Haruyahman
昼下がりの地下鉄は乗客がまばらだ。対面には若い女が座っている。短いスカートを履いており、スマホを熱心に操作していた。 私は電車の中で苦悩していた。旧人類となるか、それとも新人類として生きるのか。 世の中には経済を見通すのではなく、スカートの中を見通していた経済学者がいるが、私も同じ穴のムジナだ。大学教員でありながら、性に正直である。 いつもであれば、見られている側が恥ずかしくなるほど熱視線を浴びせるのだが、今日は視線がうつろで定まらない。ピンク色の下着が見えているが、な
『ミッドサマー』で知られるA24が史上最大の製作費を投入して撮られた映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を観てきた。 本作は「もし今、アメリカが分断し内戦が起こったら」という設定を描いた映画であり、舞台は当然アメリカだ。しかし、あるシーンが特にアジア系の視聴者に特級の恐怖を与えるものになっている。 なのでアジア人な私も、もれなくブルってしまった。 ということでそのシーンの事を書くので、以下ネタバレ注意 (なるべく、伏せるようにしてます) その恐怖シーンは、主人公た
たいくつな授業中に男子学生が、ぼっーと妄想していたようなことがガツンと魅力的に映像化されていた作品だった。 具体的にどこが魅力的だったのか? 主に2つある。 ひとつめは、主人公である2人(ちさと、まひろ)の掛け合いだ。 この掛け合いがとにかくユルい。内容もユルいが、聞き取れないくらいに喋り方もユルい。だが、そのユルさが良い。これでしか得られない成分がある。 ふたつめは、アクション。 アクションの方は全然ゆるくない。ゆるくないどころか、驚きのキレキレ具合だ。カンフー、総合
世界は静かにその瞬間を待っていた。 量子物理学が示す「多世界解釈」――無数の並行宇宙が、我々のすぐ隣に存在している。普段、その境界は、互いに干渉しない。しかし、2025年、その均衡が崩れると予測されていた。次元の壁が薄れ、見えざる世界が交差し、別の現実がこちら側へと滲み出す。 そこから現れるもの――「大悪霊」。古の時代、別の次元に封じられた存在が、今この現実に足を踏み入れる。 現代兵器が一切通じないそれらに立ち向かう術はただ一つ――現代最高峰の霊能者達である。
ギーコ、ギーコという音が隣人の部屋から聞こえてくる。平日の朝だというのに、勘弁してほしい。朝の貴重な睡眠時間を2日連続で阻害されている。 朝の睡眠を邪魔されるのが人生で2番目に嫌いな私は、隣人を豚箱にぶち込みたい程に機嫌が悪くなった。 疲れたままの体を引き起こし、タバコに火をつけて、まだ薄暗いベランダに出る。 一服終えて部屋に入ろうとした時、隣のベランダから荒い息づかいが聞こえてきた。ガチャガチャとなにかを整理をしているようだ。かすかに水が滴る音も聞こえる。
寝れない。寝る事ができない。時計の針はすでに深夜2時を過ぎている。 ベッドに潜り込んだものの眠れそうな気配がない。心臓の音が耳のすぐ近くまでやってきて、騒いでいる。 まるで自分の心臓が、自分に対して寝ることを咎めているようだ。カリカリと鉛筆の先を削るように、精神が痩せ細っていくのを感じる。 四十を超えて、無理も効かない体だ。いつ崩壊しても不思議ではない。 寝ることを断念した俺は、散歩がてら少し遠くのコンビニまで酒を買いに行くことにした。寝酒は良くないと聞くが
「知ってるかい?」 男はテラテラした白い皿を見つめている。 「メスのカマキリってのは交尾が終わった後、オスを食べちまうんだ」 「だからなに?」 「いや、ただ聞いてほしいだけだよ」 「頭からさ。頭から食べるんだよ。すごいよな。どんな気分なんだろうな」 「……ちょっと黙っててくれない?」 「つれないなぁ。もういいじゃないか。なぁ……」 男の声は掠れていた。 ゆっくりと女に手を伸ばす。 そして、女が背後に隠し持っていた包丁をやさしく奪い取った。 「いいのさ、こ
この本、おもしろいです。 おもしろいので、何が面白かったのかを書くことにしてみました。ざっくり内容についても書いていくので、読んでみるキッカケになるかもしれません。 こちら2023年に発行された東浩紀さんの本となるのですが、その東浩紀さんが「哲学とはなにか」と問いながら書いたと、あとがきに書いてありました。この時点でもう購入確定ですね! そしてその問いに対する現時点での答えとして「訂正可能性」を挙げています。本書は、その概念について書かれています。 ということでさっそ
