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東と西で同様の変化がおきている!【徒然読書×温故知新PJ②】
美術館で買った図録解説第2弾です。
東と西は全く違う文化・制度ですが、過去に同様の変化が起きていたことはご存じでしょうか。
その1つが、2~3世紀の寒冷化と民族大移動により、4世紀には古典文化圏に大きな影響を与えたことです。
1.民族大移動による東西の変化って?
4~5世紀の東アジア世界では、北方諸民族が勢力を伸ばして大規模な移動を開始しました。中国では匈奴を初めとする遊牧民族(五胡)が華北に進出し、南北朝時代を迎えます。
同じころ、西では何が起きていたのかというと。
ササン朝ペルシア(今のイラン)はエフタルや突厥に苦しめられ、抗争が勃発します。
ササン朝ペルシアはゾロアスター教を重要視していたことでも知られていますね。
※ゾロアスター教:成立年代はBC1200年頃。善と悪の二元論。最終的には善が勝つとする。「最後の裁判」を初めて唱えた思想であったともされ、キリスト教ユダヤ教イスラム教に影響を与えた。
そしてゲルマン民族の大移動により、ローマ帝国が395年に東西に分裂し、476年西ローマが滅亡します。
ゲルマン民族大移動には、中国北部のフン族が関わっていたとされています。
フン族は375年に東ゴート族西ゴート族を破り西進し、もともと西進先に存在していたゲルマン民族も触発されたのです。
その後東ローマ帝国はビザンツ帝国として1000年ほど続きますが、文化的政治的には停滞します(本当に暗黒の中世だったのか?はいろいろな見方が出ています)。
ところで、フン族がなぜ西進したかというと、気候変動です。
寒冷化で影響を受けるのは北の方に住んでいる人々(遊牧民)です。
食料や住む場所を求めて、南下したり、西に移動したりしたのです。
東に移動しなかった理由は、単に地理的に海に阻まれていたからだと思います。
もし遊牧民が東に移動していて、日本に来ていたら、日本の歴史が変わっていたかもしれませんね。
2.そのころの日本は?
少し脱線しますが、中国が戦乱状態になると、日本の記述も相対的に減少します。
この時代の日本に関する記録は、中国の史書に依存していましたから、「空白の4世紀」と言われています。
卑弥呼から倭の五王の間に何が起こっていたのかが分からないのです。
しかしながら、その時代に関する記述がみられるのが、1つあります。
「広開土王碑」です。
高句麗の最盛期を築いた第19代広開土王(在位391~412)の死後414年に建てられました。
今の中国吉林省集安市にあります。朝鮮半島に近いほうですね。
どんな内容が書かれているかというと、広開土王の領土拡大の功績と倭との戦いです。
「辛卯年(391年)条」に、「海を渡りて百済を破り、新羅を…」という記述があります。
ところどころ読めない箇所があり、様々な推測がなされています。
この倭は倭の五王の誰かなのか、は不明ですが、高句麗と倭に何らかのかかわりがあったことを示すものとしても貴重な碑文史料です。
世界がつながっているというけれど、4世紀という1500年前の時代でも、東の出来事が西にも影響を与えていて、全世界的な転換があったと考えると楽しいですね。
気候変動による民族移動は、古くからの秩序が崩れていき、新たな秩序が生まれていく幕開けでもありました。
世界史日本史と区切らず、世界がこう動いているとき日本はどうなっていたのかの視点も大事なのではないかとも思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました!