ためらい,迷い,疑心暗鬼になりながら,自身の内面や時代精神を凝視し,他者の声に耳を傾け,既存の知識の前提や限界に挑戦しながら模索する。『心理支援における社会正義アプローチ』おわりに 公開
個人の問題を自己責任とする傾向・論調への反省から、今最も注目を集める社会正義(ソーシャル・ジャスティス)。これは、その人の抱える困難を文化的・社会的・経済的な文脈で捉え、社会の側に変化を求める考え方である。欧米では盛んなものの、人種差別や性差別に関わるものが多い。そこで本書は、日本風土にマッチした心理支援の実践モデルを紹介することで、学派や理論的背景を超えたこれからの心理臨床のあり方を探り、新たなアプローチを提言する。
▷書籍詳細
本書の はじめに も公開しております。
おわりに
1. 執筆者による交流会からの想起
2023 年春,社会正義アプローチという,日本の心理支援ではあまり聞きなれない用語をテーマにした専門書を出版するにあたり,素晴らしい執筆者の一団に執筆依頼を承諾してもらえるという幸運に恵まれた。あまりの幸運に,ただ単に締め切りまでに原稿を提出してもらい,それを修正するだけの
やり取りだけではもったいないと,2023 年5 月から定期的にオンラインの交流会を設けた。自由参加で全員が参加したわけではないが,そこでの対話は,それ自体が読み応えのある対談記事になったのではと思うほど,内容の
濃いものとなった。
交流会開始後の数回,私たちは臨床現場で遭遇するクライエントの直面す
る社会問題に関する現実と,伝統的な心理療法の限界とのギャップ,そして
その狭間で感じてきた疑問について,忌憚なく話し合った。大多数の参加者
が,それらの疑問を「心理の業界では大きな声で語ることができなかった」
と漏らした。本書のCOLUMN 3 の中で吉川は,沖縄戦を生き抜いた人々の声を聴き,発信する活動を「『これは心理の専門家がやることではない』と揶揄された」と報告しているが,他の執筆者も似たような経験をしていたことが判明した。
そのような共通体験に対し,杉原は,日本の心理の業界では「共感の持ち
出し禁止」の風潮があると話した。クライエントが直面する問題に対し共感
し,それを面接室内での療法の糧にすることは良いが,面接室の外に持ち出
せばそれは逆転移の行動化となり,専門家として適切ではないと考えられて
いるとのことだった。そのことに,私は小さくない衝撃を受けた。北米で臨
床心理学ではなくカウンセリング心理学を学び,フェミニスト心理学者に師
事してきた私は,決して北米心理学の王道を体現しているとは言えないが,
私にとって「共感」とは,「相手の身になり相手の気持ちを理解する」だけ
では不十分だと理解してきたからだ。本当に共感しているならば,実際に行
動に移すかどうかは別にして,クライエントの主訴を形成する社会の問題に
対し,何かアクションを起こさずにはいられない気持ちになるはずだ。この
「共感」の考え方に対し,井出は第7 章の中で,「行動を伴う共感的理解」という名称を授けてくれた。
交流会の中で,もうひとつ特に印象に残った会話がある。それは,廣瀬が
第5 章で詳述した,精神科リワークでの復職支援の経験についての会話だっ
た。うつ病を発症して休職した人たちに「自己変革」を促し,自己責任論を
助長するスキームを省察する会話に,私は「まるで,壊れた機械の修理工場
ですね」というようなことを言ったのを覚えている。壊れるまで乱暴に扱わ
れ,修理工場に運ばれる。それ自体が「規格外」「欠損品」の烙印を押され
たような自責を植え付け,修理を施さられた後,世に送り出され,また壊れ
るまで働く。「替え」はいくらでもある。
その工場メタファーは,その日からしばらくの間,私の中に悲しい残像を
残した。それは,のちに述べる私自身の来歴と関連しているのは明らかだっ
た。廣瀬は,そのような「自己変革」ばかりに焦点を当てた復職支援のあり
方に葛藤を抱き,次第に社会正義アプローチへの関心を強めていったそうだ
が,同じように違和感を持つ心理支援職は3 割くらいで,残りは疑いを持た
ないのではないか,と語った。
