【趣旨】 ・最大の目的は”消えそうな風景を記録”する。 ・それを通じて令和に薄れつつある人間の 本質を思い出す。 ・今存在する風景が変化の中で一時の存在 であると再認識して得る事。 【活動方針並びに頻度】 ・自身の週末をメインに訪れた先の風景写真を 交えて趣旨に沿ったレポートを作成。 ・頻度は月一回から二回程(不定期更新) 【記事を見てほしい人】 ・郷愁を感じる風景写真を通じて消え去りつつ ある営みに思いを馳せたい方。 ・古き風景を通じて人間の営みを見つめ直したい方。 ・消えゆく風景写真を通じて思い出に浸りたい方。
【内容説明】 ①Setono_unknownがこれまで訪れた”消えゆく景色”に対して、 独自の考察を実施しています。 ②またその場所の厳選写真と関連する著者の個人的な思い出話 を合わせて掲載をします。 (※上の世代から聞けた話とか.....。)
瀬戸内ダークツーリズム
初めまして。一人カメラ部の管理人Setono_unknownと申します。 属性はアラサー会社員。 掲載内容は普段は人目につかない”消えゆく場所”、”忘れられた場所”を探索した 内容(選定した写真)と考察です。 尚、頻度については月1程度を予定しております。 (※本業の繁忙に影響されますが......。間隔が空くときは申し訳ありません。) また、対象者としては以下を想定しています。 ⅰ:消えゆくレトロな風景に心を惹かれる方 ⅱ:現在ではタブー視されている習慣に興味のある方(※何故存在したのか?) ⅲ:以上二点に関連する風景写真に興味がある方 未熟者ではありますが、何卒宜しくお願い致します。
0.はじめに 皆様、お久しぶりです。Setono_unknownです。 秋も深まって参りました。ここ最近更新頻度が少なくなり、サボり癖が付いたのかと内省している今日この頃です。 さて今回は広島県竹原市の一角にある忠海地区にて遊廓跡を散策しました。この町は「うさぎの島」で有名な大久野島への入り口として知られています。かの島では毒ガス製造のダークな面が知られていますが、その目と鼻の先にある忠海の地も嘗て歴史の負の側面を背負っていました。 1.訪問の目的 私個人の最大の目的は
読者の皆様、いかがお過ごしでしょう?涼しくなり過ごし易い時期が来ましたね。 早速今回の散策地ですが、これまでの瀬戸内を飛び出し鹿児島としました。(※出張の機会を利用した事は言うまでもありません。)場所は鹿児島県下で唯一公認の遊廓、沖ノ村です。 尚、この地名は現在では甲突町と記されています。 1.この場所を知った経緯と訪問の動機 どこで、いつこの場所の存在を知ったのか?問われれば勿論『全国遊廓案内』です。その後、今回の鹿児島訪問に合わせて当時の規模と場所を調べたという流
いつ秋が来るのか?そんな気分でお過ごしの皆様へ。いかがお過ごしでしょうか。 私は仕事の合間を縫って直近の散策対象の調べ物を継続している次第です。(※とは言いつつかなり後回しになっていますが…。) さて今回は広島県呉市音戸に嘗て栄えた遊廓跡を散策、記事にまとめた物を紹介していきます。 1.場所の紹介-音戸ってどこ?- 今回散策する音戸地区は広島県西部の呉市からバスまたは車で20分程度南に移動した場所にです。 海の交通の難所でありながら、音戸大橋と真下に広がる街並
1.今回の散策場所について 朝夕に秋の足音が聞こえつつありますね。季節の変わり目にいかがお過ごしでしょうか?今回は広島県三次市の一角、松原稲荷通り(大正遊廓跡)を散策します。 三次市は広島県北に位置する人口5万人規模の比較的小さな都市です。古くより山陽と山陰を繋ぐ要所として位置付けられていました。また江戸時代には広島支藩の一つとして三次藩五万石の城下町でもあったのです。(※その後広島藩領に戻ります) そして今回の散策場所が嘗ての三次藩政時代のの中心部でした。 尚、芸
1.はじめに 皆様、いかがお過ごしでしょうか? 残暑も厳しい今日この頃です。 今回紹介させていただくのは、 広島県尾道市の一角にある”レトロ”な繁華街です。 一般的には「尾道」と聞いて何を思い浮かべますか?”坂の町”、”レトロ商店街”と言ったところでしょう…。 しかし、今回は観光地の目と鼻の先にある嘗ての遊郭跡を巡り写真撮影を行います。同時に過去を振り返り、遊女を通じて”人間とは?”、”生きるとは?”を考えたいです。 2.散策先の紹介 今回散策するのは久保地区と
朝夜の暑さも和らいで来ましたね。 いかがお過ごしでしょうか?今回は三原市糸崎地区の散策を実施してまいりました。 お目当ては遊郭跡の妓楼建築を写真に納める 事です。 手始めに糸崎って何処?という説明ですが…、 広島県南部の三原市の一角に位置します。 最寄りの糸崎駅は広大な敷地の周りに工場が配置された風景となっています。 歴史的には近代以降工業地域の一角であり、新幹線開業迄は山陽本線の主要ターミナル駅でした。 ではその前は…?北前船の寄港地の一つでした。 駅から徒歩圏内の松濱