まんま今の少女マンガ⁈源氏物語の「玉鬘十帖」は、逆ハーレム型シンデレラ・ストーリー!
前回の記事で、源氏物語の22~31巻である「玉鬘十帖」は、本編のスピンオフなのだというお話をしました。今回はその内容を解説します。今の少女マンガによく似たそのストーリー、宣伝やファッション誌の要素も持つ多面性、そんな「玉鬘十帖」を書いた作者の動機などなどを、当時のラブ&結婚事情まじえてお話しします♪
この記事は、YouTube動画「砂崎良の平安チャンネル」の内容を、スクショとテキストでまとめたものです。動画で見たい方はYouTubeを、文で読みたい方は当記事をどうぞ。
前置き:前回のおさらい
「玉鬘十帖」は、10巻まとめて番外編
そもそも「玉鬘十帖(たまかずらじゅうじょう)」とは、いったい何か。
答えは「源氏物語の一部分」です。
全54巻のうち、22~31巻の10巻を「玉鬘十帖」と呼びます。玉鬘(たまかずら)という新キャラが登場し、ヒロインとして活躍するため、このように呼称されています。
そして「玉鬘十帖」、現在の巻順では22~31巻に当たる場所に配列されていますが、書かれた当初のリリース順は違ったと思われます。おそらく、本編に当たるメインストーリーが完結したあと、スピンオフとして追加された10冊です。
以上、前記事のおさらいでした。
それでは、本題に入りましょう。今日のお題は、「玉鬘十帖」の内容です。実は「玉鬘十帖」、驚くほど現代の少女マンガに似た筋書きなのです。「フツーの女の子」が思わぬ成り行きで姫君になり、イケメンに囲まれて豪邸で暮らし、最後は出世するというお話、一言でいって「逆ハーレム型シンデレラ・ストーリー」です。
本題:「玉鬘十帖」のあらすじ紹介
庶民派ヒロインが、突然セレブに⁈
22巻「玉鬘」の巻。ここでは、新キャラ「玉鬘(たまかずら)」が登場します。彼女は、異色のヒロイン。なんと「苦労人」で「庶民派」なのです。
源氏物語のこれまでの主要キャラは、(光源氏が追放中に出会った明石の人々以外は)、基本的に都の超セレブでした。…まぁそれは、タイトルが「源氏(元皇族)の物語」であることからして、【雲の上のおん方々を描きたい!】という作者の動機ゆえ、仕方ないのですが。
しかし新キャラ・玉鬘ちゃんは違います。実の父こそ高貴の人ですが、玉鬘ちゃん自身は「中流の下」あたりで育てられ、しかも九州へ下ってそこで成人しました。平安貴族は、都至上主義者です。ですから玉鬘ちゃんは、人生の出だしにおいて、大きなハンデを負わされたのです。「…レディになるのは、もうムリじゃ?」感が漂います。
玉鬘ちゃんは、さらなる不幸にも見舞われます。九州の地で、非常に乱暴な求婚に遭ったのです。逃げるように都へ帰ってきたのですが、住み着くよすがもなく、貧乏生活せざるを得ませんでした。
このように多難な前半生でしたが、玉鬘ちゃんは、まじめな努力家でした(童話の定跡を行くストーリーですね^^)。この時代の「まじめ」とは、「信心深い」ということです。寺社にお参りしたり精進したりして、救いを求め真摯にお祈りしていました。また玉鬘ちゃんは、お琴も一心に習いました。これは平安時代の貴族女性的には、「勉強熱心」ということです。
よい女の子ですねー。そういうよい子には、神仏がご褒美をくださるものです(玉鬘の物語には、石清水八幡宮の霊験譚という一面もあります)。
なんと、都一の権力者・光源氏が、養女に迎えてくれたのです!
