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養蚕県から搾り取れ(下)ー繭は増産しましたが、まだ繊維資源がある?桑の茎の皮を供出です!
表題写真は長野県桑皮生産増強委員会なる仰々しい組織が、子どもに桑の茎の皮はぎを奨励した時のステッカーです。
長野県では、大正時代から製紙原料として桑皮がわずかな量ですが出荷されていました。通常、蚕が葉を食べた後の桑の茎は燃やして暖房や煮炊きに活用するところですが、1937(昭和12)年7月の日中戦争勃発で、製紙原料のパルプ、糸の原料となる綿花や羊毛があるいは輸入制限を受ける中、あるいは軍需優先となってそれぞれの産業が困ってきた中で、この茎の皮が、にわかに注目されす。
最初は製紙原料として好成績を収めてきましたが、1940(昭和15)年に入ると、長野県で学童に桑の皮をむかせて大量に出荷するようになります。つまり、需要が出てきたということです。
そうなると、政府も目を付けてきて、1941(昭和16)年9月には政府が繊維原料として桑皮を統制して本格的に管理するようになり、出荷目標割当の達成のため、長野県は1942(昭和17)年6月には桑皮生産増強委員会を設立しています。ステッカーは、このころ作られたのでしょう。
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やがて、桑皮繊維の服は軍服にも有望との声も上がるようになり、1943(昭和18)年には全国に1000万貫、養蚕県の長野は100万貫と全国の1割の割り当てがなされます。1944(昭和19)年には、帝国議会で桑皮600万貫で労務者作業衣をつくるという方針が決定されるほど、桑皮の重要性は増すばかりでした。この年の桑皮の生産目標は前年の倍の2000万貫と、どんどん無茶になってきます。
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1944年9月13日に政府の情報局が発行した「写真集報」第338号には、長野県稲里村(現・長野市)で桑皮剥ぎに励む児童や桑皮の処理の様子が紹介されています。繊維もなくてはならないとの特集のヒトこまでした。
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この間、生産への見返りとして、長野県には学童服や作業服がたびたび還元されています。1944(昭和19)年5月28日の信濃毎日新聞には、6万着の学童服や作業服が配給割当されることになり、そのうちの4割が桑皮繊維による服の予定でした。桑皮の繊維作りは、敗戦まで続いています。下写真が桑皮の繊維によるとみられる服で、作業服か国民服代わりに使われる予定だったのでしょうか。
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また、服が手に入らない中、自宅で取った桑皮をたたいて柔らかくし、自宅で布に織り上げて学童服にする家庭もありました。証言をうかがった方は、当時国民学校の学童で、これを着て学校へ行きますが、母親は強度が不足しているのが分かっていたのか、帰宅するとすぐ別の服に着替えさせられたということです。
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