![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173906962/rectangle_large_type_2_00a9ce9a5a76f0c21ee93ec0cc9950ee.jpeg?width=1200)
食卓の風景が変わった―『暮らし・都市・郊外・地方はどうなるか篇』⑥
『戦後80年で、暮らしと家は、どう変わった?』
私たち摂津倉庫の女子社員4名と社会文化研究家の池永先生の未来展望委員会は、2024年9月に立ち上がりました。「未来展望総論篇」「仕事と会社はどうなるか篇」につづき、『暮らし・都市・郊外・地方はどうなるか篇』で、未来展望をしています
「前回の未来展望委員会は、1人1人が主役のWell‐Beingなまちづくりに向けて、オンライン・DX・メタバースによる『情報空間社会』上に、家を中心とした『リアル30分圏社会』を創造することが大事だということを議論しました」
「本日は、家を中心とした『リアル30分圏社会』を創っていくうえで、その社会の中心である『暮らしと家』のこれまでとこれからを考えていきます」
「1人1人が主役のWell‐Beingな物語が綴れる未来のまちへの挑戦ですね?」
「これからの『暮らしと家』を考えるうえで、『暮らしと家』がどう変わってきたのかをみていきます。そのために、暮らしと家、家族のなかで重要な『食』の位置づけの変化をつかんでみましょう。まず日本と世界の『食卓の風景』の違いから話をします」
「イタリアのランチは、ローマやミラノなど大都会は別として、イタリアではまだ『13時半から』の家が多いそうです。小・中学校は午前中で授業が終わります。おじいちゃんやおばあさんが孫を迎えにいき、両親は仕事場から家に帰ってきて、家族みんなで家でランチを食べるのです。なぜそんなことをしているのか?とイタリア人に訊ねると、『家族だから、一緒に食事するのはあたり前じゃないか』と怪訝な顔をされました
「イタリアの家族はみんなで家でランチするのですか?日本ではあり得ないですね。それも『家族だから、一緒に食事するのはあたり前』ってすごい言葉ですね」
「だからイタリアのランチは13時半からが多い。イタリアの家族は、いまでも2世代、3世代の同居・近居が多いようです。イタリアは、まず家族があり、家族がつながるための『食』があり、家庭の食卓だけでなく、リストランテやトラットリアやバルにも家族や友人が集まります。ディナーは3時間
4時間もつづくこともあります。みんなが集まって語りあう時空間に『料理』があります」
「イタリア人がなにを守り、なにを大切にしようとしているのかは、明らかです。脱線しますが、イタリア料理は『ママの料理』が本質です、貴族のための『フランス料理』との違いです」
「家族を『ママの料理』がつなげているんですね」
「では、日本はどうでしょうか?戦後の日本では、1960年代、地方から都市に若者が大移動しました。この都会への人口移動は、標準家族が3世代から
2世代家族となり、そして核家族に変えました。家のなかに暮らす人の数が減って、単身者が多い社会となりました。戦後の80年間で、家族のカタチを猛スピードで変えました。おそらく日本の歴史で経験のないことが起こりました」
![](https://assets.st-note.com/img/1739111099-cTGXey8NjonZw9S216tvxzi5.png)
「家のなかの6人家族が、80年間で、1人家族になったんですね」
「家族のカタチの変化は、食のカタチも変えました。かつて日本も、イタリアと同じく、家族みんなで昼食をとっていました。もうひとつ2000年代に、家庭の料理で劇的な変化がおこりました。料理レシピの標準メニューが4人分から2人分に変わりました」
「1950~60年に6人だった標準家族が80年代に5人となり、4人、3人となり、2000年代に夫婦のみか単身世帯が増え、1~2人家族が半数を超えて、
レシピメニューが2人分となりました」
「それでどうなったかというと、日本のこどもに『誰と、ごはんを食べた?』と訊ねると、1人で食べる孤食割合は、週の半分以上1人で食べるこどもは約15%となり、寒々とした食卓の風景が増えています」
「料理のレシピメニューを変えるほど、家族のカタチが変わったということですね」