イケメン養父・義弟が出来、大豪邸で暮らすことに♪
玉鬘ちゃんが住むことになったお屋敷の名は、「六条院」といいます。天下人となった光源氏が贅を尽くして建設した、内裏(皇居)なみに広大な豪邸です。
そして同居することとなった養父・光源氏は、玉鬘ちゃんと年の差14歳。数え年で、ですから今でいえば、12、3歳年上って感じですね。若すぎる、血のつながらないお父さんです。
さらに光源氏の息子・夕霧クン。お父さんそっくりの美少年が、「姉上」と慕い寄ってきます。
庶民派ヒロインが突然お姫さまになり、セレブの仲間入りを果たした訳です。
出会う男性みんなにモテモテ!玉鬘ちゃんの逆ハーレム
天下の六条院に迎えられたお年頃のお姫さま―玉鬘ちゃんはたちまち、貴公子たちのアイドルになります。とはいっても、平安時代の姫君なので、玉鬘ちゃんはお屋敷の奥にこもっていて、男性たちは噂聞いてワクワクしてるだけなのですが^^;
そして「我こそは!」と自負する殿方たちが、求婚者として名乗りを上げてきました。まず、蛍宮。血筋と育ちがバツグンによい、教養のある紳士です。次にワイルド系、髭黒。さらに柏木クン。実は柏木クンと玉鬘は、母親違いのきょうだいに当たります(玉鬘ちゃん、出生の秘密を隠しているのです)。なので玉鬘の方は「弟」と知っていて、愛おしく柏木クンを見てる訳ですが、何も知らない柏木クンの方は、いちずに求愛してくる訳ですね。
…なんか作者さん、「恋愛モノ」の全バリエをやる気まんまん、に見えますよね^^;
そして!このような求婚者たちに刺激されて、動き出すのが本命、光源氏です。「親子ではいられない気がする」的にアプローチしてきます。
ちょっと脱線:平安のラブ&結婚事情
イヤがるレディと絡むジェントルマン、これが鉄板。
現代の読者が「玉鬘十帖」を読んだら、光源氏がイヤがる玉鬘に、非常にねちっこく迫っていると感じることと思います。が、それは光源氏だけでなく、他の貴公子が玉鬘に言い寄る場面も同様です。さらにいえば源氏物語だけでなく、他の平安文学でも、
女性は恋に消極的で、そんな女性に男性は迫り、つきまとう
のが定石です。それが平安のラブシーンなのです。
これにはやや、時代的なものもありまして、同じ平安文学でも古い時代の作品だと、女性が恋に前向きなものも存在します。しかし平安も中期の、源氏物語が書かれた時代には、社会の秩序がすっかり安定し、上流貴族はより上流らしく、姫の教育・待遇の手厚さを競っていました。そのような空気の中では、「恋に興味を持つ≒異性と接点がある」ような令嬢は、「お育ちが悪い」と見えたようなのです。
したがって、平安文学のヒロイン・キャラは、恋/男には【超無関心】なのがテンプレです。(自分から恋をするのは、反面教師タイプの女性キャラです)。ヒロインは超がつく世間知らずで、殿方に接近された場合、
・いかにもイヤそうに、仕方なく相手をする
・クドキ文句には、ピシリと切り返して拒む
・侵入してきた殿方を見て、ただただ震える、または茫然自失する
のが一般的です。対する男性は、そんな女性に対し、
・恨む(私がこんなに深く想っているのに貴女は冷たいですね云々)
・からかう(恋のあはれが解らない朴念仁ですね、幼いですね等々)
・嘆く(貴女がつれないから私はもう死んでしまうetc.)
と、現代人視点ではすさまじくイヤらしく、セクハラチックに絡みます。
で、そんな無理強いのさなかにも、姫君がふと「あはれ」と感じることがあったりします。例えば、
「ワタクシ恋なぞ興味サラサラございませんけれど、それでもお気持ちの深さにはちょっと感動しましたわ」とか、
「筆跡や和歌、恋文の贈り方等があまりにみやびなので、少しジ~ンとしましたわ」
みたいな【感動】です。この「あはれ」が生じたら、ある種の両想いです(注:結婚に至るとは限りません)。こんな「恋のあはれ」に対しては、返事をちょこっとだけ書いてあげたりする、それが理想的な姫君です。
現代人だったら、ストーカーなんぞ相手にする価値皆無ですが、平安の京都は超ムラ社会です。全てのメンバーが血縁かご近所さん、生涯にわたりイヤでも付き合わなきゃならない(恨みを買いすぎると呪詛される^^;)世界です。なので、身分の高さや真心の深さ、文の見事さ等で、ある種の尊敬に値する相手には、【思いやり】を持てる女性こそが「思慮深い人」でした。そのようなレディは、仮に恋は成就せず終わったとしても、求婚者たちから、ひいては社会から敬愛・評価されたのです。
姫君とは、「結婚したい!」なぞとは思わぬもの
そして結婚に関しては、姫君の意志とは無縁で成立します。女性の親/乳母/侍女などが、「この殿方こそ夫にふさわしい」とジャッジし、段取りつけて成婚させる訳です。そして姫さまは一貫して、「私はオトコになぞ関心ゼロ!」という姿勢を堅持しつつ、「結ばれた以上、これが運命」と諦めて、嘆きながら現実を受け入れてゆきます。これが平安の結婚です。