本書は,その3 割の心理支援者の疑問や葛藤を肯定し,残りの7 割に,社
会的,政治的,経済的,文化的要因に対する敏感さと,現状の心理支援のス
キームに対する批判的思考を促すために編まれた。復職支援はあくまでひと
つの例にすぎない。私たち心理支援の現場に身を置くものであれば,ハラス
メントや虐待,性暴力,差別や偏見,ヘイトや排除,ケア労働の不均等な分
配,それらを被る人々の痛みと絶望の源を知っている。食や住居,文化的生
活への不確実なアクセスが,どれだけ精神衛生に悪影響であるかを想像でき
るはずだ。そのような気づきに蓋をすることなく,社会正義や不正義につい
て仲間同士で話し合い,つながり,共に行動を起こして,社会変革の一端を
主体的に担った方が,心理支援職に特有のある種の燃え尽きは防げるのでは
ないかとさえ考えている。私たち,編者・執筆者ら自身が,読者とそのよう
なつながりを持ちたいと願っている。
2. Social Justice の訳語をめぐる逡巡
「はじめに」で杉原が述べたとおり,本書を出版するにあたり,本書の題
目にもなるsocial justice の訳語をめぐり,編者の中で長いこと逡巡があった。「社会的公正」のほうが手に取ってもらいやすいのか,それともカタカ
ナで「ソーシャル・ジャスティス」にしたほうが無難なのか,決めかねて企
画から初校の段階までの間,「社会正義アプローチ(仮)」としていたほどである。しかしある時点で,私たちは「どの訳語がいいか」から,「なぜ私たちはこれほどまでに『正義』を語ることを躊躇するのか」に焦点をシフト
し,話し合いを重ねた。結果,躊躇の根底には少なくとも,①行きすぎた正
義,正義の名を語る暴力への懸念,②社会正義を掲げることで,本来の心理
支援者の役割や個人面接の質が蔑ないがしろになる懸念,の二点があると考えるようになった。以下,それらを検証することで,私たちがなぜ最終的に「社会正義」という訳語を固持したのかを明確にしたいと思う。
第一に,行きすぎた正義,正義の名を語る暴力という懸念については,第
2 章で蔵岡が,日本では「正義を振りかざす」「正義の暴走」というように,一方的な価値観を押し付ける正義感に対しての拒否反応があると述べている。また,迷いなく悪を倒し,制裁を与える「正義の味方」が,誰にとっても本当にヒーローなのか,という疑問も生じる。関連して,信田さよ子(2022)は,社会的弱者に寄り添うはずの組織や非営利団体で相次いでセクシャル・ハラスメントが発覚したことに対し,東京新聞でのインタビューで,「社会正義の実現を掲げる組織では『正義のために働く自分たちは常に正義であり,間違いはない』と逆転した発想に陥りやすい」と述べている。
これは非常に重要な指摘だ。社会正義を考え,社会を変えたいと思うものにとって,常に付きまとい,向かい合わなければならない課題でもある。そこで,ウンベルト・エーコ(1990)の名著,『薔薇の名前』から,次の文章を紹介したい。
「わたしたちは天罰を与えるため,不純な者たちを血で清めるために,
人を殺した。もしかすると,過剰なまでの正義の願望に,捕らえられて
いたのかもしれない。神への過多の愛によって,過度の完徳の精神に
よって,人は罪を犯すこともあるから」(p. 207)
教義や理想の実現のため,または「過剰なまでの正義の願望」のため,異
質なものを排除したり,手段を選ばなかったり,または自分は正義の側に立っているという恍惚感に溺れ,結局のところ権力欲求や私欲を満たす過ちを,人類は何度も繰り返してきた。万が一,社会正義アプローチがその理念
の達成のために,手段を選ばず不正義をなすならば,それは本末転倒だ。そ
れはもはや,正義でも社会正義でもない。
当時は正義だとされた運動が,後世には真逆の評価を与えられることもあ
る。たとえばカナダでは,先住民族の子どもたちを家族や共同体から強制的
に引き離し,虐待や栄養失調が蔓延する先住民寄宿学校でキリスト教教育を
施すという同化政策が,1 世紀以上にわたり続いた。近年では,その入植植
民地主義に裏打ちされたジェノサイドを反省し,謝罪と和解の努力が行われ
