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技術者から教育者の道へ

 人生の中で、想像もしていなかったことが2つあります。1つはエンジニアとして生きること。そしてもう1つは、教育者の道を歩み始めようとしていることです。この2つが私の人生にどのように深く根付いていったのか、振り返ってみたいと思います。

1. エンジニアとしての始まり

 子どもの頃、理科が特別好きというわけではありませんでした。小学生のころ、父から宇宙や物理の話を聞かされていましたが、その当時はそれほど関心を持つこともなく、ただただ聞き流していました。しかし、その話を繰り返し聞くうちに、私の中で少しずつ理科に対する関心が芽生え、中学に入る頃には特に天文学に惹かれるようになりました。ここから私の天文学の学びが本格的に始まり、高校、そして大学と、その分野にのめり込んでいきました。

 大学3年生の時、I先生との出会いが人生のターニングポイントになりました。I先生のもとでなら自分が成長できる、そう直感的に感じ、迷わず先生の研究室に入りました。研究室では、天文台に設置する観測装置の開発が進められており、私は補償光学装置の開発チームに所属しました。開発経験は皆無でしたが、先輩方の助けを借りながら、ソフト設計、機械設計、光学設計に取り組んでいきました。最初は苦労の連続でしたが、次第に楽しさを見出すようになり、やがてこれを仕事にしたいと強く思うようになったのです。

 I先生の紹介で、天文台の望遠鏡メーカーに就職する機会を得、社会人としてのキャリアがスタートしました。その後もI先生のサポートを受けながら、天文台で補償光学装置の開発に携わることができました。開発の一区切りがついた後は、カメラ業界に移り、商品開発の道に進みました。天文台での研究開発とは異なり、商品開発ではエンドユーザーに直接評価を受けるという新たな経験を積むことができました。

 さらにキャリアを重ねる中で、カメラ市場の縮小をきっかけに分析機器業界に転職。ここでは開発のみならず、社内の設計請負や広報・営業など、幅広い業務に挑戦することになりました。特に広報活動の一環として子どもたち向けの科学授業やワークショップを行ううち、科学の魅力を次世代に伝えることの難しさと喜びを感じるようになったのです。

2. 教育者の道へ

 そうした経験を経て、次第に教育者としての道に関心を持つようになりました。ある時、国立天文台の知り合いから「若手の科学者が減っている」という話を聞き、心が動かされました。次世代の科学者やエンジニアを育てることの重要性を感じ、自分にできることは何かを考え始めたのです。これまで培ってきた科学の楽しさや知識を、次の世代に伝えることこそが私の役割ではないかと思うようになりました。

「ずっとエンジニアで生きていく」と思っていた私が、今では教育者としての道を志すようになりました。30代半ばにして初めて見えた新たな選択肢。想像もしていなかった未来が広がり、人生は何が起きるかわからないものだと、つくづく感じています。

 エンジニアから教育者への転身—それは一見異なる道のようでいて、実は一つの連続したストーリーの中にあるのかもしれません。これからも、科学の楽しさを伝え、未来のエンジニアや科学者の育成に貢献していきたいと考えています。

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