【ショートショート】 夜のブランコと発泡酒
寝れない。寝る事ができない。時計の針はすでに深夜2時を過ぎている。
ベッドに潜り込んだものの眠れそうな気配がない。心臓の音が耳のすぐ近くまでやってきて、騒いでいる。
まるで自分の心臓が、自分に対して寝ることを咎めているようだ。カリカリと鉛筆の先を削るように、精神が痩せ細っていくのを感じる。
四十を超えて、無理も効かない体だ。いつ崩壊しても不思議ではない。
寝ることを断念した俺は、散歩がてら少し遠くのコンビニまで酒を買いに行くことにした。寝酒は良くないと聞くが、そもそも寝れないのだ。
寝巻きのまま、サンダルで外に出る。湿った秋の夜の匂いが、少しだけ気分を落ち着かせた。
気分転換のために、いつもと違うルートを歩く事にした。しばらく歩いていると、こじんまりとした公園を見つけた。
今時の公園にしては珍しく、遊具が立ち並んでいる。滑り台、ジャングルジム、ブランコ。酒を片手にブランコというのもたまには良いかもしれないな、と思っていると視界の端に人の気配をとらえた。
よくよく見てみると、それは女の子だった。5、6歳だろうか。赤いワンピースで、サンダルを履いている。ベンチで寂しくうなだれていて、顔がよく見えない。スポットライトのような街灯の光が、その表情の陰を際立たせていた。
心配になったが、今の世の中、こんなみすぼらしい格好をした中年の男が女児に声をかけようものなら、すぐに通報されてしまうだろう。なんとも度し難い世の中になったものである。
そうして俺は、きびすを返してコンビニへ向かうことにした。
腹のだらしなさが目立ってきたので、糖質オフの発泡酒を手にとる。もちろん無駄な足掻きだ。痩せたいのであれば運動をするべきだとは思うが、日々の疲れがそれを阻害する。その疲れをとるには運動が良いと聞くが......悪循環である。
ため息をつきながらレジに向かった。コンビニ店員の顔は能面のように表情が動かない。俺も同じように能面となって会計を済ませた。
そうして発泡酒を飲みながら帰路につくが、どうにも先ほどの女の子が気になる。足が自然と公園に向かっている事に俺は気づいた。
公園に着くと、女の子はまだ一人でベンチに座ってうなだれていた。
流石に心配だ。もういい。小さい反撃の狼煙をあげてやろう。通報されてたとしても、どうでも良い。
そうして俺はゆっくりと近づいて、声をかけた。
「大丈夫かい?」
「......」
「パパとママはどこだい?迷子かい?」
「......」
女児はなにも答えない。やはり四十代のおっさんが話しかけても怖いだけなのだろう。その反応で、ようやく俺は冷静になった。
そうだ、俺が110番すればいいだけの話だ。そう思いスマホに110と数字を入力したところで、突然、女児が顔を上げた。
「......家出したの」
その声を聞いた途端、全身が震え上がった。なぜなら、声が異様に低いのだ。とても5、6歳の声ではない。成人男性、いや、何か別の生き物の声のようだ。
逃げた方がいい。本能がそう言っていた。
しかし、逃げることができない。足がすくんでしまっている。少しでも気を抜いたら、その場に崩れ落ちてしまいそうだ。
その時、後ろから女性の声がした。
「カノンちゃん!」
俺の前を通り過ぎて、女児に抱きつく。
女児は異様に低い声で、
「ママ!」と叫んだ。
どうやら母親のようだ。
怪訝な表情でこちらに会釈をしてから、女児と共に二人はそそくさと立ち去っていった。
どうやら、あの女児はただ声が野太いだけの、本当に普通の子供だったようだ。失礼した、許せ女児。全てアルコールが悪いのだ。
そうして俺は残った発泡酒をグビリと飲み込み、家に帰る事にした。
帰宅後、洗面所でパンツを洗いながら、今日はよく眠れそうだなと思うのだった。