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【Ep.11】 ソフィア・コッポラとFUDGEとフレンチ・ヴィンテージの世界

🔑Keywords🔑

Chara/YUKI/ソフィア・コッポラ/Virgin Suicides/ヴァージン・スーサイズ/Lost In Translation/マリー・アントワネット/ルシール・アザリロヴィック/Ecole/エコール/mixi/ART-SCHOOL/FUDGE/パリ/フランス/THEATER PRODUCTS/Crisp/フランス古着/フレンチ・ヴィンテージ/古着屋/JEANNE VALET/ジャンヌ・バレ/JANTIQUES/ジャンティーク/OLGOU/オルゴー/GATE-1/夜行バス/代ゼミ前/bistro SUMIYA



-イントロダクション-

Charaの新しい音楽を追わなくなったのはいつからだったろうか。
『Kiss』のEPが最後か、あるいはその少し後だったか。
記憶は薄れていくが、確かにそこで一度、途切れたのだ。

それは、YUKIの『ミス・イエスタデイ』の時と似た感覚だった。
何かが満ち足りて、自然とそこから消えていく、そんな静かな終わり方だ。

潮が満ちれば必ず引いていくように、私のChara熱も、そうして静かに冷めていった。
それは決して嫌悪や失望といった感情ではなく、もっと自然な、自分の体のリズムのようなものだったと思う。

年齢を重ねるごとに、自分がどうしようもなく飽きっぽい人間であることを自覚させられる。
驚くほどに熱しやすく、そして、驚くほどに冷めやすい。
同じ場所にいつまでも留まることができないのだ。

そしてこの飽きっぽさの根源は、高校時代の私が「広く浅く」生きてきた過去に由来している。


微熱と退廃のシネマティック・エッセンス

2008年秋。
『Virgin Suicides』や『Ecole』の余韻が色濃く残る日々。

二つの映画が醸し出す、どこか退廃的で甘い香りが、高校一年生の私を包み込んでいた。
それは、現実と非現実の境界線が曖昧になるような、微熱を帯びたような感覚だった。

あの独特の匂いに誘われるように、私は同じ空気感を纏う映画たちを求め始めた。

中でも、『Virgin Suicides』をきっかけに触れたソフィア・コッポラ監督作品の『Lost In Translation』、そして『マリー・アントワネット』は、当時の私を形作る上で、間違いなく重要な役割を果たした。

『Lost In Translation』(2003年)は、東京を舞台に、孤独なアメリカ人俳優と若いアメリカ人女性の出会いを描いた作品だ。

異国の地で言葉の壁に阻まれ、どこにも居場所を見つけられない二人の姿は、観る者に深い共感を抱かせる。

『マリー・アントワネット』(2006年)は、タイトル通り、かの有名なフランス王妃マリー・アントワネットの伝記映画である。

しかし、歴史上の人物を題材としながらも、伝記映画特有の堅苦しさは無かった。マリー・アントワネットを一人の少女として捉え、その等身大の姿を瑞々しく描いた青春映画としての側面が際立っていた。

ソフィア・コッポラの作品には共通して、少女や若い女性の内面の孤独、そして社会とのズレによって生じる疎外感といったテーマが描かれている。

それは、言葉にならない感情の揺らめきであり、誰もが心の奥底に抱えている、言いようのない寂しさのようなものだ。

孤独と切なさ、そして美しさ。
少女から女性へと変貌を遂げていく過程の中で生まれる、繊細で壊れやすい感情を、彼女ならではの感性と美学で彩る様は、私を深く魅了した。


ソフィア・コッポラが開いたいくつかの扉

ソフィア・コッポラの作品に映し出された少女たちの姿は、私にとって、憧憬の対象であると同時に、どこか触れてはいけない聖域のようにも思えた。

彼女たちの繊細な輪郭に触れるたびに、私は言いようのない切なさと、そして憧憬にも似た感情に包まれた。
それは、言葉では決して表現できない、複雑で繊細な感情のグラデーションだった。

あの映画の中の少女たちとは似ても似つかない自分が、繊細さや脆さといった、壊れやすいものに惹かれ始めたのはこの頃からだ。

細い糸の上を、バランスを取りながら歩くような危うさ。
そこに足を踏み入れたことは大きな間違いだったようにも思えるし、若さ故の感受性で、いつかは影響を受けざるを得なかったことのようにも思える。

