何故、私は「獣医」でなく「人医」を目指したのか
父は獣医師です。生まれたときから動物のいる生活を送り、私自身も動物が大好きです。生き物全般を好みますが、動物、特に猫や犬には格別の思いがあります。
父の友人の獣医師に「二世は良いぞ〜」と獣医の道を勧められたこともありました。その人は経営の才がある「二世」で、事業を展開し大成功を収めている人でした。
私の父は商売っ気というものが乏しく、「この薬の原価で、こんな料金は受け取れない」と進んで病院収益を切り詰めるものですから、実家のエンゲル係数は常に高めを推移していたはずです。
成人してから父の師匠のクリニックを訪問したときのことです。君が小さい頃は僕をみただけで泣いてね、と先生は懐かしそうに思い出話を語ります。ふと、質問が飛んできました。
「ところで、どうして人医になったんだ?獣医じゃなくて。」
人医(じんい)というのは獣医に対応する言葉で、同じ医師という括りの中で専門的にみるのが動物なのかヒトなのかという違いを際立たせた表現です。精神科医がその他の診療科を身体科と表現するのに似ています。
先生の言葉は責めるような性質のものではなく、ただ純粋に興味がある、といった風でした。
「そうですね、」 私は応えます。
「動物のことはすごく好きですが、僕はヒトの方がもっと好きだったんです。」
医師になりたい理由はたくさんありましたが、なぜ獣医ではないのか、と聞かれたら理由はシンプルです。ヒトは愚かで利己的な生物ですが、たまらなく愛おしいのです。
先生は目を丸くして大きく2回瞬きをしてから、柔らかい笑顔になりました。
「良い医者になりなよ。」
そういって笑った目尻の皺に、人生の深みを感じました。
動物のお医者さん、良いですよね。
ムツゴロウさんみたいな生き方にも憧れます。
でもやっぱり私は、アルベルト・シュバイツァーのように生きてみたいのです。
それは何処か遠い国に行くということではなくて、「生命への畏敬」を以て今この人生を奉仕に捧げて生きていくという思想です。シュバイツァーのことを日本に広めたのは、内村鑑三でした。何かの縁を感じます。
理想だと笑われるでしょうか。
偽善だと蔑まれるでしょうか。
そんなことを気にかけている暇はありません。私は私の哲学をもって、今日もまた目の前の患者さんに向き合います。向き合う対象は患者さんだけではありません。私の人生で出会う人の全て、いいえ、「生命」の全てに対して、私は真摯でありたいのです。
貴方の幸せを、私は祈ります。
明日も、明後日も、その次も。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方が生命の美しさに気づき、眩い世界に包まれますように。
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