よく取り上げられている本だけれど、読んでみたらイメージと違った【徒然読書㉑】
古典は長く存在している分、解釈本も多くあり、内容も抽象的です。
その分読むたびに別の側面が見えてくるのが、面白いところです。
今回取り上げる古典は、マキャヴェッリ(1469-1527)の『君主論』です!
もう古典中の古典ですね。
リーダーシップの本でもあるし、政治学の本でもある…
内容に真剣に触れると、キリがなくなってしまいますので、読んでいる中で、印象に残ったフレーズをピックアップしていきたいと思います。
まず歴史的背景として、マキャヴェッリが生きた時代はルネサンス末期であり、フランス王シャルル8世のイタリア侵攻(1494年)にも見舞われていました。
反メディチ運動が巻き起こり、フィレンツェが共和政に向かっていた時期です。
詳しくは割愛しますが、マキャヴェッリはメディチ家と対立したときがあり、隠居生活を送っていました。
『君主論』は隠居生活で書かれた本です。
では、どんなことが書かれているのか片鱗をまとめてみます。
罠を見破るためには狐である必要があり、狼を驚かすには獅子である必要がある。
君主は風のままに、運命の変化の命ずるところに従って自らの行動を変更する心構えを持つ必要がある。
必要な場合には悪事に踏み込むことができる心構えを持つ必要がある。
君主は狡猾でないといけない、の元になった言葉ではないでしょうか?
だけれど、いつも狡猾・苛烈であれといっているわけではありません。
運命によって、もし悪事(冷酷さ)が必要になったならば、行使せよということなのです。
戦争を避けるために混乱を放置すべきではなく、戦争は避けられないのであるから、先に延ばせばかえって自らにとって不利になるだけのことである。
こちらも似たような意味ですね。
戦争を肯定はしないけれど、もし混乱が避けられないのなら、今摘み取ったほうがいい。
ただし、懸念の芽を摘み取るときに残酷な手段を用いたならば・・・
残酷さが悪用されたか上手に用いられたかによる。
恩恵は人々がよりよく味わうように少しずつ与えられるべきだからである。
悪事は何度も繰り返してはいけないのです。
タイミングを見て、ここぞというときのみに用いるべきということですね。
そして国をどう治めるのかについては。
自分の国をよく知るよう努力することによって、それをより防衛することを学ぶことができる。
孫子の「敵を知り、己を知 れば百戦危うからず」に通じるところがありますね。
敵を知ることは大事だけれど、まずは己も知らなければならない。
自国の地形や実力を知ることが、最大の防御であり、攻撃でもあるのです。
君主は歴史を読み、その中で偉人たちの行動を考察しなければならず、戦争において彼らがどのように行動したかを知り、勝因と敗因とを検討して後者を回避したり前者を模倣したり出来なければならない。
プロイセンの鉄血宰相ビスマルクの、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」でしょうか。
ニュートンの「巨人の肩の上に乗る」にも通じますね。
歴史や過去の知識の蓄積から、分析し現在や未来に活かしていくことが出来るのが君主のすべきことなのでしょう。
君主の資質についても『君主論』に書かれています。
意外と合理的で、一般的なイメージ(?)の狡猾であれ、が前面に出ていないですね。
マキャヴェッリは、戦争を肯定もしていませんが、民衆をまとめるためには、慕われるだけではなく恐れられなければならないと主張しました。
そして、運命の変化に従って、自己を変えていくことを推奨しています。
運命は変転する。人間が自らの行動様式に固執するならば運命と行動様式とが合致する場合成功し、合致しない場合失敗する。
これは今にもつながるのではないでしょうか。
いくら自分の軸があっても、それが運命=時勢に合わなければ、影響力が半減してしまいます。
ならば軸を持ちながら、柔軟に作りかえていく、かたちを変えていくスタンスの方が生き残りやすいのかもしれません。
『君主論』もいろんな読み方が出来ますので、もし興味がありましたら、手に取ってみてください。
ここまで読んでくださりありがとうございました!