「韓国では、『食事、食べた?』という挨拶があるようです。『食口(しっく)』という韓国語は家族を意味するようです。食事をともにする関係が『家族』、一緒に働く人という意味でもあります。韓国でも『食』が、家族や仲間をつなぐ役割を果たしています」
「やはり、家族や仲間を『食』がつないでいるということですね」
「食のもうひとつの大きな役割をお話します」
「会社のことを英語でcompanyといいますよね?英語companyの語源のラテン語companionは、ともに(com)パン(panis)を食べる(ion)仲間を意味します。食が会社の人と人をつなぐのです」
「会社は、ともにパンを食べる仲間ということだったんですね」
「日本は明治時代にcompanyを『会社』という漢字に翻訳しました。会う社(やしろ)という漢字をあてた『会社』は、ラテン語の語源「ともにパンを食べる仲間」に近いような気がしませんか?」
「その日本の『会社』から、社員の交流の場だった『社員食堂』が減っていき、昼食は事務所のデスクや会議室や公園のベンチや車のなかで、コンビニ弁当やおむすびやパンでひとりで済ます人が増えていきました。昼の休憩時間が空腹を満たすために食を摂るための時間になり、社員みんながつながる『食の場』が減っています」
「日本の会社にとっての食の位置づけが、世界と違うのですね」
「日本の『家庭の食卓の風景』は、戦後、大きく変わりました。卓袱台に座り、家族が輪になって食事をしていたのは、そんなに古くありません」
![](https://assets.st-note.com/img/1739111695-jvQ4trcwY12iISMlVb0dqaus.png)
「卓袱台が普及する前は、囲炉裏端に家族が集まって、火を囲んで輪になって食事をしていた。家族それぞれが座る場所が決まっていて、その日にあったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困っていることを、食事をしながら、だれかが喋り、みんなが耳を傾けて、話をしあいました。食事をしながら、家族みんなの状況を共有していました」
「サザエさんの世界ですね」
「そうです。ちなみにサザエさんのアニメは昭和44年(1969)が始まったので、50年前の日本の平均的家庭の食卓でした。その家のまるい卓袱台から、まず祖父母がいなくなり、テーブルがマルから四角に変わり、そこから父がいなくなり、こどもひとり・大人ひとりの食卓となり、食卓すらない家も増え、食卓に並ぶ品目が減り、パン食となって、食器も減っていきました」
「すごい変化があったんですね。家のなかの食卓の風景が50年で、がらっと変わったんですね」
「その食卓の風景は、家族の関係も変えました。家族数だけでなく、テレビが増え、次にスマホが増えて、食卓での会話量が減りました。それが、家族のつながりを弱くしていきました。しかしそんな日本の食卓の風景が、コロナ禍を契機に変わりつつあります」
「コロナ禍で、価値観が変わったのですね。これまでの未来展望委員会で、議論した構造変化ですね」
「そうです。コロナ禍を契機とした価値観の変化が、暮らしと家を変えつつありますが、どう変わっていくのかについては、次回、考えていきます」
「1人1人が主役のWell‐Beingな物語が綴れる未来のまちへの挑戦ですね。次回もよろしくお願いいたします」
【オンラインセミナーのお知らせ】
摂津倉庫 未来展望委員会が「第2回オンラインセミナー」を開催します!
12月5日(木)に開催した第1回オンラインセミナーに引き続き、「第2回オンラインセミナー未来展望委員会」を2月27日(木)に開催することとなりました。私たち未来展望委員会メンバーも参加します。池永先生が先月のクリスマスウイークにアメリカ視察を踏まえ、トランプ2.0の政界情勢から未来展望、日本の生き残り戦略を考えていきます
![](https://assets.st-note.com/img/1739146008-GUkptSM4s803macuToNfD2z9.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1739112048-OylD4hGu3MqYe7aXi05spxck.png)