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生きがいって必要なのか?

あなたの生きがいは、と尋ねられたとき、今までなら躊躇なく仕事と答えていた。起業して22年、毎日が忙しく、人生について深く考える暇などなかったけど、それでも充実していた。

でも今は、辛い努力を強いられるような仕事はしたくないと感じている。インタビューでも、SNS発信でも、BtoBの交渉も、昔ならブランドの認知を少しでもあげられるようにと努力したものだけれど、今はそうではない。

生きがいとは


生きがいとは感じるもので、無理矢理作るものではない。そんなことが書いてある本を読んだ。生きがいは、あればラッキーぐらいに思っている方がよいのだという。

高齢者の専門の病院の医師である著者は生きがいについてこう語る。歳をとって仕事や家族の責任から逃れて急に生きがいを失って、しゅん、としてしまう人がいる。そこでなんとか生きがいを探さなければと焦る。

けれども生きがいなんて、あってもいいしなくてもいい、と著者は言っている。生きがいを持たねばならないと焦るとかえってストレスになるし、生きがいと言うのは持とうとして持つようなものでは無いのだから。

和田秀樹さんの「80歳の壁 (幻冬舎新書)」

この本は、老年層にむけて書かれたものだけれど、若年層であっても通じると思う。

例えば優勝することを生きがいにしているアスリートが怪我をするとどうしていいのかわからなくなる。愛犬を生きがいにしている人はその愛犬が死ぬと、生きていく意欲が失われる。

そんな生きがいは、なんだかはかなく、悲しい。

生きる意味とは

生きがいを英語でいうと、"Life purpose"   「生きる目的」になるのだろうか。いやむしろ "Meaning of life" 「生きる意味」の方が近いだろう。

動物たちは生きる意味を持って生きているのではない。神様から与えられた命をただ全うするだけで、そこには意味などない。ただ、生きているのだ。子孫繁栄や生存のための努力はする。けれどそれは生物的にプログラムされているからであって、人生に意味を見出しているからではない。それでいて、いや、それだからこそ、その生き様は尊い。

人は生きたいように生きる


人はこうありたい、と思う方向におのずと向くものだ。それを私は人生をもって知った。

子供の頃から「常識的な」考え方に辟易してどこか遠くのもっと広い世界へ行きたいとずっと思っていた。

世の中には計り知れない力がある。それが自分に投影されるためには自分を解き放たなければならない。けれど自分を解き放てなければならないと思うことは自分をがんじがらめにする。

それならいっそ「ねばならない」という思いを捨てて、楽しいこと、嬉しいこと、きれいなものへと視点を移す。目的に向かってがむしゃらに行こうとするとそこにはいつも、「ねばならない」が入り込んでくる。

そうではなくて行きたい方向はなんとなくわかっているのだけれどそこに行くまでのプロセスを大切にするという考え方で、毎日毎日をどう生きるか考えていることの方が、結局のところ目的に近づきやすくなると言うことを、この年になって知った。

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