名機は去る
いつの事だろう…
また1つ、自分の訪問した保存車が天国への鉄路に乗ってしまった。
福岡県、北九州市の若松市…若松駅前に保存されている9600形蒸気機関車、19633である。
この蒸気機関車が保存解体されてしまったのだ。どのような経緯があったのだろうか。そうした事は全く知らない。
しかし。昨今の現役車両の退役に倣うようにして。自分が撮影した保存車の天国への旅立ちは大きく切ないものだ…
逆側。この方面だと、この蒸気機関車の整備がどれだけ滞り。そしてどれだけの期間放置されてきたのかがよく分かるかと思う。
テンダーには本来空くはずのない穴まで開いてしまい、海が近いこの都市での問題である『塩害』が車両を深刻に蝕んでいた。
あまりにも愕然とした思い出である。
この状況で、一時は添田に移設するとの話もあったのだがこの添田行きの話も立ち消えになった。そこからの解体。あまりにも悲しい転落である。
若松というこの場所が、かつては列島全体を支え続けてきた炭鉱の都市として。世間に認知される1つとして、そして我が国の隆盛の一途を支えてきた象徴として継続保存を望んだのだが、それは叶わない願いだったようだ。
しかしもう。
ここまで来ていると武士の切腹に於ける介錯…ではないが、
早く殺してやった方がマシだったのだろうかとさえ思ってしまうのがどうも辛くやり切れない。
この蒸気機関車を救う方法は無かったのだろうか。
当時、交流のあった友人と共に訪問したのだが、あまりにもボロボロになってしまったその姿を見て、絶句してしまったのは思い出すところである。
この蒸気機関車、19633は丁度。
かつての若松機関区の跡地に保存されていた。
この機関区の周辺は、採掘された石炭を全国に送り届ける大事な場所で、九州の中の大事な石炭輸送拠点であった。
そうした中で、跡地はそっくりと団地や公園に変化してしまった中。ただ1つ残った蒸気機関車、19633は大事な炭鉱の時代を伝承する貴重な生き証人であっただろう。
その大事な存在の形状が失われたこの事態は、ただただショック…でもあったのだが、しかし内心の何処かで
「あぁ、もう遂に迎えが来たのだな」
という腹に括ったような思いにもさせられた。
しかし複雑な気持ちにさせられる。
この地にあった大規模な操車場は、蒸気機関車の旅立ちによって何もない場所…になろうとしている。
終わる前に、この蒸気機関車の歴を記して終了としよう。
9600形蒸気機関車・19633は大正6年の製造だ。活躍は少し後に始まる事になる。この周辺は空白になっている
昭和6年。中津川に配置される。昭和11年には稲沢へ。昭和14年には上諏訪へ。昭和15年まで在籍し、翌年の昭和16年には高山に異動した。
昭和17年、早くも高山を離れる。昭和19年。秋田県の大館へ。そして大館での活躍終了後に一気に南下してくる。
ここではじめて九州の地を踏む活躍を残したのだ。
昭和22年。熊本県の宮地へ。ここで昭和26年までの活躍を残した後に、現在の保存場所である『若松』に移ってきた。
昭和26年に現在の地である若松で最後の現役生活を暮らした19633。昭和47年には休車がかかり、昭和48年に廃車となった。
以降、この引退の地の活躍を功績とした若松での保存となり、現在まで。昭和〜平成〜令和まで生き延びた。
むしろ、ここまでその姿を維持できたのは今になって考えれば奇跡になるのだろうか。
全国を巻き込んだ、蒸気機関車への惜別と敬意によって生まれたSLブーム。
北海道の追分機関区で蒸気機関車が最後の構内入換に従事し、その周辺に派生したこの景気は全国に『保存蒸気』という新たなブランドを残し、地域の盛り上がりに一石を投じたのだがしかし。その裏ではこうした蒸気機関車の維持に手厚い時間を投資せねばならない問題を生み出した。
昨今は少子化問題などで、更に人口減少や蒸気機関車の維持と保存には大きな足枷を生み出している。
そうした環境の中、整備されずに朽ち果ててこの世を去ってしまう保存機は多い。
整備され、今後も地元のキャラクターとして、シンボルとして生存できるのはたった一握りの蒸気機関車だけなのである。
19633、あまりにも呆気ない最後であった。
そして、再会に関しては実現せず。添田での移転も期待したのだが叶う事もなかった。
写真は、若松機関区。若松駅の操車場で活躍した蒸気機関車…学校や会社で表現するところの『OB』のような存在の蒸気機関車たちの写真だ。
この中で、現在はどれだけの蒸気機関車がその姿を残し、現在まで手厚い維持を受けているのだろうか。
ただ、今思う事の1つは。
「あの時訪問しておいて良かった」
だけである。
訪問したのは令和3年の話になる。
思えばそこからは3年がもうすぐで経過しようとしている。早すぎないだろうか…
最後の記録として残ってしまったのがこの記録だ。
この時は横に友人も居たが、自分だけは
「また必ず綺麗になって再会しよう」
との思いを抱いていた。
それは幻となり、19633は天国へのレールに乗ってしまったのだった。
冬への足取りが1歩1歩続いてる時期の取り返せない記録の話であった。
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