ている。しかし当時の白人政策者,教育者,宗教者たちは,「未開」で「野
蛮」な者たちに文明の光をもたらし,蒙を啓くことを,「正義」と信じて疑
わなかったことだろう。
社会正義は,それぞれの時代の「社会的想像力」(Taylor, 2004)の範囲
内でしか進展せず,それによって制約を受けている。だからこそ,現代で受
け入れられる社会正義がどのような思想を反映するものなのかを批判的に分
析し(Thrift & Sugarman, 2019),哲学や教育,社会学など,学際的に横断
するさまざまな正義に関する論理の蓄積に立ち返ることが不可欠だ。
このように書くと,社会正義などは面倒だ,心理には持ち込まないほうが
無難だと思うかもしれない。しかしながら,社会正義や不正義について,正
面から議論できない社会の怖さというものを,しばし立ち止まって考えてほ
しい。たとえば,誰もが自分と異なる人々への偏見を完全に取り除くことは
不可能であるのだから,「差別反対」の理想を掲げる人は偽善者だ,と糾弾
することは簡単だ。ただ世の中がそういう言説で満ちてしまえば,糾弾され
ることのリスクを取るより,「私はレイシストです,差別撤廃などに関心は
ありません」と宣言してしまうことのほうが,圧倒的に楽で安全な選択に
なってしまう。だが,私たちはそのような人々が大多数になった社会に住み
たいと思うだろうか。そのような社会を次世代に託したいと願うだろうか。
また,「正義」という用語さえ使わなければいいのだろうか。単に代替用
語を使いさえすれば,上記に述べた諸問題から無関係でいられるのだろう
か。それは幻想であり,間違いだ。責任逃避の姿勢でもある。だからこそ,
私たち編者は,それでも「社会正義」を掲げ,その責任に対峙していくこと
を選択した。
私は,社会正義アプローチとは,ためらい,迷い,疑心暗鬼になりなが
ら,自身の内面や時代精神を凝視し,他者の声に耳を傾け,既存の知識の前
提や限界に挑戦しながら模索するものだと考える。固定観念に捉われていな
いだろうか。今の私に見えていないものは何だろうか。誰かの代弁をすると
き,私はどんな立場から発言しているのか。私が経験し得ない多様な生のあ
り方を不可視化したり均質化したりしていないだろうか。誰かの発言権を不
当に奪ってはいないか(Akoff, 1991)。自分は善の側に立っていると思われ
たいだけなのか。そうした自問の連続は,栄光や恍惚感などとは程遠く,常
に足場の不安定な場所に身を置きながら歩む道だと思う。
第二に,社会正義を掲げることで,本来の心理支援者の役割や個人面接の
質が蔑ないがしろになる懸念についてだが,それについてはまず,個人面接か社会正義か,もしくはセラピストかアクティヴィストか,という二項対立からの脱却から始めならければならない。A かB か,敵か味方か,というEither/orの思考は二者択一を迫り対立を煽るが,逆にBoth/and の思考は,選択肢と相乗効果の可能性を広げる。
本書では,心理療法の各学派において,すでに社会正義の視点を取り入れ
る試みが行われてきたり,社会正義を念頭に置いて発展してきたりしたこと
を示した。また,本書のさまざまな章で触れられてきたように,生きづらさ
を社会的に再/生産し,精神に内在化する抑圧構造を踏まえた見立ては,よ
り包括的な支援・治療の試みであるし,そこからの解放を下支えすること
は,クライアントのエンパワーメントにつながる。
第14 章で,私は社会正義アプローチを取り入れた事例検討・グループ
スーパーヴィジョンのやり方を記述したが,社会や抑圧構造の話だけをして
いるわけでないと強調した。セラピストの選んだ学派に基づいた見立てや介
入方法,心理学研究のエビデンスや心理療法プロセスリサーチ研究を鑑みた
議論も充実させている。つまり,社会正義の視点を取り入れることと既存の
やり方は両立,そして統合可能であり,個人面談を蔑ろにするどころかそれ
を補強し,既存の心理療法の可能性を最大限に引き出すことにもつながると
考えている。
