまでも優しい男だな」
「いいんだ、これを機に彼女を解放したい」
「ルイ、キミは優し過ぎる。それなのに、どうしてこんなことに」
「死は永遠の生の始まりだ。恐れることはない。最後まで王らしく冷静であることが大事だ。だが、心残りは妻と子どもたちだ。マーク、彼女たちのことを頼む」
「......分かった」
マークはしばしの沈黙の後、そう答えた。この沈黙は、彼の葛藤から来るものだった。ローマでも死ぬ運命にあった人物を助けようとして、彼は神の怒りを買った。ルイ16世の願いに寄り添うことは、彼にとって再び同じ過ちを犯すことに他ならなかった。だが、マークにはどうしても、ルイ16世の最後の願いを跳ね除けることができなかった。彼の願いは、切望そのものだった。その情に押され、マークはいたたまれなくなった。
敬虔なクリスチャンだったルイ16世
ルイ16世は敬虔なキリスト教徒であり、熱心な信仰姿勢を見せていた。それゆえ、実際に断頭台の上に登った時も終始冷静な態度だったと伝承されている。一方、妻のマリー-アントワネットは形式的な信仰に過ぎなかった。とはいえ、彼女も断頭台では王家らしく取り乱さない態度に徹したという。
「マーク、最期まで付き添ってくれて本当にありがとう。私の味方はみんな寝返って逃げていってしまった。だから最期に、これをキミに渡しておこう」
「ブルボン家の印章指輪!?」
ルイ16世の印章指輪
現実では、仲介者によって弟のルイ18世に届けられた。この印章指輪には飛翔する鳩が描かれていた。
「そうだ。この指輪が地下室の扉を開ける鍵になっている。ブルボン家の隠されし地下室にキミが必要としているものが、もしかしたらあるかもしれない」
「確かに受け取った。そして、これが私欲のためでなく、人々のために使われることを必ず約束する。ノブレス・オブリージュ、持てる者は持たない者のために、高貴なる者は誰よりも責務を負う」
ノブレス・オブリージュ
「Noblesse Oblige」とはフランス語であり、「高貴さは義務を求められる」の意。この思想は古くからヨーロッパに存在するもので、古代ローマ時代から貴族や富豪は私財を投げ打って都市のインフラを整備した。富める者は、弱者を支える義務があるという思想で、ヨーロッパ貴族の美徳のひとつとされてきた。
「あとは頼んだよ」
「フランスに栄光を」
そうして、ルイ16世は断頭台に上がっていった。マークは彼がギロチン台に取り押さえられるまでその姿を見ていた。国王は処刑人サンソンに上着を脱ぐように指示されたが、最初はそれを断った。だが、サンソンが涙目で懇願すると、とうとう上着を脱いで渡した。処刑人のサンソンも顔面蒼白だった。代々国王の代理として処刑を執行してきただけに、その国王を処刑するなどあり得ないことだった。次に、サンソンは手を縛るので、後ろに回すように指示した。だが、これにルイ16世は「その必要はない」と猛烈に反発した。これは国王のルイ16世にとっては許せない恥辱だった。いくら言っても聞かなかったため、サンソンはお付きの神父に「これでは刑が執行できない」と説得を仰いだ。神父はルイ16世に「これが国王としての最後の試練あり、これを乗り越えれば神に近づく」と諭した。ルイ16世は諦めの表情を浮かべ、神父が持つイエスの神像に口付けしながら両手を紐で結ばせた。中にはこの様子を見て、「ルイ・カペーを早く処刑しろ!」と怒鳴る者もいた。そして、斬首の際に邪魔になる理由から、ルイ16世はサンソンによって髪を短く削ぎ落とされた。そうして、とうとう腹這いの状態でギロチン台に固定された。マークは苦しさのあまりにもう見ていられなくなり、刃が振り下ろされる最期は見ずにその場から駆け足で去った。その後、背後から聞こえてきた処刑執行を知らせる大砲の音で、彼は国王の死を悟ったのだった。
To Be Continued...
アンティークコイン紹介
ルイ16世の肖像を描いた2ソル銅貨。1791年に発行された。ルイ16世が処刑される2年前に造幣されたものである。この時の彼は、まさか自分が国民によって断頭台の上に送られるなどつゆほどにも思っていなかった。
Shelk 🦋