知りたい 絆っていうやつ〜『アイネクライネナハトムジーク』
伊坂幸太郎が2014年に発表した同名小説を「愛がなんだ」の今泉力哉監督のメガホンで映画化した作品。佐藤(三浦春馬)と紗季(多部未華子)のラブストーリーと銘打たれてはいるが、ここで描かれるのは人と人とが出会うことのかけがえなさや巡っていく関係性への愛おしさも含まれていて。誰かと不意に繋がること、必然的に影響を及ぼし合うこと。そんなコントロールできない"由縁の循環"にまでも、優しくタッチして世界のぬくもりに胸が小躍りするような2時間を生み出してくれた。小さな夜の連続が成す、大きな物語。
原作は主人公の異なる6編で構成された連作短編集なので、小粋なオチがぽんぽん重なる気持ち良さがある作品で。つまり1本の映画としてまとめると、ただのオムニバスになるのでは?という不安もあった。しかし、時系列を整理して劇中で経過する10年を実感させたり、話を引き延ばすための雑なものではない丁寧に作られたオリジナルのエピソードを追加したり、物語を群像劇として強烈にうねらせる工夫が施されていのが堪らなかった。根底に流れるテーマを大切に扱い、より明瞭に奇跡が溢れていく様を描いていた。
(ここからネタバレ多め)
小説と違って主人公以外の存在も画面の中でさらりと照らせるのが映像作品の利点だ。今作で何度も繰り返されるモチーフである『落とし物を拾った人と運命の出会いを果たす』という場面が、終盤に亜美子(八木優希)と青年(藤原季節)という、思いもよらぬ人物同士の間で、思いもよらぬアイテムを使ってさらりと描かれたことにじんとなった。この2人がこれからどんな関係を築くのか、それとも何も起こらないのか。それを知ることはできないけれど、誰もが奇跡が起こる寸前を生きていることをそっと示す名場面だった。
また、藤間(原田泰造)の妻との出会いのエピソードを10年間を経て明かすという改変も素敵だった。かつてあった繋がり、根付いていたはずの愛もまた間違いなくかけがえなかったと肯定する眼差しだ。ハプニング的に結婚することになった織田(矢本悠馬)と由美(森絵梨佳)がお互いを語るシーンもまた、家族の在り方の答えのような気がする。「(家族の)この組み合わせが、なんか好きなのよ」と、娘・美緒(恒松佑里)に語りかける場面を観ると、街中の家族たちが途轍もない奇跡の上に成り立っていることを実感して震える。
終盤はずっと涙ぐみながら観ていた。ボクサー・小野(成田瑛基)のタイトルマッチと、原作にはない佐藤と紗季の10年間へのアンサー。そして佐藤と紗季が出会った場所で、久留米くん(萩原莉久)と美緒の姿を捉えて終わるラストカット、この美しさは筆舌に尽くしがたい。偶然に巡り合うこと、すぐ隣に奇跡があること、その繰り返しが世界を動かす“歯車”であること。幾億年と連なる営みの中に、観客である自分もいることを圧倒的な輝度で映し出していた。ハリボテじゃない、僕らが知りたかった本当の絆っていうやつ。
この原作、そもそもは2007年の斉藤和義の楽曲「ベリーベリーストロング~アイネクライネ~」の原案として書き下ろされた短編「アイネクライネ」に端を発している。この曲の歌詞はそっくりそのままこの映画の序盤とリンクしており、歌詞の言葉を役者たちが発するのを観るのはとても楽しい。劇中で楽曲は使用されなかったが、織田の台詞として「ベリーベリーストロング」はしっかり登場してグッときた。てか、矢本悠馬は伊坂作品にはお馴染みの"多弁な男"の役が巧すぎた。色んな伊坂小説のキャラを演じれそうだ。
主題歌として書き下ろされた斉藤和義の「小さな夜」は、「ベリーベリーストロング」の10年後として正しく映画の本質をキャッチした素晴らしい楽曲だった。<劇的じゃなくても>というフレーズを呼応させながら、物語から我々の日々へとゆったりライドさせてくれていた。しかし、今泉監督、前作では唸り悩むほかない「愛がなんだ」を突きつけたかと思えば、こんなにも綺麗な涙を誘う映画も完成させた。でもまぁどちらも"純粋性"というテーマでは貫かれているんだよな。次はどんなラブストーリーをぶつけてくれる?
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