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【私訳】『シモーヌ・ヴェイユとの対話』(4)

『シモーヌ・ヴェイユとの対話』
    ジョゼフ=マリー・ペラン 著
            関野哲也 訳

訳者より
本稿は、Josephe-Marie Perrin, « Mon dialogue avec Simone Weil » フランス語原文からの邦訳です。
ジョゼフ=マリー・ペラン神父は、シモーヌ・ヴェイユの友人の一人であり、彼女が洗礼を受けるか否かを熟考するに際しての対話相手でした。それゆえに、私たちが生前のヴェイユを知るうえで、ペラン神父は欠くことのできない第一証言者です。
訳出に際して、底本として以下を用いました。
Josephe-Marie Perrin, « Mon dialogue avec Simone Weil », nouvelle cité RENCONTRES, 1989.

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以下の「シモーヌ・ヴェイユにおける霊的体験の軌跡」は、訳者が作成したものです。参考資料として、冒頭に付します。読み飛ばしていただいても構いません。

シモーヌ・ヴェイユにおける霊的体験の軌跡

(1)1935年9月 カトリックとの最初の接触

9ヶ月間の工場労働を終えた後、シモーヌ・ヴェイユは激しい偏頭痛に襲われる。8月末から9月にかけて、彼女は両親とともにスペインとポルトガルを旅行する。ポルトガルの小さな漁村に滞在中、彼女はカトリックとの最初の接触をもつ。彼女は後にペラン神父に宛て書いている。「そこで、突然、私はキリスト教とは極めて奴隷の宗教であるという確信を得ました。奴隷たちはその宗教を信ぜずにはおれず、そして私もまた彼らのうちの一人なのです」(『神を待ちのぞむ』)。

(2)1937年4月から6月 カトリックとの二度目の接触

1937年4月23日から6月16日にかけて、彼女はイタリアへ旅行をする。彼女は両親とスイスのモンタナで知り合った医学部生・ポステルナクへ宛て多くの手紙を書いている。イタリアのアッシジにおいて、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の小さな礼拝堂へ彼女は入る。後年、彼女はペラン神父に書いている。「私より強い何かが、生まれて初めて、私にひざまずくように強いたのです」(『神を待ちのぞむ』)。

(3)1938年4月 カトリックとの三度目の接触

1938年4月10日から19日にかけて、彼女は母親とともにフランスのソレムに滞在し、典礼に出席する。これも後年、彼女はペラン神父に書いている。「その典礼を通して、キリストの受難の考えが一度に私のうちに入ってきたのです」(『神を待ちのぞむ』)。その際、聖体拝領を受けた一人のイギリス人青年を通して、聖体の秘跡の徳という観念を初めて彼女は得る。また、その青年が彼女にイギリスの形而上学詩人の作品集を教える。後に、その中に、彼女はジョージ・ハーバートの詩「愛(Love)」を見出す。

(4)1938年11月、もしくは12月 キリストの現前の最初の体験

1938年11月から12月にかけて、酷い頭痛がした際、彼女はジョージ・ハーバートの詩「愛(Love)」を必死に唱えた。その時、彼女はキリストの現前の最初の体験をする。この体験は後に、1942年5月15日頃、ペラン神父とジョー・ブースケに手紙で明かされている。「私はそれを単に一篇の美しい詩として唱えていたつもりだったのですが、私の知らないうちに、それは祈りの徳を有した暗唱となっていたのです。そして、その暗唱の中、キリスト御自身が降りてきて、私を捉えたのです」(『神を待ちのぞむ』)。

1940年のクリスマス、彼女はピエール・オノラとその妹・エレーヌと再会する。このエレーヌがシモーヌにペラン神父を紹介することになる。1941年6月7日、シモーヌは初めてペラン神父と会う。そして、この日から約10ヶ月間、彼女とペラン神父の対話がなされた。

(5)1941年9月 キリストの現前の二度目の体験

その頃、彼女はギリシャ語で「主の祈り」を誦(そらん)じることができていた。彼女にとって、それは最初の祈りの喜びであった。彼女はペラン神父に書いている。「この詩の暗唱の徳は計り知れなく、私をその都度、驚かせています。と言いますのは、毎日、私が何を感じていようとも、その徳は私の期待を超えるものだからです… 空間が開きます。知覚される通常の空間が無限になり、それが二倍も、時には三倍もの力による無限に取って代わられるのです。同時に、この無限の無限は端から端まで静けさに満たされます。それは無音の静けさではなく、明白な感覚の対象であり、音よりももっと明白なのです。物音がするならば、この静けさを通した後に私にやって来るのです。また時に、この暗唱の間、もしくは他の時に、キリストが御自ら現前されます。その現前は、初めてキリストが私を捉えた時よりも、もっと現実的で、もっと胸が張り裂けるような、もっと明らかな、もっと愛に満たされたものなのです」(『神を待ちのぞむ』)。

