見出し画像

日本仏教VSアルチュセール!?(現代フランス思想旗手の一人としての)

皆さん、こんにちは。noteで夢日記をやっているヤシロと申します。

先日、「夢日記を習慣としていた意外な人物」として、現代フランス思想の旗手の一人、アルチュセールのことを紹介しました。

その後、私もこの人物に興味を持ち、

彼の思想(哲学)よりも、彼の伝記や人物評伝を読むようになり、

市田良彦氏の『ルイ・アルチュセール-行方不明者の哲学』を読みました。

以下は、本当に、なまなましい、私の感想です、受け付けない人には受け付けられないかもしれない。ただ、本当の、私の、なまの読後感として、

想像以上に、この人の実人生のぐちゃぐちゃさはひどくて、、、ついていけないと思った。

まずアルチュセールといえば、躁鬱病に苦しみながら哲学の研究を進め、しかし晩年には奥さんを絞殺してしまうショッキングな事件を起こしてキャリアを終えた人。

そういう意味では、悲劇的な人、、、と思っていたのですが、

よくよくこの人の伝記的事績を見てみると、

不倫&不倫&不倫&不倫、、、の末の、奥さんを衝動的に殺害(薬物の発作と思われるけどね)

と、まとめてしまえば、それまででありんす、、、

私なんぞが偉そうに言うことでもないけど、これだけ女性関係で火遊びをしていて、それでいて「人生は苦悩だらけだ」「男とは孤独だ」と悩まれてもねえ。

まあ、フランスの哲学者や文学者に、たまにこのタイプいるけど、

日本の片隅の、しかも日本仏教好きとしては、心から思ってしまうことだが、

「哲学を極める前に、坐禅でも習って、まずは性欲の煩悩を抑えるところからスタートしたほうが、本人の人生の帰結は有益だったのではなかろうか」とか、偉そうとはわかってても、どうしてもヒトコトいいたくなる…w。

だが、ひとつ、

このアルチュセールを見ていて、感心することがある。

不倫のディテールとか、夢の中で性○してしまったこととか、よくそんなことを全部、日記に残しておけるなあと…この異様なまでの「正直さ」は、確かにオドロキであり、このナマナマしい日記や遺稿の数々が最近出てきたことで、アルチュセール哲学の印象がどんどん変わっていることは確かだ。少なくとも本人は救いを求めて格闘しながら哲学者をやっていたんだなあと、、、。

だがしかし、繰り返しになるものの、

遠い東アジアの島国で、日本仏教などの影響で育った私から見ると、「奥さんを殺してしまうほどの破局になる前に、もうちょっとそのう、、、禅の心というか、華厳の心というか、『オレがオレが』ではない生命感というものを学ぶ機会があればよかったりしたのではなかろうかしら、むにゃむにゃ」とは、思ってしまう、、、うまく言葉にできんけど。

まあ、まとめてしまうと、やはり「フランス哲学」というもの、いかに彼らが「普遍性のある哲学」を目指していても、やはり細かいところで、「西洋のフランスという異文化から生まれたもので、感覚的についていけん部分がたまにあるなあ」というところ…もっともこれも、レヴィ=ストロースあたりを読んでいる時にはそう感じることは少ないので、やはりルイ・アルチュセールという人が特に強烈なキャラということなのかもしれませんが。

※そして、もともとが文学好きから哲学にシフトした私、こういう「キャラの強い」哲学者は嫌いではない…ただ、「西欧哲学が産んだモンスター」と言われがちなニーチェもキルケゴールもさすがに殺人事件は起こしていないw分、やはりアルチュセールに刻まれているスティグマの重さは桁が違うなあと…だが間違いなく、知れば知るほど、アルチュセールという人はおとなしい大学哲学教授ではなく、ガチで本人の実存自体が地獄の様相だった「哲学モンスター」の一人のようです。それが彼の哲学にどこか「迫力」を持たせている背景な様子。良し悪しはともかく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?