三浦春馬さんの報道と人生観について
「こんな晴れた日に頭撃ったら気持ちいいだろう」
大好きな漫画に出てきたフレーズを定期的に思い出す。
そのフレーズ自体が何かの作品の引用だったと記憶しているけれど
「なんとなく分かるな」
絶対撃たないし拳銃もないけれど、なぜか言いたいことが分かる気がした。
一日早く晴れていたら思いとどまったかもしれない。
そんな意見も目にしたが、個人的には
晴れていたら余計に近づいてしまった、捕まってしまったかもしれないとも思う。
完璧に幸せな日ほど、明るく終わらせられるかもしれない。
「あ、そうだ。終わらせればいいじゃん」
なんて合理的な選択を思いついたんだろう、と言わんばかりに
「妄想」で考えたことは何度もある。
実行するか、しないかだけの違いだ。
自死願望は、だから、ないというより
「思いとどまれる」精神状態がつないでくれていると思っている。
持病が辛くて死にたかった頃は、どうせ死ぬなら絶対幸せになってから、持病が治って綺麗に美しくなってからがいいと生き延びた。
(持病が落ち着いてからは、楽しむことに夢中で死ぬことは忘れた)
クラスの女子から無視されて死にたかった頃は、親が悲しむな、とぼんやり浮かんで赤信号を渡らなかった。
(友達がたくさんできてからは、楽しむことに夢中で死ぬことは忘れた)
ただ血を見るのも痛いのも嫌だから、手首を切ろうと思ったことはない。
その程度の願望と捉えてほしいし、
「切りながら」生きる人がいることも不思議だった。
どうせ終わらせるなら完全な方法がいいと、私はきっと考えてしまう。
彼が死ぬことを失敗してくれたら、と感じてしまったのは否定できない。
でも、これは本気で生死から逃れなかったからこその結果かもしれないのだ。
そう考えると、最後まで彼らしさが残っている気もしてしまうのだ。
大人になっても「ああもう何もかも嫌だな」と思うことはある。
大切な人たちがいても、好きな漫画やドラマの続きが知りたくても、
行きたいコンサートがあっても、
「それとこれとは別」
そうなってしまいそうな瞬間が
確かにある。
そういうときに感じるのは
「だって別の世界のことだから」、だ。
どんなに世の中が騒がしくなっても、
どんなに仕事で穴をあけても、
どんなに誰かが悲しんでも、
もうその世界にはいないから。
別の世界で起こることならもう心配しなくていいかな、と
その瞬間は確かに考えている。
死ぬぐらいなら何もかもやめて新しくなればいいのに、と
いつも通りの精神なら思うだろう。
本当はこの世界に既に「別の世界」はある。
でもそうじゃないんだよね。多分。
そうならないときが、
「終わらせなければ」
解放されないこともあるのだろう。
命を終わらせることのほうが変な話、できる、と思ってしまうことが あるのだと
無意識で 知っているよと言っている。
報道されている詳細が正しければ、の話なので違ったらごめんね、と何度でも三浦春馬さんに謝りたいが、
(そもそも、なぜそんなに詳細の話が出るのだろうとやりきれない気持ちもありますが)
今は、「本当に自死を選んだのなら」を前提に話を進めている。
何も考えたくない何もしたくない逃げたい
でも色々考えなきゃならないことがあるとき
死を合理的な解決と結びつけてしまうのは
決して狂っているからでも、弱いからでもない。
ただ寝て休んだだけで続く世界を受け入れられない精神状態だろうから
乗り越えられるかどうか
どこまで外的要因の薬を信じられるか。
考えすぎ、真面目という意見もあるが
考えすぎる行為がストッパーになって
むしろ踏みとどまれるタイプもある。
多分私は「こっちのほう」だし
彼もこれまではそうだったのかもしれない。
だから考えすぎることが悪いとは思わない。
(残された人を考える余裕があるときは死なない)
むしろ考えるのを放棄したときが危険だということ。
性質なのだろうか。
今まで一度も自死を考えずに育った人は
とても陽で、恵まれた気質の人だと思う。
一つ言えてしまう仮説は
たぶん本当の素の三浦春馬のほうが、
より惹かれる人物だっただろうなということ。
少なくとも私は
彼の「素晴らしく完璧な部分」だけではなく
「そうじゃない部分」を知れた気がしたときのほうが
人間的に興味を抱いた。
それが悲しくて虚しい。
陰があるとしても
それがみんなの思う三浦春馬とは違っても
失礼を承知だけど、人間味のあるあなたに
親しみを持つ人は
きっと多かったと思うよ。
というより、
「なんだか雰囲気が変わったな」
「この人はこれから、もっと良い表現者になるのではないか」
と、画面を通して感じていたここ数年間で
彼は少しずつ、これまでとは違う三浦春馬を
開放していたのではなかったか。
そこに何かヒントがあったのなら。
成長と進化の理由をもっと深く探っていたかったんだ。
去年は見られたはずのInstagramの投稿が
根こそぎ消えていることに気がついた日があった。
なぜ?