(訳者のノート)

第1部

第3章 大いなる天啓

唯一シモーヌ・ヴェイユの言葉(話されたもの、書かれたもの)をとおして、われわれは彼女の神秘的な体験を追うことができる。ところで、神を体験したことについて、彼女はアメリカへ向けて出発する間際まで沈黙を守っていた。出発に際して、彼女は手紙によって私にそのことを打ち明け、そして偉大な傷痍(しょうい)軍人・ジョー・ブスケにも手紙を書いている。

おそらく、彼女を理解するうえで、長く驚嘆すべきこの二つの手紙を互いに比較することほど重要なものは他にない。われわれの主題については、この二つの手紙がそのテクストである。私に宛てられた手紙(私はそれを点字にしてもらった)を何度も読み、考えるなかで、同日(1942年5月中旬)にジョー・ブスケに宛てられた手紙がもたらすもの、補うもの、つけ足すものを私はさらに理解できたように思う。

彼女はジョー・ブースケに書いている。

それまでの全生涯において(彼女の全生涯のその[体験の]時まで)、神という言葉自体、私の頭のなかのどこにもありませんでした。約三年半前のその日以来、私はその言葉を拒むことができなくなりました。身体に激しい痛みがあるとき、その愛に名を与える権利は私にはないとは思わず、私はそれを必死に愛するように努めました。その時、全くの不意に(と言いますのは、私は神秘家の著作を読んだことがありませんでしたから)、理解不可能な、人間の存在よりも一層人間的な、より確かな、より現実的な現前(Présence)を私は感じたのです。そして、感覚や想像においては、愛する者のもっとも優しい微笑みを通してうかがえる愛に似たものを感じたのです。(中略)追伸 私があなたにお話ししていた英語の詩「Love」をここに添えます。この詩は私の人生で重要な役割を持ちました。なぜなら、この詩を自身に語りかけていたとき、そのとき初めて、キリストが私をとらえに来たのです。一篇の美しい詩としか思えていなかったのですが、私の知らないうちに、それは祈りとなっていたのです。

(「ジョー・ブスケへの手紙」)

彼女が私に宛てた手紙は、本書の第3部に掲載する。

このテクスト[手紙]に何ごとかをわれわれはつけ加えることができるであろうか、もしくはつけ加えねばならないだろうか。シンプルに述べられていることを、そして言葉を超えたものをよりよく理解するために、われわれは何らかの言葉に頼るべきであろうか。おそらく、「キリストが降りてきて、私をとらえたのです」というこの言明に匹敵するものは他に何もないことは確かである。

彼女の言葉を注意深く省察する者にとって、その言葉は光彩を放つ。そしてその言葉を深く掘り下げつつ、われわれはその言葉の理解へと進むことができる。何よりも決して忘れてはならないことは、感覚も、想像も、この天啓のうちにどこにも居場所をもたないことである。それは霊的な交わりであり、その点においてのみ、われわれは彼女の言葉を深めることができる。

さらに、彼女へのこのキリストの降臨はまったく特徴的である。この点については後ほど立ち返らねばならない。それは、たとえばフロッサール(訳註1)の場合のように、不意の偶然ではない。もしくは、サウロ(訳註2)の場合のように、ダマスカスへの道の途上においてこの上なく強烈な印象を与えるという仕方でもない。彼女は身体のひどく激しい痛みに苦しんでいた。そしてその痛みにもかかわらず、彼女が名を与えたがらなかった何者かについて語る詩を懸命に唱える。彼女はお腹を空かした、どこかにパンがあることを知るよしもなく泣き叫ぶ子供である。「重要なことは、魂がお腹を空かして泣き叫ぶことである」(『神を待ちのぞむ』と彼女は書いている。

以下が、皆が私に望んでいた詩「愛(Love)」の翻訳である。

愛(Love)

