死にたい時に
僕の心は普段穏やかなのだが、たまにパニック発作みたいにたまらなく苦しくなる。
昨日、その発作が起きた。
どうしようもなくなって、誰にも相談できずに、爪で腕を掻きむしったり頭を叩きつけたりしながら、パソコンに書き散らかしていた。
気づけば途中、爪切りに手が伸びていた。
刃物の自覚がなかったから危なかった。
それから一夜明け。
もう落ち着いている。
書き散らした下書き画面を見ると、
「誰にも言えない」
「自分が悪い」
「助けてなんて言えるはずがない」
など、助けを求められない趣旨の言葉が並んでいた。
ああいう時になぜ誰にも助けを求められないのか、冷静になった今考えてみた。
多分一番の理由は、助けを求めて癒される未来が想像できないから。
頭の中でシミュレーションしても、「どうしたの?」という第一声で詰む。
「どうしたの?」って言葉が一番怖い。
心が一杯一杯なので、
「わからないから苦しいんだよ!」ってキレそうになる。
でも聞いてもらっている相手にそれはあまりに失礼だからと、その苛立ちは押し込む。
すると、理性が強まるからなのか、仮面を被るからなのか、先ほどまでの感情をたちまち見失う。
結局、「ごめん大丈夫」って言葉が出てくる。
本当は何も大丈夫じゃないのに、構図的に「助けて………….いや、やっぱ大丈夫」って言ってきたやばい奴に思われる。
メンヘラに思われるのも、かまってちゃんに思われるのも嫌。そもそも心配させたいわけじゃないし。
つまり、助けを求めて癒される未来が見えない。
SOSで得られるものが何もないのに、
むしろ変に思われたり、屈辱感を味わったり、迷惑かけたりで、余計に傷つくから。
だったら自分で解決した方がずっと楽。
というのが、僕の中での、誰かに頼れない主な理由に思う。
でも、冷静になってみると「どうしたの?」に上手く返せないのは当然に思う。言葉にできなくて苦しいわけだから。
だから、「どうしたの?」に対して「わからない」って回答はごく自然に思う。
「わからないけど、無理。あまりに苦しい。あああ。もうだめ。死にたい」という感じ。
ちなみに、あまりに苦しい時の「死にたい」は嘘じゃないと僕は思っている。
「死なないから、死にたいわけじゃない。」よりも
「(少なくとも今は)死にたいけど、死ねない。」の方が正確な理解だよね。
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引き続き、苦しい時の電話を受け付けています。
(変更・閉鎖することもあります。その時は記事に明記します。)
詳しくはこちらの記事で。
死にたいほど苦しい時(別にそこまで苦しくない時でも)、自傷に走るくらいなら電話ください。
ちなみに、僕にとって話を聞くのは趣味みたいなものなので、借りを作るとか思わないで欲しいです。
誰かの心が晴れる瞬間が好きなんですよね。
あと、創作している人ですからね、色んな人の核心に迫る本音を聞くのは好きなんです。