少女たちの憂鬱な表情、虚無感を孕んだ瞳、そして、いつまでも消えない寂しげな微笑み。

それらは、私の心の奥底に潜んでいた、まだ見ぬ自分自身と重なるように感じた。

中でも、『Virgin Suicides』と『マリー・アントワネット』は、私のファッションに対する興味にも大きな影響を与えた。

『Virgin Suicides』の五人姉妹が着るネグリジェや、繊細なレースや刺繍の美しさに心を惹かれ、『マリー・アントワネット』の優雅で甘美なロココスタイルに魅了された。

また、これらの作品は私にとって単なる映画ではなく、ひとつの音楽体験でもあった。

これらの映画たちとの出会いを機に、私の音楽、とりわけ洋楽への興味関心は急速に膨らんでいった。

そして、彼女の作品で出会った音楽は、私の音楽のルーツとなり、以降、洋楽、特にインディーロックやシューゲイザーといったジャンルに深く傾倒するきっかけとなったと言えるだろう。


「広く浅く」の原点 - mixiが育んだ、多様な文化や価値観

高校時代、まだ見ぬ自分自身に戸惑いながらも、私が映画や音楽の世界を広げることができたのは、間違いなく「mixi」というSNSのおかげだった。

コミュニティやマイミクのレコメンドを頼りに、少しずつその奥深い世界を探求していった日々は、今となっては懐かしい。

mixiの細かな仕様はもう朧げだが、コミュニティに参加すると、類似のコミュニティ候補がいくつかアシストされて表示される仕組みだった。

「⚪︎⚪︎のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています」といった具合だ。まるで、ひとつの街から、別の魅力的な街へと導かれるような、そんな感覚だった。

私はそうした導きを頼りに、次々と新しいコミュニティへと足を踏み入れていった。
私の「広く浅く」精神が形成されたのは間違いなくこの時期だ。

mixiのコミュニティは、その人の興味や価値観、つまり、その人の世界観を映し出す鏡のようなものだった。

憧れのマイミクが参加しているコミュニティを覗き見ることは、まるでその人の心の奥底を覗き込むような、そんな体験だった。

そんな中で、頻繁に目にしたのが「ART-SCHOOL」のコミュニティだった。

彼らの音楽は、私をいわゆる「ロキノン系」と呼ばれる音楽の範疇へと導くことはなかった。

むしろ、「ART-SCHOOL」の音楽は、それらのカテゴリに安易に当てはめるべきではない、唯一無二の存在だと今でも思っている。

その代わりに私は、「ART-SCHOOL」の楽曲のタイトルや歌詞から、フランス映画の世界へと足を踏み入れた。

フレンチ・ヴィンテージにのめり込むきっかけとなったのはソフィア・コッポラとの出会いだったが、映画、特にフランス映画の世界へと足を踏み入れたのは、「ART-SCHOOL」の音楽がきっかけだった。

mixiというプラットフォームがなければ、私はこのような素晴らしい出会い、そして、映画や音楽の世界を広げることは叶わなかったかもしれない。

mixiは、単なるコミュニケーションツールではなく、私にとって、新たな文化や価値観に触れるための、かけがえのない場所になっていた。


「FUDGE」とフレンチ・ヴィンテージへの誘い

高校一年生の終わり頃になると、私はソフィア・コッポラの映画やフランス映画の影響を受けて、フレンチ・ヴィンテージの世界に夢中になった。

そして、読んでいた雑誌は「Spring」から「FUDGE」へと分かりやすく変わった。

当時の「FUDGE」は、「パリ」「フランス」「ガーリー」といったキーワードが、まるで魔法の呪文のように繰り返されていたように思う。

その誌面から溢れ出る空気感は、これまで読んできたどんな雑誌とも異なる、もう一つの世界への入り口だった。

私は「FUDGE」に出会うことで、フランスという国、文化に対する興味がどんどん深まっていった。

左下にある2009年3月号の表紙が好きだった

当時、仙台には、数件のヨーロッパ古着のお店があった。
特に気に入っていたのは、小さなビルの二階にある、ひっそりと佇むお店だった。

そこでは、フランスのアンティークブラウスや、ヴィンテージのニットなど、一点もののアイテムに出会うことができた。

白いオーガンジーのワンピースがお気に入りだった

残念ながら、今はもう店名も場所も忘れてしまったが、そこでセレクトされていた「THEATRE PRODUCTS」のアイテムに惹かれたのは、このお店での出会いがきっかけだった。

