小説『空生講徒然雲26』
北上する奇妙な軍団が埼玉をぬけてゆく。
電線上を走る爽快さに優るものを私は知らない。なにも邪魔することのないツーリングがそこにあるのだ。これこそが、もの生む空の世界の醍醐味のひとつだろう。単調な直線の電線に飽きたら、どこへなりとも進路を変更すればいい。障害物はなかった。空を走るかぎり、地上の、ない者に取り憑かれる心配もない。
相変わらずシマさんは地上のない者に気づいている様子だ。でも、こちらの事情から空生講徒然雲の定員はオーバーしていることもシマさんは理解していた。暗やみと薄明にシマさんはまだ慣れていない。そればかりか、鬱々不安骸骨のタナカタさんとのタンデムだ。私はふだんよりアクセルを緩めて走行している。
『逝く』ために行者は走っている。それでもこの世界に来れる行者は幸せなのだ。オートバイに愛し愛された者にしか許されないのが空生講徒然雲なのだから。シマさんはヤマハSR400に愛されている。『逝く』と解っていながら精一杯楽しもうとしている。鬱々不安骸骨を助けて謎の青猫タルトを連れて、こんなに不思議で愉快な旅はない。バラクラマも似合う。最初は小さなテロリストに見えたが、今では見違えるような『くノ一』だ。この数時間で立派になったものだ。私もこの奇妙なパーティを気に入っている。1000日でいちばんのパーティだ。
すっきりして幾筋も伸びたこんもりとした入間から狭山の茶畑の電線上を走っている。秋の芽が薄明の空からも見えた。そろそろ摘み頃か。人間の営みから派生した人工的な自然は田園風景と同じように整然とした美を創り出していた。ゆきとどいた管理が美味い茶をうむのだろう。荒れ地では稲作と、ともに茶葉も育たない。この美あってこその茶の湯だ。この美が滅べば、美味い茶も滅びる。稲作もだ。美しい田畑があると言うことが、美味い食物の生産量と比例して、私たちの美の拠り所にもなった。審美眼はそうして養われていく。
一方で自然そのものの野趣あふれる森の中の山栗も旨い。茸もだ。栗農園や栽培茸と遜色がないのではないだろうか。私のまだらな記憶の中の栗の味はどうだっただろうか。子ども時代よりも美味しくかんじるようになったのは、私の成長か、栗農園の努力か。
私たちはしばらく走ると、手頃な鉄塔上で休憩をとった。本来、もの生む空の世界では食事はいらない。でも、行者成り立ての者は口寂しくなるようで食事を欲する。そんなときのために私は電線を降りて森の中で山栗を拾うようにしている。走行風のなかで2週間も干せば甘い山栗になった。それを、ジェットボイルでゆがいて、シマさんと青猫が食べている。食べようが食べまいが腹は足りているのだ。それでも口寂しさには勝てないようだ。
カワサキW650とヤマハSR400には燃料は必要ない。かれらにはいのちがある。そのいのちは私やシマさんとの愛でむすばれていた。ただ、空冷の鉄塊には時々クールダウンが必要なのだ。冷やされていくごとに金属が縮む音がする。ピキとかパキとかキンとかそんな音だ。そうやって、オートバイは「ふぅ」とひと息つくのだ。
「御師さん、何人いたとおもいます。ない者の数です」シマさんはどうやらバラクラマの下のキラキラした目でそんなことをしていたのか。数まで数えていたとは。シマさんはほんとにくノ一のようなことをしていたのだ。まあ、オートバイの運転のほうはヤマハSR400のレッドスター君に任せておけばいいわけだから、可能ではあった。私はてっきりシマさんは、ない者助けを諦めて、かなりの埼玉マニア、通称『サイタマーニア』になったのかと誤解していたようだ。
「49人ですよ。あまりにもかわいそうです。タナカタさんのように何年も待っているのに」
49は確かに多いな。念のため新宿や池袋のような繁華街をさけて練馬から大きく進路を西にとって走っていたのだが。
「東村山でも、所沢でも、見たと?」
「チェンソーで首を切られた方も見ました。水田のようすを見に行って濁流に足をとられて溺れ死んだ方も見ました。それから…」
「もう、いいでしょう。わかりました」、水田のほうは速やかに迎えがくることをシマさんに伝えた。「チェンソー男にやられたほうは」時間がかかるだろうと伝えた。愛されないで死んだ者は後まわしにされるのだ。自死した鬱々不安骸骨のタナカタさんのように。
「シマさんは、愛されていたのです」、私は、そう、説明した。だからシマさんはもの生む空の世界にこれたのだ、と。
「それと、チェンソー女です。殺ったのは女です。殺られたのも女です」
その昔、チェンソーを使った女のタイマンが所沢であったらしい。同士討ちだったそうだ。シマさんはそんなところまで見えるらしい。
「憎しみあって失われて、ない者になったら。そうなるしかないのです」
迎えがくるのは後の後のそのまた後だろう。『愛し愛されて殺して生きるのさ』、私のまだらな記憶のなかからこんなフレーズがうまれてきた。私がもの思う種の世界にいたときに聴いたポップスだろうか。
「失礼なことを訊くようですが、御師さんの数は足りているのでしょうか?」
私はしばし考えてから「少なくとも、オートバイの御師は足りています。冬場は暇なくらいですから」
「でも、オートバイの御師さんはオートバイのない者しか救えないという訳ですよね」
「はい、鬱々不安骸骨のタナカタさんはとくべつです」
「タカナカカッタ、タカナカカッタ、タカナカカッタ」
チェンソー女同士が憎しみあって殺しあうのではなく、愛し合って首を切り落としあってさえいれば、こんなことにはなっていないのだ。
「殺しあった方を担当している御師はどういう方なのですか?」
私は、いるとすればと前置きをしたうえで、「改心した。殺人者。殺人鬼です。ただし、私はまだ見たことがありません」
シマさんは、すうと息をすうと。「そうですか」とぽつり呟いたあと、ぽかんとうかぶ月を見ていた。栗を食べる手は休めずに。もぐりもぐりと噛み締めるように。怒りを静めるように食べていた。シマさんはタフガールだった。さすがのくノ一だった。
「ところで、『愛し愛されて殺して生きるのさ』というフレーズに聞き覚えはありませんか?」
「──小沢健二の曲だったと思いますよ。もう、三十年前の曲です。ナツメロです」、そうか、思い出した。良く聴いた曲だった。私のまだらな記憶をシマさんが穴埋めしてくれた。ありがとう。
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