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映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』怖かったです、これ

『ミッドサマー』で知られるA24が史上最大の製作費を投入して撮られた映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を観てきた。

本作は「もし今、アメリカが分断し内戦が起こったら」という設定を描いた映画であり、舞台は当然アメリカだ。しかし、あるシーンが特にアジア系の視聴者に特級の恐怖を与えるものになっている。

なのでアジア人な私も、もれなくブルってしまった。

ということでそのシーンの事を書くので、以下ネタバレ注意
(なるべく、伏せるようにしてます)








その恐怖シーンは、主人公たちと赤いサングラスをかけた軍人とのやりとりだ。

このシーンまでのあらすじ

内戦なのにもかかわらず、ながらく取材に答えていないアメリカ大統領にインタビューを試みるため前線ちかくまで進む。
その道中、仲間の2人が正体不明の軍人たちに捕らえられてしまう。彼らは大量の死体を埋めている途中で、見るからに異常な雰囲気を醸し出していた。しかし主人公たちは対話を通じて仲間を救い出そうと試みる。

そして、その対話に応じたのは赤グラサンをかけた白人の軍人だった。

赤いグラサンをかけて、ライフルを構えているただならぬ雰囲気の軍人。彼はトリガーに指をかけたり、隠したり、銃口を向けたりする。ただの仕草に見えるほど、その動作は自然でよどみがない。だからこそ、一瞬でも気を抜くと殺されてしまう恐怖感が漂っている。

対話に参加している主人公達は、白人1人、南米系1人、アジア系1人だ。
そして捕まっている仲間は白人とアジア系の2人である。

そして対話の中、脈絡もなく捕まっているアジア系の仲間が撃ち殺される。このタイミングが秀逸で感心してしまった。対話が成り立っているようでいて、実際には全く成り立っていなかったことを強烈に植えつけるタイミングだった。

さらに、その軍人は「お前たちはどんな種類のアメリカ人だ?」と問いかける。

アジア系の仲間が「香港出身だ」と答えたその瞬間、彼も撃ち殺されてしまう。

このシーンを観て私は、考え込んでしまった。

このシーン、強烈すぎて人種差別という枠組み以上に、差別の本質まで考えしまうような威力を持っていたからだ。

差別の本質とはなんなのだろうか。

例えば、人種が差別対象にならないとしても、歴史をみれば国、宗教、経済的地位など差別の対象は多岐にわたる。

つまり何かしら区別がつけられる対象があれば、それは差別になりうるし、争いのもとにもなる。

もちろん区別が悪いわけでは無い。それはただの指標でしかない。

なぜそこから差別や争いに繋がってしまうのかという本質を考えなければ差別や争いはなくならない。このシーンはそれを考えさせる力がある。

おすすめです。



以下蛇足:
今、もし日本が分断したとする。そして、国という概念もなくなったとする。そうすると都道府県が残る。色々おきて、埼玉県が覇権を取るとする。そうして、そのまま全世界を制覇するとする。そうして、国も人種も思想も一つになったとする。しかし、それでも差別や争いはなくならないだろう。たぶん、さいたま市が分裂して大きな争いが起こる。だからこそ本質を考えなければならない。

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