【随筆】大切な宝物
カメラは、変わり映えのしない日常生活にそっと寄り添いながら、登場人物たちの表情や仕草の機微を静かに写し撮っていく。そんな、日本映画が好きだ。
映画「メタモルフォーゼの縁側」(狩山俊輔監督、2022年)を観た。進路決定を前に、やりたいことが見えない高校生、佐山うらら(芦田愛菜)、17歳。書道教室を開きながら、一人暮らしをする市野井雪(宮本信子)、75歳。58歳も年の離れた二人が、とある漫画を介して心のときめきを語り合う。やがて無二の親友になっていく。
わたしが自身を重ね合わせたのは、うららだ。井雪に背中をおされ、漫画を描こうと思い立つ。心のどこかでずっと描きたかった。でもわたしなんかには無理、と自分に言い聞かせていた。でも、描いてみよう。
できあがってみたものの、うららは自分の作品に自信がもてない。自分に自信がないのだ。だから、自分の作品も信じてあげられない。「がんばれ! 自分を信じて! 自分が自分の作品を愛してあげなくて、どうするんだ!」うららには、そう言ってあげたい。だが、この言葉、そのままわたし自身にも言ってあげたいと気づいた。
わたしは『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた 哲学、挫折博士を救う』(CCCメディアハウス)を出版させてもらった。きっかけは、わたしのTwitter(現X)をたまたま読んでくれた担当編集者さんが、「いい文章を書くひとだ」と思ってくれたからだ。初めて彼女からもらったメッセージはこうだ。
この本を書いていて、いちばん苦労したのは、「生身の体験から得る哲学」という部分だった。これをどう解釈してよいのか、最初はわからなかった。自身の生身の体験(嬉しかったこと、苦しかったこと、がんばったこと)を哲学に結びつけて考えたことがなかったのだ。これまで書いてきた論文にも、それらを綴ったことはない。ましてや、自分のことを書くなんて恥ずかしいし、誰も興味がないのでは、と思った。
『世界はきらめいていた』という書名にあるように、わたしの目に「きらめいて」見えていたものは、答えのなかなか出ない謎ともいうべき、哲学の問いだった。それは、人間や世界の構造を問うものだ。たとえば、次のように。
執筆中、原稿を読んだ編集者さんから、「もっと関野さんの体験が読みたいです」と提案があった。それはつまり、「このひとの文章が読みたい、このひと自身のことが読みたい」ということなのだと、今のわたしなら解釈できる。だがそのときには、なにをどう書いたらよいものか、呻吟した。
友人が助言をくれた。「関野さんにとっての(アウグスティヌス)『告白』を書いてはどうですか?」と。この言葉で、一気に視界がひらけたような気がした。
そうだ、哲学に出会ってからの25年の人生を振り返り、自分のことをさらけ出そう。哲学的な思考を用いて、どうやって生きてきたのか。人生のなかで、わたしにとって哲学とは何であったのか。そのことを書こう。そしてわたしは、次のように記して、筆をおいた。
哲学の問いが「きらめく」世界。そして、もうひとつ「きらめいて」いたものは、苦しいときに悩むのではなく、どうしたらこの苦しさを乗り越えられるのかを、必死に考えていたわたしの思考の軌跡だったのかもしれない。書き上げてからそう思った。
自分にとっては、これ以上のものは書けないと思う本ができた。しかし反面、どれだけのひとに読んでもらえるのかは、まったくの未知数だった。作品の良し悪しではなく、この未知数がわたしを不安にさせた。
そんなとき、ある友人がこう感想をくれた。
もうひとりの友人はこう評してくれた。
10年前に双極性障害になってからというもの、まるきり自信がもてなくなった。弱気になるうえ、判断力が鈍り、ものの捉え方が否定的になるのだ。しかし、病気のせいにしていては、前に進むことはできない。自信がないなら、ないなりに、友の助けを借りてもよいのではないか。自分の信頼するひとの言葉に、寄りかかってもよいのではないか。
権威あるひとの評価ではなく、ましてどれだけ売れたという数字でもなく、なにより自分が大切にすべきものは、こうした嬉しい感想の数々だ。たとえ数は少なくても、「よかったです」という言葉がわたしを勇気づけてくれる。それらひとつひとつが、大切な宝物なのだ。宝物として、自分のなかで温めることができたなら、今度はそれがわたしの自信の源になってくれるはず。
「この本は、長く読まれる作品であってくれればいい。」これは編集者さんの言葉だ。本書がわたしの手を離れ、自由に飛びまわり、哲学を必要とするひとの手元に届いてくれたなら……。そして、誰かの生きる力になってくれたなら……。そう願ってやまない。うららにも言ってあげたい。「その作品が、君の知らない誰かをきっと癒しているよ」と。
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