悲しみが多くても優しくなれない
「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから」。美しい歌詞です。この言葉に救われた人もいるでしょう。根底にある愛は疑いようもなく、力強いメッセージを感じます。
感じますが、これ本当でしょうか。
悲しみにも種類があります。程度があります。深い悲しみ(grief)に直面したとき、人は死にも近い絶望の淵に立たされます。こうなるとひとりで立ち直ることは困難で、グリーフケアを要します。支えてくれる人が必要になります。そうしないと傷は癒えないばかりか深くなる一方で、心はやがて限界を迎えます。
断言します。悲しみが多いだけでは、決して人に優しくなどなれません。
優しくされるから、優しくなれるのです。
主観的な悲しみには「深さ」と「広さ」があるように思います。「深さ」は感情の強さ、「広さ」はその感情が心に占める割合です。深い悲しみがあっても、ほかに心を占める喜びや楽しさがあれば、悲しみの広さは制限されます。
認容可能な程度の深さと広さの悲しみならば、自力で乗り越えることもできましょう。そういうときに、冒頭の歌詞は心の支えになってくれます。立ち直り始めたときに聴くと、心にスッと入ってくる素敵な言葉なんですね。
しかし深く広い悲しみに今まさに対峙している人が、冒頭の歌詞を聴いたらどうでしょう。
なんの解決にもなってねぇよ!!!
と、余計に悲しくなるかもしれません。怒りの感情も見えてきそうですね。ですからこれは、気安く引用して人に使っていいフレーズではないのです。必要なのは慰めや励ましではなくて、ただその悲しみを共に受け止めてくれる存在です。
優しくされるから、優しくなれるのです。
悲しみが多いほど人に優しくなれるのなら、優しくなれない貴方の悲しみは、まだ足りないのでしょうか。いいえ、違います。悲しみだけでは、人に優しくなれません。
なにか足りない。
それは、人からの優しさです。
人に優しくなれないからといって、自分を責める必要などありません。すべての人は、無条件に愛されることができます。しかし「基本的信頼感」をうまく獲得できていないと、そのことが体感的に理解し難いのです。「優しさ」にも色々ありますが、それはまた別の機会に触れましょう。
悲しみに暮れる貴方に、もし、ひと匙でも優しさを届けられたら。私にできることは文字として零れ落ちた貴方の感情を読むことと、それを飲み込んだ私を文字にして表現していくことです。
だから、私は書き続けます。
拙文に最後までお付き合い頂きありがとうございました。願わくは貴方の悲しみがいつか癒えて優しさに昇華されていきますように。