アカウントを新しくしたのかと誤解したが
すぐに深い意味はないと、勝手に納得していた。
きっと私も現代の複雑な事情に慣れすぎていた。
彼の経験や思考、そのすべてが
凄みすら感じる表現につながっていたとしたら
とても残酷だけれど
彼の生き方は彼だけのもので
誰も否定はできない。
完璧だから、ファンはたくさんいるから、
才能があるから
自分が応援しなくても大丈夫。
彼の活躍をそんなふうに無意識に位置付けていた人は
きっと私含めて、いたと思っている。
何度も何度も、何人もの
「特別ファンではないけれど、とても悲しい」
と書かれたメッセージを見た。
特別ファンではない、に含まれた表裏一体の悲しみ。
それだけみんなに当たり前の形で受け入れられていた存在なのはわかっているけれど
その評価をマイナスの形で受け止めていたとしたら
それもまた、キツいよなと。
本当にごめんね。勿体ないことをしたのは、きっと私たちだろう。
だから気がつくと毎日彼の写真や映像を漁り
ファンアカウントや、彼の友人の言葉から
完璧じゃない、愛されている彼の一部分を知ろうとしている。
その人たちはきっと、知れば知るほど
完璧じゃない彼に出会えることが
嬉しかったのではないだろうか。
だって、少し漁っただけでも
どう見ても「天然」で抜けた一面や
「ちょっとわかんないっす」と
ぶっきらぼうに受け答えする若い彼に出会えたりするわけだから。
繊細な一面が垣間見えるトーク番組での告白、SNSの投稿ひとつでそこまで調べ上げる人あんまりいないよ、君、オタク気質だったんだね、と突っ込みたくなる 食材の豆知識が詰まった愛すべき自炊投稿(しかも写真がおしゃれ)、
「好きだった子に、蘊蓄くんって言われたなあ。しかもまだ直ってないし、直す気もない」とインスタライブで笑う姿。
文面の最後によくついている馬の絵文字が「春馬」にかけてあるのだと気づいたときの微笑ましさ、
テキストに「編集済み」と記された投稿の多さから感じた、物事を何度でも推敲する力。
(Instagramには投稿済みの文章を編集できる機能があります)
書いて届けて終わりじゃない、無意識の責任感。
「本業」という言葉の意味を考えざるを得ない、歌手顔負けのプロの歌唱力、表現力、
自らやりたい仕事の企画を通す熱さ、
ついでにちょっと不思議な私服。
肉体がなくなってしまった(本当に?まだパラレルワールドを描いてしまう)事実は関係なく
とても魅力的でおもしろい人だと思った。
蘊蓄、繊細、可愛い私服、最高じゃないか。
自分ではダメダメだと思っていた部分も
他人から、外側から見たら
チャーミングな魅力に変化する。
自己評価が低い人ほど、忘れてほしくないからくり。
自分も含めて。
*
冒頭で伝えた「大好きな漫画」のあるキャラクターは
彼に演じてほしいと思っていた。
というより、彼しかできないと思っていた。
眉目秀麗、学年一の秀才、
完璧という言葉が似合う人。
けれど心の内ではとても深い悲しみと壮絶な経験と闇を抱えていて、
次第に彼は壊れていく。
自分の手を刺し、痛めつけたりもする。
けれど最終的には本当の自分をさらけ出し、
「僕は親を捨てるよ」と実の母親と決別し、
どんな面の自分でも受け入れてくれる恋人や友人と
幸せな生活を送り、大人になるストーリー。
こんなに難しい役を演じられるのは
三浦春馬しかいないと、
もし実写化するなら(実写化は複雑だけど)
絶対に彼だけはキャスティングしてほしいと思っていたけれど
