偉大なるデスリフ
フィッツジェラルドを順に…だけれど前々から気になっていた1冊を読んだ。
巨大な幻想の救いがたい虜…、神話が生み出す二次神話…、幻想を引き受ける「責任」というと何か重々しいが、軽快な会話で物語は進んでいく。
ギャツビーが本作ではデスリフであり、デイジーが本作ではアリスという設定。語り手キャラウェイはアルフレッド。
本作ではギャツビーとは異なり、デスリフがアリスを手に入れる…が結婚生活がうまくいかない。
デスリフはしゃべりすぎるし、愚痴を吐きまくるし、全然ギャツビーじゃない(笑)
本作は1987年の訳ということで、春樹さんの言葉の使い方が全然ちがう。
…とはいえ1981年?だったかな、『マイ・ロスト・シティー』のときはそれほど違和感がなかったので意図的に…なのかもしれない。
前半のアルフレッドの語りの最後では、ドラッグを繰り返す兄がハワイで回復していっているということでハワイに行くのだけれど「これって春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』みたいやん…」と思って読んでいたら、ちょうどこの翻訳作業と小説執筆作業の時期が合っているようですね。
春樹さんの紀行著書『遠い太鼓』によると、確かダンス・ダンス・ダンスを書いているとき、どこか寒いところに住んでいてハワイを描きたくなった…、みたいなのを読んだ記憶があるけれど、もしかするとこの翻訳作業にも影響されたのかな…などマニアックな話となりますわね。
アルフレッドというのはキャラウェイのように中庸な雰囲気を醸し出しているけれど、確かに訳者あとがきにあるように、第三部としてアルフレッドの語りで締めたほうがよさそうに僕も感じた。
…とはいえ、終わり方もなかなかよかったとは思います。
とはいえ、うーん「難解」ではないけれど、失礼ながら二流感があるというか…、その意味で、普遍的な物語ばかりに触れているのかもしれないなぁ、とも思いました。
さて次はまたフィッツジェラルドに戻って『夜はやさし』。
これはオリジナル版と修正版があり、おそらく一般的には修正版が有名だけれど僕はオリジナル版でしか読んだことがないので今度は修正版で読んでみます。(大好きな物語なので、そのあとまたオリジナル版を読むかも)