恋愛掘り下げプロジェクト(メンバー1名)
「週末は会えそうですか?」のメッセージを寝かせてしまうあたり、自分とはなぜいつもそうなのかと思ってしまう。
いよいよ、わかってはいたことだけれど
─どうも、好意を感じ取ると逃げたくなるようだ。
だから、自分のことなんて絶対に好きにならないような「はなから無理めのあいつたち」に惹かれてしまってきたのだろう。
それは自己肯定感が低いからという噂も聞いた。
自分が嫌いだから、そんな自分を好きになる人は変なんじゃないかって嫌悪感が出るというあれ。
嫌悪感同盟というmixiのコミュニティを内輪で作っていたほど闇があるわけですが。
なんだかおかしな話ですが、ラクをしていると思ってしまうのだ。
相手は私が何もしなくても、なんでも好きでいてくれる。自分はこんなに体たらくなのに、なぜ魅力的な人物のように扱ってくれ、私からの連絡やリアクションを喜んでくれるのか。
そんなのラクすぎていいのかなって なぜか思ってしまうんだ。
恋愛、別に修行じゃないんですけど。
ならば成就したこと、付き合ったこともないと?
そういうわけでもないんだわ。
【一例】
・好意を寄せてくれた相手、まだ好きではないけど嫌悪感までは抱かないとき
→好きになれるかもと期待を込めて付き合ってみた(でも、なれなかった)
・自分のことは絶対好きにならないだろうと思っていた片想い高望みの相手がなぜか好きになってくれたとき
→そのまま嫌にならなかったので付き合った(でもすぐダメになった)
・稀なケース→好きになったタイミングが同じっぽかった相手とそのまま普通に付き合った(でもダメになった)
このようなパターンがありまして…(ひどいないろいろと)
あれ、そういえばこちら側からシンプルに告白して付き合ったことってほぼないのか。
たいてい相手から言ってくださるタイミングを待つか、同時になんとなくか、
告白は告白でも「もうダメなことはわかっていて、思い出づくりの自己満足のために、フラれるために告白した」ことが多いものな。
※レアケースとして、フラれるために告白して一旦フラれたものの、時間差で相手から告白し返されて付き合ったケースもあったが
いろいろひどいな。
脈や勝機が(※勝負ではない)あると思った場合は自分からは告白しないで待つんですね。
で、脈も勝ち目もないと悟ったらフラれるために、区切りをつけるために自分で告白しておしまい。
本当は逆がいいのでは?なんて今思ったけど。
自分のことが好きじゃない相手にいいこと言い残す義理もないもんね実際。でも好きな相手にはあなたがどんなに素晴らしい人なのか、その時点では言いたくなるから仕方ないね。あとから思い返すと俺ってイケるなと無駄に自信を植え付けた可能性もあるが。ごめん無駄は言い過ぎだった。
と、まだ答えを出したくない場合も泳がせる。結論は出さずに相手からのリアクションを待つ。
それで去っていかれてしまうパターンもあるだろうけど、それは寝かせた自分のせいなので受け入れる。
恋愛にも相当性格が出る。結構仕事と同じかも。
この人好き!と思ったらすぐ言える人、決断できる人がとてもまぶしい。
未だに自分が誰を好きなのかわからない。
もう恋愛のちゃんとした方法なども、偏りすぎて自信がない。
だから極端だけど、もし最近よく連絡をとる方が好意を抱いてくれていたら その方と付き合ってみるのもいいのかもしれない。
仮氏という言葉が以前ドラマと本の影響で一部に浸透したけれども、付き合うまでのハードル、条件などではなく心の動きのハードルを下げて。
やったことはないが結婚相談所の「仮交際」というやつに近いのではないだろうか。仮交際なら罪悪感も少なめで始められる。
好意があるのかないのか曖昧な場合で付き合いを始めると、自分がとても悪いことをしている気になってしまうから
仮、仮、これは仮なんだ。
でも不思議な話だよね。答えを出さずにただ普通に会ったり話したりしている段階では嫌じゃないし楽しいのに、関係に結論を出さねば…と刻一刻と時が迫っているように感じると途端に逃げたくなるとは。
同じタイプの、お互い逃げてたまに放置するような相手が究極にはいいのかも。
なにも連絡なくなるとそれはそれで気になるという悪い体質なので、私のような…私のようなスタンスの人であっていいよ…
あいつからは「あの日」以降連絡はなく、私もなんとなく連絡をしていない。
もうこのままバツも悪く疎遠になるのかなと少し寂しくはなったけれど、なんととあるグループLINE経由で連絡がきて久々に存在を認識した。
私に直接送ってこないところに気まずさが表れている気がする。まあそんなに深く考えてないかもだけど。
そして私も本人にというより、友人宛てをメインにした返信文を送った。
ただ、誕生日には連絡をしようとは決めている。そこは人としてお祝いしたい。そのときに一緒に、なんとなくありがとうと伝えられたらいいなと思うんだ。
ありがとうの種類はちょっとまだ言語化しづらいけど。
何十年後も一緒にいたり言葉を交わしているのは果たしてどっちなんだろう。それとも、まったく別の相手なのか、
誰もいないのか。
いまは何十年後には思い出の中でしか会えないであろう親と犬と猫を思うつらさが勝る。
そのとき、私はついに本当にひとりだと思うのかな。
それとも、ひとりじゃないのだろうか。
ささやかな願いとして、友達はいてほしいけど
恋愛は、わからん。恋愛じゃなくてもいいのかもね。
話し相手や理解者、そんな人が自分という存在を覚えて気にしてくれて、お互い忘れなくて。
あ、おおっぴらに会えたり存在を明かせることは前提の。
そうなると不倫じゃない恋愛かとても強い結びつきの友情どちらかになると思うけれど、
そうだね。そんな人がひとりでもいて、一緒に散歩でもできたらいいなとは思う。
散歩できる人、今はそれを前提に判断するか。
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