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ちょっと年代記

 古い記憶を辿ると、幼少期の時間の流れは悠々として永遠であったと想起します。朝から夜の一日という区切りは元より、例えば15分という時間単位も大いに楽しむことができました。

 小学生の頃と比べると、今や随分と時間が加速しています。勿論それは主観的な肌感覚の問題であって、地球の運行は何も変わっていないのでしょうけれど、しかし私にとって時間というものは刻々と加速していく得体の知れない何かです。

 ちょっと、という言葉を使います。

 例えば食器を洗うとか、洗濯物を干すとか、そういう瑣末な家事をしているときに子ども達から声を掛けられると頻用します。10分に満たない作業を私は「ちょっと」と認識しますが、これは彼らの感覚とはズレているということを知りました。

「『ちょっと』って、しばらくってことでしょ?じかんがかかるんだよね。」

 ある日、息子が言いました。私は一寸ちょっと考えてから、

「いや、ちょっとは少し…なんだけど、そっか。そうだね。パパの『ちょっと』は時間がかかるよね。」

 なんとも煮え切らない回答を捻り出しました。

 息子や娘の「瞬間」に、即座に応ずることは叶いません。出来る限りは応対していますが、手が離せない…もとい手を離したくないタイミングだと、待ってもらう必要が出てきます。本当に手の離せないことなんて少ないのだから都度中断して応対すれば待たせることはないのだけれど、それだと実務が進まないので一日の仕事が終わりません。

 兎も角、息子は辛抱強く「ちょっと」を待ってくれているのだということを再認識しました。

「パパ、がんばってえらいね。いつもかじしてくれてありがとう。」

 息子はそう言って、洗濯物を畳む私の頭を撫でました。ふわりと優しさに包まれて、肩の力が抜けるのを感じました。誰かの人生と交差する瞬間、私の時計は止まります。そして自分が何処までも人間なのだと思い至り、刹那に命を燃やします。



 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは貴方の歩む道程に咲く花が、貴方の目を魅く色でありますように。



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