愛が私を迎え入れた
だが、私の魂は後ずさりした
自身に埃と罪を見て

しかし愛ははっきりと見てとった
私がためらうのを見てとった
私が一歩踏み入れるとすぐに

私に近づき、優しくたずねた
私に何が足りないでいるのか、と

私は答えた
「ここに相応しい招かれし者」
愛は言った
「それは君だ」

私は取るに足らない、恩知らずでは
おお、私の愛する主よ
私はあなたを見つめることができない

愛は私の手を取り、笑って答えた
「私でなければ、誰がこのような目をしていよう」

ー そうです、主よ、しかし私はそのお目を汚(けが)してしまいました、何と恥ずかしきこと

ー 君は知らないのか、そう愛は言った、誰が私を咎(とが)めたのか、を

ー 私の愛する主よ、それでは、私は仕えます

ー 座りなさい、そう愛は言った、そして私の料理を味わいなさい

私は座り、そして食した

したがって、もしこう言えるならば、これが[愛との]邂逅(かいこう)の枠組である。シモーヌはそこに何を見出したのだろうか…… 彼女はその一瞬に、キリストのうちに、神は現実であり、人であり、愛であることを見出した。まず現実であり、それは言葉や観念ではない。彼女は神の問題を問うたことがなかったし、神について考えることもしなかった。しかし神はそこにいた。「人間よりも人間的な、確かな、現実的な現前として」(「ジョー・ブスケへの手紙」)。神は絶対者(l'Absolu)であり、「人と人との」関係を構築するあなた(Toi)であると彼女は述べている。「われわれにとって、欲求の対象は、唯一の、純粋な、絶対な、思いもよらない善でなければならない」(『秘跡論』)。

神は善、その通りである。しかし神は実に優しく愛する方でもある。特に、愛。神の優しさは他の何にもまさり、心を照らす。シモーヌの所へ到来し、彼女の言葉を自在にするために、キリストは三つの距離を取る。まず、意図的な否定の距離。それは敬意によるものであるが意図的なものである。次に、よく考えられた、と同時に、動機づけられた不可知論。最後に、キリストの苦しみの意識が彼女をへりくださせ、触れたものを彼女に疑わせる。キリストは激しい苦しみのうちにおいて彼女を愛し、その愛を示す。彼女はすべての不幸な人々の不幸を、いわばそのキリストの激しい苦しみのうちに置く。この最初の邂逅(かいこう)の後すぐ、彼女はキリストは神であること、救いに来た神であることを知る。

キリストにとらえられたシモーヌの体験について我々の考察をさらに推し進めるために、ひとつのテクストが非常に有用である。そのテクストとは「神への暗々裏な愛の諸形態」の最後の章である。その章題は「暗々裏な愛と明白は愛」と名づけられている。そのテクストは神への暗々裏な愛の諸形態の変形の研究のひとつとして著されている。しかし実際のところ、彼女は何を参照したのだろうか…… それは、彼女が記した彼女自身の体験であろう。したがって、われわれとしては注意深くこのテクストを研究すべきであると思う。

そのテクストにおいて、キリストとの邂逅(かいこう)によって引き起こされた魂のうちでの動揺を彼女は示している。彼女のうちにおいて、隣人、世界の美、宗教的実践、友情へと上昇するものは、下降する動きとなる。なぜなら、それらはキリストの眼差しと愛へ与(あずか)るものだからである。

雛は殻を割ったのである。雛は世界の卵の外にいる。当初の諸々の愛は残り続け、以前より激しいものとなる。だが、それらは以前とは別物となる。この冒険を経た者は、以前より増して、不幸な人々を愛するに至る。不幸においてその者を助くる人々、友人、宗教的実践、世界の美を愛するようになる。しかし、これら諸々の愛は、神の愛と同様、下降する動きとなる。神の光のうちに溶け込んだ光線となる。少なくとも、我々はそう想定しうる。

(『神を待ちのぞむ』「神への暗々裏な愛の諸形態」)

このテクストの意味を彼女自身の体験に見出すうえでわずかに妨げになるものは、まばゆい邂逅(かいこう)の後、それがただ一度きりの体験であるとは思わずに彼女が再びお腹を空かせていたかどうかをわれわれが知るためのいかなる資料もないということであろう。—「ある日、彼は言った。行きなさい」 このことが正しいのならば、チボンが考えるように、「主の祈り」を見出す以前の1941年夏、サン・マルセルにおいて、彼女は彼にそれを打ち明けていたであろう。

「神への暗々裏な愛の諸形態」において、彼女は次のように述べている。

もし神が、長く待ったのちに、その光をおぼろげに照らし出し、同様に御自らを現すとしたら、それはこの瞬間でしかありえない。再びじっとして、注意深く、そして動かず、待たねばならない。欲求があまりにも強くなるときまで、ただただ呼びかけつつ。

(『前掲書』)

