関野哲也

1977年、静岡県生まれ。文筆家、翻訳家。フランス・リヨン第三大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。ウィトゲンシュタイン、シモーヌ・ヴェイユ推し。興味が趣くままに読み、訳し、研究し、書いている。著書に『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた 哲学、挫折博士を救う』がある。

関野哲也

1977年、静岡県生まれ。文筆家、翻訳家。フランス・リヨン第三大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。ウィトゲンシュタイン、シモーヌ・ヴェイユ推し。興味が趣くままに読み、訳し、研究し、書いている。著書に『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた 哲学、挫折博士を救う』がある。

マガジン

  • 随筆・エッセイ

    「MARGINAL NOTES ー 周辺から考えたこと」に掲載された文章ほか、随筆・エッセイ一覧。

  • 【書評】

    気に入った本を紹介しています。

  • 【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』

    本稿は、Josephe-Marie Perrin, « Mon dialogue avec Simone Weil » フランス語原文からの邦訳です。 ジョゼフ=マリー・ペラン神父は、シモーヌ・ヴェイユの友人の一人であり、彼女が洗礼を受けるか否かを熟考するに際しての対話相手でした。それゆえに、私たちが生前のヴェイユを知るうえで、ペラン神父は欠くことのできない第一証言者です。

最近の記事

【随筆】大切な宝物

カメラは、変わり映えのしない日常生活にそっと寄り添いながら、登場人物たちの表情や仕草の機微を静かに写し撮っていく。そんな、日本映画が好きだ。 映画「メタモルフォーゼの縁側」(狩山俊輔監督、2022年)を観た。進路決定を前に、やりたいことが見えない高校生、佐山うらら(芦田愛菜)、17歳。書道教室を開きながら、一人暮らしをする市野井雪(宮本信子)、75歳。58歳も年の離れた二人が、とある漫画を介して心のときめきを語り合う。やがて無二の親友になっていく。 わたしが自身を重ね合わ

    • 【随筆】想像力でストーリーを描く

      わたしの部屋に一枚だけ、写真を飾っている。 祖父と一緒に写ったものだ。物心つくまえだから、わたしが2歳くらいのときのもの。わたしが5歳のときに祖父は他界しているので、祖父との思い出はごくわずかで、断片的にしか覚えていない。祖父が幼いわたしを抱き上げてくれているこの写真も、一緒に撮ったという記憶がない。 しかし、それから40年以上経った現在、この一枚の写真を中心に、母が聞かせてくれた祖父の話をふくめ、わたしが覚えているかぎりの祖父との思い出がつなぎ合わされている。母がよく、

      • 【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』(5)

        『シモーヌ・ヴェイユとの対話』     ジョゼフ=マリー・ペラン 著             関野哲也 訳 ——————————————— 第1部 第4章 証言の真価 ー 真実か幻想か ー われわれは、このような体験、つまりすべての神秘家の体験、そして特にシモーヌ・ヴェイユの体験の信憑性についてよく考えねばならない。私は、彼女がどれほどこの問いに身を投じていたかを知らなかったけれども、私たちの対話において頻繁に話された主題であるだけに、われわれとしてもぜひとも考えてみ

        • 【書評】近藤康太郎『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』(CCCメディアハウス)

          ◎ 10年早く、本書に出会いたかった 私は、いかに狭い了見のもとに、この10年を生きてきたか。 おもしろい〈仕事〉に就ける人が幸せなのではなく、いかに与えられた〈仕事〉をおもしろくできるか。おもしろい〈仕事〉を、人から与えてもらうか(前者)、自分で創るか(後者)。前者と後者では、発想のベクトルが真逆なのだ。 私はこの10年、不本意ながら(でも、頑張ってはいた)生活のために工場や福祉の仕事に従事してきた。その間、私は前者の考えに傾いていた。 しかし、もし私がおもしろい〈

        マガジン

        • 随筆・エッセイ
          5本
        • 【書評】
          3本
        • 【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』
          5本

        記事

          【書評】近藤康太郎『百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)

          こんな人がいたとは(!)著者・近藤康太郎さんに対する私の感慨は、この一語に尽きる。何歳(いくつ)になっても知的好奇心を失わないその姿、私から見て、知的青春を謳歌し愉しみ生きるその姿は、わが人生のお手本にしたいとさえ思わせる。 まず、驚くべきはその読書量。さらには、日本語訳を読んで好きになった作家については、外国語原書を読んでいく果てなきグルーヴの追求。そして、答えを得るためではなく、新たな問いを立てるためにという、読書への向き合い方。 ◎ この世界とは、「生きる地獄」であ

          【書評】近藤康太郎『百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)

          【書評】近藤康太郎『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)

          ◎〈善く、生きる〉ために、書く 本書は、「書くこと」について、小手先の技術を披露するハウツー本ではない。むしろ逆に、そのような小手先の技術を排して頼らず、〈自分の目で世界を観察し、観察したものを自分の言葉で言語化すること〉を読者に促す書である。 本書がそう促すのは、なぜか。副題にあるように、それはすべて、私たち一人ひとりが〈善く、生きる〉ためである。この〈善く、生きる〉ことと、自分の言葉で言語化することが、本書においてイコール関係で結ばれる。さらに言えば、そのイコール関係

          【書評】近藤康太郎『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)

          【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』(4)

          『シモーヌ・ヴェイユとの対話』     ジョゼフ=マリー・ペラン 著             関野哲也 訳 ——————————————— 以下の「シモーヌ・ヴェイユにおける霊的体験の軌跡」は、訳者が作成したものです。参考資料として、冒頭に付します。読み飛ばしていただいても構いません。 第1部 第3章 大いなる天啓 唯一シモーヌ・ヴェイユの言葉(話されたもの、書かれたもの)をとおして、われわれは彼女の神秘的な体験を追うことができる。ところで、神を体験したことについて

          【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』(4)

          【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』(3)

          『シモーヌ・ヴェイユとの対話』     ジョゼフ=マリー・ペラン 著             関野哲也 訳 ——————————————— 第1部 第2章 カトリックとの三つの「接触」 ー ポルトガル、アッシジ、ソレム ー ポルトガル シモーヌ・ヴェイユ自身が「霊的自叙伝」と呼んだ手紙(『神を待ちのぞむ』所収、手紙IV)において、彼女が経験したカトリックとの三つの接触について私に伝えている。その「接触は、真に重要」であり、「キリストが降りてきて、私をとらえたのです

          【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』(3)

          【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』(2)

          『シモーヌ・ヴェイユとの対話』     ジョゼフ=マリー・ペラン 著             関野哲也 訳 ———————————————————— 第1部 第1章 「本の冒頭」 シモーヌ・ヴェイユはいくつかの大変美しい詩を残している。彼女にとって、それは自身のひとつの表現方法であった。以下の詩は特に重要である。私がここに引用する詩に彼女がつけた題[プロローグ]がわれわれにその重要性を知らせている。 ——————————————— ニューヨークを離れる際、シモーヌ

          【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』(2)

          【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』前書き(1)

          『シモーヌ・ヴェイユとの対話』     ジョゼフ=マリー・ペラン 著             関野哲也 訳 ———————————————————— ———————————————————— まえがき この信頼の込もった、かつ差し迫った呼びかけは、帰国する希望なく離れていくシモーヌ・ヴェイユが私に宛てた別れの手紙の結びである。友情への責任感、彼女と私が得た使命への義務感、それは大切な、様々なものが入り混じった、そして未完成なものだった。 彼女の願いを叶えるために、と

          【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』前書き(1)