もう一軒、当時よく通っていたのは「Crisp」という古着屋だった。
一番町にある地下のお店で、学校帰りや土日によく服を見にいったのを覚えている。

残念ながら、Crispは原宿店・仙台店共に、数年前に閉店してしまったようだ。
実家には誕生日の月に届いた、バースデークーポンのDMが残っていた。

高校二年生になると、両親のアシストもあり、少しずつ古着にも詳しくなってきた。

アメリカ古着とはまるで違う、フランスらしい手間の掛け方、生地の質感や風合いがクセになり、気が付くとクローゼットの中はベージュと生成りと白に染まり、髪の毛もミルクティー色に染まっていた。

▽ FBのアルバムに残っていた、当時の部屋の写真たち

フランス古着は特に、19世紀後半から20世紀初頭にかけてはひとつの服にミシンと手縫いの箇所が混ざっているのがとても興味深かった。
手織りした生地で仕立てられ、袖のギャザーや手縫いのボタンホール、胸元の繊細なレースなど、手の込んだフランス古着により一層愛着が湧くのだった。

懐かしのストリートスナップ。
Favorite musicの欄にムズムズするが、これも自分史づくりの上では貴重な歴史的資料。


私のクローゼットはフランスの夢を見る

欲しい服のランクが次第に上がり、私は服を買うためにコンビニでのアルバイトを始めた。
それは、mixiのコミュニティで見つけた、東京の古着屋巡りをするための高速バス代を作るためでもあった。

初めてのアルバイト先にコンビニを選んだのは、高校生可であったこと、そして、髪色に関する規則がなかったからだ。

シフトは基本、毎週土日の6:00-9:00の朝番だった。
場所柄、朝帰りのホストやヤンキーの皆様に絡まれることも多く、その対応と、トイレの嘔吐物処理がとても辛かったのを覚えている。

そんな彼らとのやり取りの中で、私は労働の厳しさを肌で感じた。同時に、自分の人生を支えてくれる両親への感謝の気持ちを、心の底から痛感した。

働いたのは半年程度だったが、たとえ辛い労働であっても、自分の働いたお金で好きな服を買える喜びは格別だった。

そして、金曜日の夜に夜行バスで向かう、東京の古着屋巡りが何よりの楽しみになった。

出発地はいつも仙台駅東口の、今はなき「代ゼミ前」だった。
両親が車で送ってくれて、近くのコンビニで飲み物と朝ごはん用のパンを買った。

バスに乗り込むと、iPodで『Lost In Translation』のサントラを聴いた。『Lost in Translation』のサントラはある意味、この旅のサウンドトラックでもあった。
その旋律は、東京という都市のノイズと混ざり合い、オリジナルなサウンドスケープを生み出した。

時々、バスのカーテンの隙間から街明かりを眺めながら、今回はどんな服に出会えるだろうかと期待に胸を躍らせた。


フランス古着の専門店でもある、代官山の「JEANNE VALET」、中目黒の「JANTIQUES」や「OLGOU」はお決まりのコースだった。

当時、仙台にはフランス古着をメインに取り扱うお店は少なく、フランスのアンティークレースやヴィンテージのアクセサリーが所狭しと並ぶ空間に身を置くだけで、私の気分は大いに満たされた。

どこの古着屋にもある古い木製のハンガーさえも、これらの店の中では特別な存在に思えた。

JEANNE VALET
JANTIQUES
OLGOU

初めて「JEANNE VALET」を訪れた日、ひっそり佇む看板を見逃して、同じ通りを何度も行ったり来たりしていたのを覚えている。

代官山には「bistro SUMIYA」というフレンチのお店があり、ここでランチを一度だけ食べた。
大学生になった上京後にも何度か通ったが、残念ながら数年前に閉店してしまったようだ。

階段を下った地下にある小さなお店で、赤いギンガムチェックのテーブルクロスが印象的だった。

他のエリアだと、下北沢の「GATE-1」というヨーロッパやアメリカの軍モノを取り揃えたお店がお気に入りだった。
ここは父親のお気に入りのお店でもあり、父とお揃いで買ったアメリカ軍のデッドストックのホスピタルスリッパは今も実家で健在だ。

SLIPPERS, CONVALESCENT PATIENTS'
(回復期の患者用スリッパ)

アトリエコートやスモックドレス、ネグリジェなど、当時は夢中で集めていたものも、今はほとんど私の手から離れてしまった。

ただ、『Virgin Suicides』に憧れて買った丸襟のネグリジェは、母親の手によって、普段使いできるブラウスへと生まれ変わった。

そのブラウスを着るたびに、あの小さなビストロでのランチ、そして、あの頃の私を思い出す。

過去と現在を繋ぐ、細いけれど決して切れることのない、確かな糸がここにある。


次回へ続く


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