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ある種の鬱屈を抱えて10 代を過ごし,大人への転換期につまずいた。逃
げるように日本を脱出した。カナダに来て数年間,心に巣くった「私は社会
に適応できなかった不適合者だ」という思いを拭いきれずに過ごした。
そのような私が,日本でこのような書籍の出版に関わることができたこと
を,とても感慨深く思う。日本語で書いたり思考したりすることを忘れてし
まわないようにと始めたTwitter(現X)で,私の拙い発言を見つけ,声をかけてくださった杉原さんには,感謝の言葉もない。そこから始まった交流で,編者の井出さんと蔵岡さん,そして執筆者の方々と,一緒にお仕事がで
きる喜びを得ることができた。また,「心理職の社会的責任を考える会」を
通じて多数の心理学研究者や心理支援職の方々と知己を得ることができ,学
びの機会をいただいた。
最後に,誠信書房さんには,本書の企画に理解を示し,後押ししてくだ
さったことに対し,お礼を述べたい。特に編集部の中澤美穂さんには,多大
なるお力添えをいただいた。編者一同を代表し,心からの感謝の意を記した
い。
和田香織
■編者紹介
●書籍目次
はじめに [杉原保史]
第Ⅰ部 イントロダクション
第1章 社会正義カウンセリング概説:その歴史と特徴 [和田香織]
第2章 社会正義アプローチにおけるコンピテンシー [蔵岡智子]
第Ⅱ部 多様な学派からのアプローチ
第3章 心理支援におけるフェミニスト・アプローチ [村本邦子]
第4章 コミュニティ心理学と社会正義 [榊原佐和子]
第5章 ナラティヴ・アプローチと社会正義:「当たり前」に抗う,その可能性を求めて [廣瀬雄一]
第6章 心理力動的心理療法における社会正義アプローチ [杉原保史]
第7章 パーソンセンタード・アプローチと社会正義 [井出智博]
第8章 認知行動療法における社会正義アプローチ [小堀彩子]
COLUMN1 里親子支援がもたらした「社会正義とアドボカシー」との出会い [上野永子]
COLUMN2 親子交流支援という社会正義 [草野智洋]
COLUMN3 沖縄戦を生きぬいた人々との実践活動:なぜ「平和」を発信し続けるのか [吉川麻衣子]
COLUMN4 「学びの多様化」の促進:不登校という社会課題の解決に向けて――タウンスクーリングという試み [横地香代子]
COLUMN5 社会正義の観点から考えるDV加害者プログラムとは [佐藤紀代子]
COLUMN6 ハラスメント相談における社会正義 [葛 文綺]
第Ⅲ部 トピックス
第9章 新自由主義と現代人の心 [杉原保史]
第10章 新植民地主義と心理臨床における文化盗用:マインドフルネスを例に [和田香織]
第11章 スティグマ [井出智博]
第12章 マイクロアグレッション [葛西真記子]
第13章 インターセクショナリティ [和田香織]
COLUMN7 大学生の支援にもっと社会正義の視点を! [中澤未美子]
COLUMN8 あらゆるジェンダー・セクシュアリティおよびLGBTQ+コミュニティへの支援 [大賀一樹]
COLUMN9 学校臨床における社会正義 [蔵岡智子]
COLUMN10 留学生相談と国際政治の視点 [山内浩美]
COLUMN11 インターセクショナリティについての授業例 [和田香織]
第Ⅳ部 トレーニング
第14章 カナダの大学院プログラムから:カルガリー大学カウンセリング心理学科を例に [和田香織]
第15章 公認心理師・臨床心理士養成課程における授業実践 [井出智博・蔵岡智子]
おわりに [和田香織]
人名索引
事項索引
▷本書の詳細はこちら
『心理支援における社会正義アプローチ 不公正の維持装置とならないために』
出版年月日 2024/10/15
書店発売日 2024/10/19
ISBN 9784414417111
判型・ページ数 A5 ・ 288ページ
定価 3,300円(税込)
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本書の はじめに はこちらをどうぞ。
最後までお読みいただきありがとうございました!