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わたしの偏見とわたしがプロジェクト何ちゃらみてざわつく理由
バイト先の先輩で、来年の4月に新社会人になる大学生の子と
“働く“ということにつき語りあった。
聡明な若者との言葉のキャッチボールは、とっても楽しかった。
自分の大学卒業YEARはどんなこと考えてたっけな。
きっと期待より不安の方が大きかったんだろうな。
世間はリーマンショックの余波で
明るいニュースみた記憶もないし。
思い出そうとしてもあんまり思い出せない。
就職を控えた自分の感情が思い出せない代わりに
わたしの脳裏に浮かんできたのは某テレビ局の某ドキュメンタリー番組だった。
某ドキュメンタリー
わたしの大好きな中島みゆきさんが主題歌を添えるそのドキュメンタリーは
“プロジェクト何ちゃら“というタイトルで
何回かしかみたことないけど
絶体絶命!
四面楚歌!
こんなトラブルが!
を乗り越えた“男たち“が
何かを作り上げるまでを取り上げたドキュメンタリー。
(あくまでもわたしの印象)
なぜわたしはざわつくのか
本来わたしがざわつく必要はないのだけれど
なぜざわついてしまうのか…
空飛ぶタイヤって映画で
「お前たち営業部は言われた通りに車売ってりゃいいんだよ!」
って企画部のエリートが怒鳴るシーンがあった。
これって同じ部署内でもあるし事業部同士でも
俺らの仕事の方が偉い!すごい!尊い!
みたいなこと言葉にしちゃう人いるんだよなぁ。
ドキュメンタリーとして放送されない大変な仕事
たーくさんあると思うんだけどな。
勝手に人を脇役にすな!
活躍してらっしゃるのはいいんだけど
ご自分の活躍を際立たせるために
周りの人たちを「俺の補佐」みたく
脇役配置する人がだーーーーーーーーーーい嫌い!
「俺のプロジェクトがさぁ」
「俺がとってきた仕事がね」
「俺の企画やねんけどな」
や、実際100%俺の功績ならいいのよ。
でも大抵土台を作っといてくれる人がいたり
確認とか調整して知恵貸してくれる人がいたり
そもそも個人の力量云々ではなくて
会社の看板の力では?
みたいなオッサン(概念)にたくさん遭遇してきたので
どうしてもざわつくのを止められなくて…
ドキュメンタリーにはならない仕事人のみんなへ
商品や製品の安全性を保つ
安全運転して事故を防ぐ
美味しいご飯を提供する
時間指定で宅配便が届く
安定の医療体制
美味しいコーヒー淹れてくれる
街の安全を守る
ネットワークの安定供給
組織間の摩擦解消を続ける
停電も断水もさせない
数えあげればキリがないし
全部を把握するのにどれだけ時間がかかるかわからない。
けど、何にもなくて“当たり前“が前提の凪を保つ仕事って
Bigストレスな割にスポットライトの外に弾き出されがちで
なんだかなぁって思うので
少なくとも当事者の方は全力で自画自賛してほしいし
(謙虚な気持ちは道頓堀にぶん投げて)
今のこの便利で清潔で安心できる日本を支えるすべての人に
勝手に敬意を払って勝手に感謝したくなった11月の金曜日。