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【天国への階段】 ~ 初めて綴る遺書 ~

ちなみにレッドツェッペリンではない。あれは名曲だと思うけど…


正直、自分と周りの見識の差には疲れるなぁと思ってしまうのが先立つので、放っておいたら破滅だなとわかっていても積極的に手を出したりはしない。とはいえ巻き込まれるのを待つのもまたストレスではある。差がそこまででないなら努力にも価値を感じるが、ここまで絶望的だとやっぱり疲労が先に来る。

世界にわかっている人は多いと思うのだが、なぜ生活圏には圧倒的に少ないのか。いや見えないものがちゃんと見えている人はいる。でもまだまだ見える部分が少ないために見えてしまっているものに引きずられる判断をする。見えるとは欲だから、欲が強いほど見えるものが鮮明になる。もちろん逆も真である。

私の場合はこのめんどくさいとか疲れるとかを受け入れてしまうと、もうこの世界ではやることがない状態なので、あっという間に死ぬこともわかっている。そして、私にとってはこの世界は一つの私の空想の具現化に過ぎないから、別に歴史も科学も政治も経済も私が消えれば消えるものだから、何もかもどうでもいい。ただ、過程として諦めに支配されるのは明確に嫌だと思うからそこそこ粘っているのだろう。

ある意味、死に場所探しというか、どこで自分の人生に区切りをつけ終わらせるかという思考は、最近特に強くなっている。周囲と自分の見識の差が広がるほど、もうこの世界はいいか、と思う。思ってしまう。そしてその影響が私の体調にも現れる。どうせ幻想だとわかっているから、意味を見出すことに気合を入れればすぐに治るけど、それすらも億劫になり始めているのは、やはり諦めという寿命なのか。人がなぜ生きて死ぬのかわかってしまったことは今生の成果なんだろう。

いちおうなんだかんだ言って世界の広がりはすごいから、いくらでも趣味を選ぶことはできるので退屈だけはしないが、新しいアスペクト(見方・見え方)の探究に没頭するほど、一様になってしまった今の世界に魅力も感じない。それでもなお想像もつかないような世界の側面が見えないかと期待するところはあるが、それこそ自分が立ち向かっていかなければ、そんなおいしい思いはできないのも百も承知だ。

どっちにしても個人で破滅するにしても、世界ごと滅ぶにしてもそこが立ち向かうステージとしては最後なのだろう。

いや、こんなこと言ってないで、見識の溝を埋めるための地道な努力をしろよ、というのが、正解なのだとは思うけど、埋めるためにはやさしく語って理解されるはずもないので、どうしても言い方は荒くなるし、権利を奪いそうに見えてしまうかもしれなくて、それで傷つけられたと勘違いされるのも本当に嫌だ。いずれ、地球を離れるほど遠い将来にわかってくれる日が来ると理解していても、それだからこそ余計に気が重いというのもある。だから、自然な気持ちに従って、ある程度は感情的にやっていけばいいのかもしれない。積極的に動くにしろ、傍観するにしろ。

大枠においては私は世界を選ばない。ただ、歓迎しない世界に意味もなく放り出されている存在は、救済したいと思う。そして、世界が滅びたいならそれに従うし、まだそんな世界を理解する空気があるなら、助力の手を伸ばす。それでいいよね。その役割すらもが尽きるところが死に場所だ。


とりあえずは、いまさら音楽にハマるのもいいかもなぁ。知らないことはいっぱいある。わかっていても知りたいと思えることがどれくらい残されているかという話だ。そういう風に改変はしてるんだけどね。逆にそのせいで知ってるくせにわからないに陥るのがいるから困る。理解できないからと言って知ってるだけの創世の物語をバカにしないでほしいよね。もうエントロピーは生命の力では不可逆なところまで来たのかなぁ。(教養こそがその装置なのにねぇ)。


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