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機密漏洩は「見ざる、言わざる、聞かざる」で防御ーもっとも、当局は必要な情報すら隠蔽。規制の動きに注意したい
戦争が始まると、やたらに機密事項が決められていきます。特に日中戦争以後、軍機保護法が際限なく拡大し、例えば靖国神社の九段坂から下を撮影すると高所20㍍以上からの撮影となって軍機保護法違反になるとか。しかし、肝心の「秘密」を実は庶民に知らされていません。そこで、何が秘密になるか分からぬまま、スパイに注意しろという喚起がされていくことになります。「スパイ」という語感が、また、謎めいた雰囲気ですしね。
まずこちら、日中戦争当時の1939(昭和14)年3月、京都府の船井郡防犯協会と園部警察署が作成したチラシです。同郡園部町(現・南丹市)内に配布されたものとみられます。既に物資が厳しくなってきていた時期であり、蝋引きではありますがペラペラの紙です。
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まだ大政翼賛会結成前で、隣組相互の監視などが整っていない時期。前線に兵を出していることを引き合いに、銃後から罪人を出すことは不名誉と呼び掛け「村からは今後絶対に罪人を出ぬ事に致しましょう」と怪しげな日本語で締めています。この時期のこうした呼び掛けは「~しましょう」という、柔らかいものが多いのも特徴です。
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具体的には、ばくちの追放、スパイ(間諜)防止、デマについて取り上げ、特にスパイ関連では「外国では我国の色々な国情調査をして居る事と思いますから迂闊な事は話さぬ様注意致しましょう」とあります。しかし、あくまで注意喚起であり、漠然と「迂闊な事」と言われても困ったことでしょう。まだ取締り側にも緊張感が薄いように思われます。
こちらは、1941(昭和16)年に岐阜警察署で「広告許可」を受けたもので、期限は6月30日まで。具体的な機密事項は示せないから、とにかく「見ざる、言わざる、聞かざる」を徹底するというものです。
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この年の9月から翌年にかけて、国内でゾルゲ事件が発生します。ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲと協力者が検挙されます。ゾルゲは治安維持法違反などで死刑となりますが、日本が南方へ侵攻するという情報をソ連に送ったことで知られています。太平洋戦争突入前後という時期もあり、このころは盛んに「防諜」が叫ばれます。こちらのスパイ防止関連のマッチ箱も、この時期のものと推定されます。また、残念ながら手元にはありませんが、国策紙芝居でも防諜ものがいくつも作られています。
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太平洋戦争の戦局が傾いてきますと、さらに「防諜」が唱えられることになります。今度は隣組での注意喚起もなされるように。こちら、1945(昭和20)年4月の長野県丸子町(現・上田市)の「常会徹底事項」では、トップに「軍需工場の防諜に徹底しよう」という項目を持ってきています。
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内容を見てみますと「最近敵は重要工場の所在地、生産内容等を知ろうとして躍起となっている。不用意のうちに秘密を洩らさざる様、左記事項に関しては充分注意をすること。イ・工場の新設、移転、疎開先等 ロ・生産内容、生産額等 ハ・従業員数 ニ・地下工事、工場の空襲被害状況等」となっています。
既に3月には東京大空襲があり、長野県内には各種の生産設備が疎開し、松代大本営の建設工事のほか、各地で弾薬や燃料を保管する軍用の穴などが掘られていました。こうした住民も従業員や工事に参加しているような事を、漏らしてはいけない具体的な内容として示しました。
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さらに敗戦を目前とした1945年7月の丸子町の常会徹底事項では、1番手に「義勇隊に就いて」と題し「戦局は皇国存亡の危機に直面す」「国民の極致組織として義勇隊が生まれた」などと国民義勇隊の結成を伝えて危機感をあおっています。そして「通信の検閲に付いて」を4番手に取り上げます。
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通信の検閲では、「防諜の徹底を期する為、郵便、電信、電話を検閲し、違反者は処罰せらるに付き注意をする事。注意すべき事項左の如し」とし、工場の新設、移転、疎開、生産内容と生産額、従業員数と移動状況、地下工事・空襲被害状況などとなっており、4月に注意した内容と同様のものです。このころになると軍の移動も活発となっていて、丸子町にも被服廠が疎開していました。軍の名を出さず一般的な話としていますが、住民はそうしたことも含めてのことだと了解していたでしょう。
空襲被害については、疎開者らから聞いた各地の状況も含めてのことだと思われますが、米軍はスパイなどに頼ることなく、戦略爆撃調査団が悠々と飛行して写真撮影し、攻撃効果を把握していました。
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それにしても、4月段階の各自への注意喚起が、7月には通信の強制的な検閲と進んでいます。これは、裏を返せば、住民の自主性では情報が洩れるのを防げないとみたということでしょう。
一連の資料は、秘密ばかりか必要なことも伝えず、最後は住民も信頼しないのが国家権力の姿であること、よく示しています。通信の自由を侵害するような動き、選挙の自由を規制するような動き、こうした規制強化に対しては、十分な監視の眼を行き届かせていかねばならないでしょう。気がついたら、監視されているのは自分たちということになりかねないのです。
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