シェア
かおり
2022年7月9日 23:46
同行二人読み方:どうぎょうににんお遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味で書きつける語。一方、キリスト教の世界においても、似たような有名な話がある。キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。あしあと
2022年12月28日 20:31
12/25(日)は、磯子区の寺社仏閣を歩き廻ったのだが、沢山廻った神社は全てが無人であった。そんな中、こちらのお寺の住職には、快く御朱印を頂き、磯子区周辺の事についても教えていただいた。薬王寺の開創は、鎌倉末期の元弘三年(一三三三年)この地、矢部野村に建立されたと伝えられ、鶴慶等大和尚(永正一六年入寂)が中興開山となった後、元禄の世、武州・深川・霊岸寺の沙門・梅山が再び中興を発願して浄土宗に
2022年12月27日 21:14
実は私は以前はキリスト教会に通っていた。だが、カトリックにしろプロテスタントにしろ、「共同体」を強調する。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体からだのよみがへり、永遠とこしへの生命いのちを信ず。アーメン。聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。聖なる教会での信徒らとの交わり。私にはそれが出来なかった。司
2022年9月21日 21:04
保土ヶ谷区と戸塚区の境、旧くは相模国と武蔵国の境だった境木地蔵尊をお詣りした時に、近くの和菓子屋さんから「境木地蔵尊は、岩間町の見光寺さんが管理してるし、よく手入れもされているのよ」と、お聞きした。見光寺さんでは御朱印も頂けるとの事であった。ということで、翌日さっそく、見光寺さんに。開山は江戸時代初期(1629 年)。保土ヶ谷の住人で熱心な浄土宗の信者、茂平夫妻が建てた。寺の周りは緑
2022年9月15日 23:19
こちらは、特に定まった宗派はなく、お地蔵様が祀られている。旧東海道の権太坂を登った場所にあり、昔からの商店が近くに賑わっている。現在、無人ではあるが、保土ヶ谷駅近くにある浄土宗見光寺さんの方が頻繁に訪れ、境内、庭の手入れをされており、綺麗で居心地が良い。こちらを見ると、境木という地名の由来がわかる。江戸時代、相模国と武蔵国の境がここで、バス停前にある樹が目印となっている。尚、ここの
2022年7月19日 23:46
京急線南太田駅の真ん前、それこそ、境内から駅にいる人の顔まで観える場所にこの寺院は建っている。寺院としては歴史的に新しいのではないだろうか。横浜開港と共にこの地に建てられた。こちらの寺院というと「鬼子母神」のイメージが強い。子どもが保育園、幼稚園(4歳から預かり保育のある幼稚園に)の頃、この辺に住んでいた。あんまり言うことを聞かないもんで、ここのお寺に連れてきて、鬼子母神の話をして。
2022年7月30日 14:27
天台宗と言えば、比叡山延暦寺。そこは、平安時代から鎌倉時代、武士の世と移る時には「僧兵」なども擁し、織田信長の比叡山焼き討ちなどが歴史教科書には書かれている。真言宗と言うと「弘法大師様」「各地の伝説」。だが、義務教育の歴史では習わないことばかり。天台宗はというと、宗派の教えなどよりも、歴史教科書に書かれたイメージが強い。さて、こちら横浜市西区にある円満寺は、天台宗本山別格の寺院である。
2022年7月21日 23:57
今はネットを駆使する時代である。それは、2020年以降、顕著になった気がする。ネットを駆使して仏教を身近にした方が横浜にいる。「浜のチョイ悪和尚」と自ら呼ぶ方である。昔からある歴史ある寺院などは門が閉まっており、敷居が高いという先入観はないだろうか?私は、夏目漱石の「門」に出て来ることから、鎌倉市にある円覚寺に対して、そう感じていた。ところが、円覚寺も今の状況でオンライン法話を始
2022年7月18日 22:54
横浜市桜木町から日ノ出町と現代的な高いビルが立ち並ぶ中、こちらの野毛山不動尊は、一つの大きなビルのようだ。こちらの写真、えんじ色のビルの屋上にお寺がある。この写真をパッと観ただけでは、マンションかな?という感じだ。写真の緑に塗りつぶした場所が広い駐車場となっている。そちらに自転車を停め、石段を歩く。石段だからわからないかもしれないが、実際にはかなりの急阪だ。途中、階段に生えてい
2022年7月14日 23:26
この寺院があるのは、横浜市市営墓地、並びに火葬場の真ん前。ちなみに、その市営墓地には吉田茂元首相の墓があり、前にある火葬場で東条英機らA級戦犯の火葬が行われた。私がそれらを知ったのは、2020年4月に亡くなられた尊敬する東洋英和女学院大学名誉教授・H先生が教えてくれたからだ。H先生ら、戦前生まれの方々は戦時中の横浜の事を色々と教えてくださった。西区、中区でも京急線沿いの空襲被害は酷いも
2022年6月3日 14:15
そのお寺を初めて訪れたのは今から10年前。大好きな童門冬二先生が講演会をされるということで行ったのだ。童門冬二に関しては、実の所、息子が10数年前に東京都港区にある泉岳寺の隣の中高一貫男子校に行きたいということで。何度も泉岳寺を訪れたのだ。泉岳寺と言ったら、赤穂浪士!!赤穂浪士関連の書物を沢山読む中で、童門冬二先生のファンになったのだ。それまでの私はというと、仏教のいわゆる「聖人」とされ