マークの大冒険 | 東風 〜始まりの予感〜
早川瞳がボクの写真事務所に現れてから、一週間ほど経った。
ボクは古代コインを専門としているだけに、早川が鞄から出したアレクサンドロス大王のコインを見てひどく驚いた。彼女が持っていたものは、アレクサンドロスのコインの中でもエジプトで発行された特別なタイプのものだった。
通常、彼のコインは獅子の毛皮を被ったデザインで表されるが、象皮を被った珍しいタイプが存在している。彼女は持っていたものは、まさにその稀少タイプだった。
この種はエジプトでのみ発行されたもので、当時のエジプトでは百獣の王は獅子ではなく、象という認識があったことによる。戦象として戦場に投入された象は、その巨大な体による体当たりで兵士を次々に蹴散らした。そのため、人々から大変恐れられる存在だった。
一説によれば、デザインの変更は偽造防止対策とも言われている。アレクサンドロスの偽造貨が横行していたため、デザインを変更することで贋作職人に対抗したというわけだ。
デザインの意図はどうであれ、このタイプはプトレマイオス1世ソテルがファラオに即位する前のサトラップ(総督)時代にしか発行されなかった。それゆえ、発行期間が短く、レアリティが非常に高い。結果、近年では富裕層の投資用商材としても注目され始めてきている。普通の女子高生が持っているような代物ではないのだ。
であれば、彼女はあれをどうやって手に入れたのか。本人は学校の近くで拾ったと言っていたが、そんなはずはない。あんな貴重品を落とすバカはいないだろう。
最も考えられるのは、彼女の親がコインコレクターである可能性だ。父親の引き出しから綺麗だと思って勝手に持ち出して来たのかもしれない。彼女が通う上崎女学院高校は、ここらでも有名なお嬢様私立校であり、親もそれなりの収入がある人が多い。
推測だが、彼女の学校鞄のポケットに医療器具メーカーのロゴが入ったペンが挿さっていた。あれは医師などがメーカーからサンプルとしてもらうノベルティで、一般では販売されていない。それゆえ、彼女があのペンを持っているということは、親が医療従事者である可能性が非常に高い。経済的に余裕があり、且つ教養もある医者たちはコインコレクターである者も多い。
結論は出た。あいつは親のコレクションを勝手に持ち出した盗っ人だ。非常にけしからん。次に来た時は、塩対応してすぐに店から追い出そう。ボクのものまでパクられる可能性だってある。本当はボクのところに何か物色しに来ているのかもしれない。可愛い顔して、最近の女子高生はやることが怖い。本当に気をつけないとあかんな。
そんな時だった。ボクの店に早川がまた訪れたのだ。カランカランというドアのベル音と共に彼女が現れた。
「こんにちは。この前、一週間くらい前に来たんだけど、覚えてるかな?」
「よく覚えてるよ。そこの女子校の生徒でしょ。それと、キミの親は医者だろ?」
「え!何で分かったの?そんなこと私、話したっけ??超能力!?」
「鞄に挿さったそのペン。前に来た時も鞄に挿してたね」
「え?これ?パパからもらったやつだけど」
「医療関係者にしか配られない、医療器具メーカーのロゴが入ったペンだ。一般販売されていないノベルティで、医師会とかでしか散布されない」
「そうなの?使わないからあげるって、パパからもらっただけだから、詳しいことは分かんないけど」
「まあ、そんなことはどうでもいい。本題に入ろう。キミが前に見せてくれたコインは、本当はお父さんのコレクションなんだろう?どうしてそんな大事なものを勝手に持ち出して来たんだい?」
「は?どうゆうこと?だから拾ったって言ったじゃん!」
「その辺に落ちてるような代物じゃない」
「本当に落ちてたの!それで、今日はこのコインの持ち主らしき人から怪文書が届いたから、それで相談に来たわけ!疑う前に人の話を聞いてよね」
「子どもの妄想に付き合えるほど、ボクも暇じゃないぜ」