夕暮れ時の閑散としたファミレスで、私はコーヒーをすすっていた。ふと視線をあげると、でっぷりと太った悪代官みたいな風貌の男と、東南アジア系の四十代の半ばくらいの女が入店してきた。女の顔には疲れと、深い皺が刻まれていた。 男は当然のように上座に腰をおろし、女はテーブルの上をせっせとアルコール消毒してから席についた。 話しぶりからすると二人は初対面のようで、どうやらこれから面接が始まるらしかった。ファミレスで面接?と少し疑問に思いつつも、質疑応答が始まった。 「前職は?」
ファーストキッチンの窓際席に座って、駅近を行き交う人々をまじまじと眺めてみた。 そして、ふと気づく。 もしかして、リュックって人気ない、、? 正確な数字ではないけど、大体8割くらいが袈裟懸け、もしくは手に持つタイプのバッグを身につけている。 そして、若い人ほどリュック率が低い傾向があるようだ。 そして、こんな事を書いている自分はもちろんリュック派である。 なぜなら、歪むからだ、体が。略して、歪む体。 ちょっとまって、歪むってこんな漢字だったっけ。不に正だって。不
温泉に浸かって、自分の脚を眺めてみた。 お、なんだか長いぞ、私の脚。 モデルさんになれる気がする。 へへ。 調子にのって、おもむろに足を水面から出してみる。 しかし、予想よりもはるかに近い距離で足先が出現する。 その時、認識するのだ。光の屈折という概念を。 そして、再認識するのだ。 わたしが短足であるということを。
どうしてだろう、白Tシャツのときに限って無性につけ麺を食べたくなるのは。 なぜだろう、細心の注意をはらっても茶色いシミがついてしまうのは。 なにゆえなんだろう、そんなリスクを知っているのに白Tシャツを着てしまうのは。 白Tシャツを身にまとい、自転車で風を切る時が気持ち良いからだろうか。 きっとそうなんだと思う。
男は、何も感じていなかった。ただ土を掘る感触、シャベルの音、それだけが彼の現実を繋ぎとめていた。 記憶はほとんどなく、何をしているのかも分からない。ただ、掘らなければならないという衝動に突き動かされていた。 周囲は深い森だ。空気は冷たく、湿り気を帯びている。遠くで鳥が鳴いているが、それすらも遠い出来事のように感じた。 ここには自分しかおらず、自分以外は何も関係がない。掘ること、それだけが彼の世界のすべてだった。 「私は、ほんとうに掘ることができているのか」 ふと、そ
東京に砂漠が存在していることを、ご存知だろうか。コンクリートジャングルの事ではなく、正真正銘の砂漠だ。 それは「裏砂漠」という名称で、伊豆大島に存在している。東京の竹芝から、船で2時間弱の距離だ。 しかし「裏」という文字、概念はなぜここまで厨ニ病心をくすぐるのだろうか。人は人の裏の顔に本質を見ようとするからだろうか。 「裏」には、なにか真実だったり本質が隠れているような雰囲気が付きまとう。ゲームの世界に至っては、裏ボスが最強であり、裏コマンドが存在するならば、それは同時
頬の薄皮が剥けた。ジョーカーの口元みたいな形で。 まったく紫外線対策をしないで、この6月に日本を小回りしてきたせいだった。 さすがに、皮が剥けるのは良くないと思ったので、人生で初めて日焼け止めを買いに、薬局に向かう。 しかしそこには、様々な種類の日焼け止めが陳列されており、正直どれを買えばいいのかわからなかった。 とりあえず安くてSPF50ってかいてあればええやろ!のテンションで購入するしかなかった。 しかし、これで肌への意識が高まったに違いなかった。 そして今日
晴れて無職になっちゃったので、チャリで日本を小回りしてきた。梅雨という天候イベントが潜んでいる6月に。 東は埼玉、北は新潟、西は京都、南は静岡という合計1500km弱のルートだ。そして宿は取らず、ほぼ野宿で過ごすというストロングスタイル。 そんな旅だったが、1日中チャリを漕いでいると、その疲労感たるや凄まじいものだった。 全身汗だらけだし、脚は痛いし、擦り傷はつくし、ケツは割れるし、雨は降るし、なんかもう、くるしい!しんどい!辛すぎ! そんなドリカムのしょうもない替え