今となっては、これを演じるのはあまりにキツすぎるだろうとも思っている。
でも、幸せな結末だけでも知ってほしかった。
「そっちの道」もたくさんあることを。
すべてがオセロのようにひっくり返るわけではない、
この事実も、彼が生きている中での日々の選択の一つでしかない
というような話が
どこかに書かれていた。
死を美しいとはまだ思えない。
けれど彼は確かに美しいし、
たとえ終わらせる選択をしても
過去の彼の生き方、仕草、すべてが闇と関連づけられることは
確かに本意ではないと思う。
どちらも本物の生きている記憶であり、証だった。
そもそも血糖値の上昇を抑えるための食べ合わせを常々意識していたほど健康熱心な彼が、生きることを全く楽しんでいなかったとは到底思えないのだ。
「すべてがひっくり返る」わけじゃない。
どちらも彼なんだ。
ただ、きっと「表側」の彼が目を覚ましたら
なんてことをしてしまったのだろうと
色んな人に謝ってしまうだろうから
そんなことはしなくていいのだよと
でも、完璧じゃないあなたも魅力的だと思っている人が
この世界にはたくさんいるのだと
伝えられる術があったら 全力で伝えたいかな。
あるいは、
「ほら、僕(俺?)はみんなが思っているような人間じゃないんだよ。軽蔑しただろう?」
的なダークさを晒すかもしれないが、
そんな裏側の君の予想は裏切られると断言したい気持ちだ。
「軽蔑?むしろあなたの人間性と生き方をもっと知りたいですが。嫌いになんてならないよ、残念でした。」
そんなふうに新規ファンを宣言する人がきっと私含めて続出することも
伝えておきたいかな。
日々、どんなことを考えているのか
もっと聞かせてください。
いいところがあるから好きなんじゃない。
どんな一面でも愛しているよ、
やめてもいい、休んでもいい、
あなたが幸せであってほしいと
包み込み、心からの本心で
身近な人や好きな人に伝えられる生き方をしたい。
誰かの死で学ぶことはしたくない。
これから何があっても思い出す。
悲しみをきっかけにしないように。
それでも笑顔が浮かぶのは困ったものだね。
雨に濡れた白シャツの新曲MV、バレエダンサーのような手指の所作の美しさ、艶のある歌声に単純に見惚れていたかった。
きゃあきゃあ言いながらただ語っていたかった。
でも、それでも。
きらきら輝いているあなたのことも大好きですが、
あなた自身の日々が穏やかで健やかであることがいちばん大切です。
今は周りのことは気にせず、予定も気にせず、
好きなことをしてゆっくり過ごせていることを願います。
14才の母でその存在感に気がついて
春馬きゅん、なんてアイドル的な呼び方でときめきを表現していた時期もありましたが
いつのまにか、そんな呼び方ができないほど大人になっていたのですね。
全力で向き合い続けてくれて本当にありがとう、三浦春馬さん。
これからもずっと魅力的な人、
完璧でも、完璧じゃなくても
どちらでも、大好きです。
楽しいことに夢中で死ぬことを忘れた私は
その忘れっぽさに感謝したけれど、
忘れない行為が薬になることだってある。
彼のいた時間を忘れることは正直、無理でしょう。
忘れる必要なんてない。
だから忘れないまま乗り越えていこう。
ずっと憶えているよ。
ありがとう。
春馬さんと春馬さんの大事な人たちが、苦しみのない夢を見られる夜が来ますように。
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