「じゃー、これ!ほら!!」
「この怪文書が私たち探偵部の扉に貼られていたわけよ」
「ちょっと待て、マークってボクの名じゃないか。キミと接触したことが知られている。確実にあとをつけられているぞ。何なんだコイツ。ボクとキミをわざと引き合わせたかのような口調だ」
「だから今日、来たんじゃない!あなたの知り合いの悪ふざけかと思って。でも、その感じだと何も知らないみたいだね」
「知らん」
「ところで、謎は解けそう?私たちには、さっぱりだったけど」
「死ぬほど簡単だ。舐めてるとしか思えない。問題1の回答は、AΛEΞANΔPOY(アレクサンドロスの)だ。アレクサンドロス大王の名を記した古代ギリシア文字だ。単語の末尾をYに変格することで、所有格を表している。邦訳すると、“アレクサンドロスの” の意で、本貨がアレクサンドロス及びその後継者による支配下の発行であることを保証する刻印だ。問題2の回答は、コリントス式兜。ギリシア本土のペロポネソス半島に位置した都市コリントで使用されたことから命名された独特の形状を持つ兜で、鼻まで隠れるが、視界が悪く、音も聞こえづらい難点を持ち合わせる。これらはコントロール・マークと呼ばれるもので、造幣の管理に使用された目印だ。発行地や発行担当者によってモティーフを変えて使い分けていた。ヘリオスの頭部やミツバチ、薔薇などコントロール・マークは様々だ」
「嘘でしょ?即答じゃん。普通に古代ギリシア語?読めてるけど、頭大丈夫??」
「常識の範囲内だ」
「けど、情報量多すぎ。問題1が “アレクサンドロスの” で、問題2はコリントス式兜でいいかな?」
「ああ、答えはそれで間違いない。それと、この遊びをやってるのは、キミの学校の内部の人間である可能性が高い。キミらの部室の扉にその怪文書を貼ることができて、且つ扉に貼ったクイズの回答をいつでも見られる立場にある人間。生徒か教師か、あるいは事務員。清掃員って可能性もあるな。鍵を自由に開閉できるセキュリティ会社の職員も視野に入れて良いかもしれない。いずれにせよ、気色悪いな。犯人は時間を持て余していて、暇潰しでやっている。おそらく、金持ちでもあるだろう。レアコインを平気で譲渡しても、何も痛くないほどの金銭感覚。異常者としか思えない」
「とりあえず、答えを教えてくれてありがとう」
「知っているか、知らないか。ただそれだけのことだ。頭を捻らなくても、知っていれば誰でも即答できる。大したことじゃない。それより、これが本当にキミの悪ふざけじゃないなら、警察に相談した方がいいかもしれないぜ?」
「う〜ん。もうちょっと様子見してから、それも考えてみるね」
「気をつけた方がいいよ。老婆心の親切で言っておくけど」
「ありがとう。解いてくれたお礼、このコイン、あげるよ」
「はあ?これ高級品だぞ!?」
「いいよ、私が持ってても仕方がないから。こういうのは、詳しい人が持っていた方がいいと思う」
「タダより怖いものはない。何か企んでないか?」
「ほんと、疑り深いよね?パパのもの勝手に盗った犯人にされたし」
「それは本当にすまなかった。それじゃ、これは預かるって形にしておこう。もらったんじゃないぜ」
「それで気が済むなら。それじゃあ、預けたってことで。なくさないでよね?」
「うむ」
そんなこんなで、ボクはこの早川という生徒とこれから先も関わることになってしまった。厄介事を持ち込む、ハツラツとした美少女に。
にしても、何はともあれ、クッソレアコインじゃねえか、素直に嬉しいぜ。
本の上でしか見られないようなコインを前に、ボクは少し興奮気味だった。こうして自分の手のひらに置いて眺めてみると、やっぱり迫力が全然違う。テトラドラクマのずっしりとした重さや、当時の人間たちの威光が伝わって来る。
やっぱり古代コインは良い。そう、思った。
To be continued...
【キャラクター紹介】
Shelk 詩瑠久🦋