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小澤メモ|NOSTALGIBLUE|思い出は青色くくり。

20 遠藤周作・作品を読み漁った時代。

冬はヒーター便座の上で文豪を。そんな本たち。
30歳前半は、遠藤周作さんの作品を読み漁った時代だった。ポケットにはいつも何かしらの文庫本がつっこまれていて、出かけるときはもちろん、トイレにまで持ち込んで、彼の物語を追った。携帯電話や本を、大腸菌の巣窟のトイレに持ち込むなんてもってのほかなのだけれど。存命の作家さんなら、例えば白石一文さんとか、新作を楽しみに待つことができる。遠藤周作さんの場合は、未発表原稿を本人以外が編集し直したものが刊行されることはあるかもしれないけれど、とにかく読むべきものには限りがあった。だから、読み漁ってしまえば、最後の1冊は必ずやってきてしまう。タイトルに惹きつけられるままに読み漁ったので、当然、刊行年度順ではなくデタラメなのだけれど、読み漁り最後の3冊をあえて言うと、こんな作品だった。まずは、人生の節目ごとに読み返したくなる『深い河』 (講談社 1993年)。この本は、作家の晩年を代表する、彼が長年描き続けてきたテーマ(クリスチャンであることや日本人であること)の集大成的作品。

エッセイを一遍ずつ読み流す。そんな秋冬の過ごし方。
主人公たちが向かったのはインド、母なる沈黙の河ガンジス。決して、目に見えるかたちの幸福に満ちたものではないけれど、本来向かうべき場所がどこでそれは何なのか。そのように、いつも思慮することをためらったり面倒がってはいけないと教えてもらえる。映画でいうなら『ニューシネマ・パラダイス』と同じで(作用的に。内容というかトーン的には趣が違うけれど)、節目節目で見直すのがオススメ。そして、『眠れぬ夜に読む本』 (光文社 1987年)。これは、雑誌連載『人間百花苑』を改題して1冊にまとめたもの。古い時代の本ではあるけれど、ネタは身の回りのものだったりして、当時の流行や風俗をイメージしながらサクサクと楽しく読める。遠藤文学をいくつか読んで、良い意味で倦んだ後、正月休みなんかにこれを読むといい。タイトルは眠れぬ夜にと書いてあるが、どんなタイミングでも、どの章から読んでもいい。作家はだいたい(?)が、当然、文章が上手い。9時17時(くじごじ)の仕事をしていない。そして、(人とは違うという意味で)変わった視点を持っている。だからか、エッセイはまた1ギア上がって可笑しくて、おもしろい。それに、なぜかほっと安心する。

人生に無駄はない。オワターな時代に読み解く長編小説。
そして、最後に読むことになったのが、『満潮の時刻』 (新潮社 2002年)。これは雑誌『潮』誌上で、1965年の1年間連載し、著者校正されぬまま35年にわたって眠っていたという、作者亡き後の新刊になる。結核に冒され病院での闘病生活を送ることになった主人公の心の行方が綴られた1冊。生前に数多くの作品を残した遠藤周作さんは、書くということにおいて多才だったと思う。多才ではあったけれど、その根幹にあるテーマはブレることはなかった。『沈黙』に代表されるように、その中には常に生と死、信仰と救済といったテーマがあった。もっと言うと、キリスト教しいてはイエスキリストと自身の距離感について考えていたように思う。そして、もうひとつ。彼の物語にあるものは、肺の病気・結核の影ではないだろうか。現代とは違い、作家本人が生きた時代は、結核は不治の病のイメージがあった。入院し生存率の低い手術を受けなければならないということは、人生の終焉宣告されたようなものだった。遠藤周作さんは、人生これから働き盛りというときに、突然に喀血する。結核だった。

作品たちの中にある死の匂い。
『海と毒薬』をはじめとして、彼のエッセイや紀行文にも度々、肺の影に触れた表現がある。遠藤周作さんの作品たちを読んでいると、個人的にはなぜか冬を感じてしまうのは、そのことが大きく影響していた。死が近くにあるというのは、冬の寒さや光景と重なる気がするからだろう。春や夏に死ぬ人もいるし、桜は春に散り向日葵は秋には枯れてしまう。1年を通じて、いや、絶え間なく生あるものは死んでいる。それが事実だけれど、自分的には、遠藤文学にある死の匂いは冬なんだと思っている。病院の冷たい廊下。パイプベッドやトレーや注射器の無機質さ。白衣とマスク。窓の外の曇天。暗く色味が少ない世界。読み進めていくうちに、なんとなく自分自身の具合が悪くなってきたことも少なくない。数日はその憂鬱さから抜け出せないこともあった。とくに、この最後に読んだ『満潮の時刻』という作品は、その傾向が強かった。主人公の明石という40代の男は、結核になり療養生活を余儀なくされる。入院した病院には、自分よりもさらに死に近い人びとが闘病していた。そのうちの何人かは、その後、死んでいった。

実は、はじまりの1冊とおわりの1冊だった。
『満潮の時刻』 は、主人公の闘病生活から物語が生まれ展開していくので、読めば読むほど気持ちは沈んでいく一方かもしれない。そんな本を、もともとオワターなこの社会でなんとかサバイブしている人々に、どうしてオススメしたいのか? へたしたら、余計に滅入ってしまって、ならなくてもいい病気にもなってしまうかもしれないじゃないか! そんなツッコミが入ってもおかしくはない。しかし、そこはじっくり読書して、たまにはシンクタンクしてみるのもいいのではないだろうか。日常的に、もう少し死を近くに思って、だからこそ日々を大切に生きていってもいいのではないだろうか。加えて、遠藤文学で代表作『沈黙』は外せないのだけれど、この『満潮の時刻』は、その代表作とほぼ同じ時期に執筆されている。いわば、表裏をなす2つの作品を読み比べておくのもいいと思う。1冊は、上梓後またたくまに評判を呼び、今では翻訳されて世界中の人が手に取っている。もう1冊は、35年も眠ったままで、2000年代になって、ようやく新刊として陽の目を浴びることになった。満潮(第2の人生)のはじまりとおわりがここにある。そして、それがほぼ同時に描かれていたということに感慨深いものがある。20

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