おそらく、凝り過ぎていると私を批判する向きもあろう。そうであれば、私は彼らに許しを乞いたい。しかし彼らが私の考えを理解してくるようにも願いたい。私は完全に正しくありたいと願っている。そして神秘家の生涯において比較的稀なこの証言が、「対象なくして待つこと」を理解する上で、重要であると私には思われるのである。

したがって、彼女にとってそれが起きたことがいかなる瞬間であろうと(最初の[キリストとの]邂逅、もしくはサン・マルセルでの[主の祈り]を暗唱した後)、神との邂逅を果たしたときに、彼女の[神への]愛は明白なものとなる。美は感覚的なものに充てられるだけに、神とは魂を魅了する美であると魂によって見出される。しかしここで、もうひとつ他の次元が問題となる。それは音やハーモニーよりもさらに豊かな静けさである。

魂自身によって、見て、聴き、触れた者は、神のうちに、反映のような、間接的な諸々の愛のリアリティを認める。神は純粋な美である。そこに理解不可能なものがある。というのは、美は本質的に感覚的なものだからだ。非感覚的な美について語ることは、心のうちに厳しい要求を持つ人、また理性的な人にとっては、言語の乱用のように思われる。美は常にひとつの奇跡である。だが、もしそれが空想ではなく、聴こえてくる歌が引き起こすような現実的で直接的な印象であるのなら、魂が非感覚的な美の印象を受け取る際、二つ目の段階の奇跡が存する。奇跡的な恩恵によって、あたかも感覚それ自体に現れるように、すべてはそのように起きる。静けさは音の不在ではなく、音よりもさらに無限に現実的なものである。そしてそれこそが、感じることのできる連なった音の美よりも、さらに完全なハーモニーの場なのである。さらに、静けさのうちにも段階がある。神の静けさに対して、物音としての宇宙の美のうちに静けさがある。

(『前掲書』)

この光のうちに、神の超越性による非人格的な性格を損なうことなしに、神は人として覚知される。また、神は「特に友人」である。彼女の対等を要求する「友情」という概念のゆえに、彼女はこの点を強調する。彼女は同じテクストにおいてこう言っている。

神と私たちの間にある無限の距離をとおして、何かしら対等なものが存するためには、神は被造物のうちに絶対的なものを据えた。それは同意の絶対的自由であり、神への方向づけを刻印したのではない。

(『前掲書』)

さらには、すべてが変化する。

隣人、友人、宗教的儀礼、世界の美は、魂と神との直接的な触れ合いのあとには、非現実な事物の列には堕しない。反対に、唯一そのときにおいて、事物は現実的なものとなる。以前は、それらは半夢であった。以前は、いかなるリアリティもなかった。

(『前掲書』)

彼女のこの表明の重要性をわれわれは理解できるだろう。

裏切りの罪なるものは、そのような天啓の前であっても、または後であっても、神は愛するに相応しい唯一のかたであることを疑うことである。

(『前掲書』)

このテクストについて熟考することは、シモーヌ・ヴェイユ、彼女の体験の真価と彼女の抱く困難さをわれわれが理解するうえで、ますます重要であると私は思う。それぞれの神秘家は自身に言い聞かせ、そして他者へと自身の唯一の体験、人間を超えた体験を自身の概念と言葉によって語る。シモーヌ・ヴェイユにおいても同様である。彼女は自身が構築したプラトン的な体系、新ストア派的な体系において、自身の体験を表現する。そして、たとえ人がそれを受け入れたとしても、それはパスカルの語の意味で「精神の秩序」にとどまるものなのである。

彼女にとって「超自然的」とは、神によって創られたものであり、キリスト教的な言葉でよく言われるような、必ずしも神の生や恩寵へと至ることではない。したがって、彼女の生、彼女の無私無欲さ、彼女の隣人愛によって裏づけられた彼女の神秘体験、彼女の自我の滅却、神に背きたくないという強迫的な欲求は、その輝きを弱め彼女を懐疑的にさせる危険性のある根拠の乏しい考え方のうちに表明される。だが、われわれは正当に彼女に対して異を唱えることはできない。

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訳註1【アンドレ・フロッサール】
André Frossard(1915-1995)。フランスのジャーナリスト、エッセイスト。著書に « Dieu existe, je l'ai rencontré »(『神は存在する 私は神に出会った』)がある。

訳註2【サウロ】
サウロはイエスの弟子たちを探し回り、捕らえようとする。しかし、ダマスカスへの道の途上、突然、光に打たれ、主イエスの言葉を聞く。彼は回心し、後に使徒パウロとして知られるようになる(使徒言行録9 : 1-19)。
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第1部 第3章・了

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