再び本題:光源氏と玉鬘の「禁断の仲」
一線は越えないまま深まりゆく…
27巻「篝火(かがりび)」。この巻では、光源氏と玉鬘ちゃんの、いっそう深まった関係が描かれます。
光源氏は、玉鬘ちゃんにクラクラするものの無理強いしません。玉鬘ちゃんもそうと悟って、次第に光源氏に打ち解けていきます。
この「打ち解ける」、平安だと姫君が結婚「後」に、夫に見せる態度なんですね。つまり光源氏と玉鬘の間には、ある種の両想いが在る訳です。
しかし二人の関係は「禁断の恋」。それは、玉鬘の母親が昔、光源氏の恋人だった時期があるからです。母と娘、両方の女性と関係を持つことは、平安人にとって禁忌(タブー)でした。光源氏は、平安人視点では「よい子ちゃんキャラ」ですので、そのようなタブーは犯しません。つまり二人は、
一線越えないまま、心だけが近づいていく
んですね~。ハイ、平安人の大好物「恋のあはれ」です。
多彩なイケメンたちと!ラブシーンずくめの玉鬘ちゃん♪
一方玉鬘ちゃんは、他の男性たちともラブシーンを繰り広げます。…とはいっても、玉鬘ちゃんは淑女ですので、ひたすらイヤがっているだけです。なので現代人が期待するような、甘々場面ではないのですが、平安の女性たちはこういうシーンにワクワクドキドキしていたのでしょう。
まず25巻では蛍宮というジェントルマンと、蛍の光をともしびに、みやびな語らいの夜を過ごします。30巻では義弟の夕霧に、「実は血がつながっていなかったのですね」「姉じゃないと思うと平静ではいられません」的に告白されてしまいます。同じく30巻では、実の弟・柏木クンに「実は姉上だったとは…」「こんなにお慕いしてるのに」と嘆かれてしまいます。
最終巻では天皇と!玉鬘ちゃんの出世物語
そして31巻ではなんと、天皇にお目にかかり、これまた迫られてしまうのです!
天皇といえば、当時の身分制度の頂点。思い返してください。玉鬘ちゃん、登場したときには田舎育ちの貧乏少女、「もうレディには…」という境遇でした。それが六条院の水に磨かれて、
帝にまで求められる美女(かぐや姫ですね~)
に成長したのです。そのマイ・フェア・レディぶり、おわかりいたと思います。
「玉鬘十帖」の、逆ハーレム型シンデレラ・ストーリー性。…現代の少女マンガ、少女小説にも見られる人気ネタは、千年前にも在った訳です。
されど番外編―結論は既に決まっている
平安の物語の王道は、「主人公が男なら、天皇か大臣になる。女なら、后か大臣の妻になる」がハッピーエンドです。
話をここまで盛りあげてきた以上、作者さん、玉鬘ちゃんを后にしたかったことでしょう。しかし「玉鬘十帖」は、本編完結後に書かれた番外編(らしい)。天皇も皇太子も本編で、既に后が決定されています。つまりは売約済み、玉鬘ちゃんに「后の座」は空いていません。
「后がムリなら、これしかないよね」ということでしょうか。作者が設けたのは「太政大臣の妻の座」です。「太政大臣(だじょうだいじん)」とは、当時の一般男性が到達できる最高身分・大臣の、中でも一番上のポジション。要するに、「天皇」「皇太子」に次ぐハイスぺ男性です。
という訳で。「玉鬘十帖」終盤で、髭黒という男性(いずれ太政大臣になれる身分の人)がふいにクローズアップされ、玉鬘ちゃんを手に入れて、話はチャンチャンと終わってしまいます。
「太政大臣の妻の座」というゴールが先にあり、物語をそこに嵌め込んで、「力技でまとめてしまった」感がムンムンします。客観的にはよい結婚だし、子宝にもすぐポンポンと恵まれたし、「めでたしめでたしでしょ!」という雰囲気です。
まぁ結論が決まってるので、そうやってケリつけるしかありませんよね。
なおこの最終巻「真木柱」は、髭黒に長年連れ添ってきた奥さんや、彼女と髭黒との子供たちという、「玉鬘の結婚によって不幸となった人たち」が、妙にビターに描写される巻でもあります。
「玉鬘十帖」は全体的に、明るくきらびやかな話なので、ラストのこの陰鬱さは異色です。もしかしたら作者さん、人生に絶望する何かを体験したのかもしれません。このあと書かれた(と推定される)源氏物語「第2部」は、しょっぱなから憂愁に満ちた話なので、「作者の人生観がこの辺りで、ダークに転じた」可能性は、ありそうです。…千年も前の話なので、類推するしかありませんが。
「玉鬘十帖」は宣伝、情報誌、読者サービス!
さて、以上が「玉鬘十帖」のあらすじですが、現代の読者が原典を読んだ場合、このストーリーを把握するのに、かなり苦労することと思います。
「玉鬘十帖」と呼ばれ、玉鬘ちゃんがヒロインといわれる10巻。しかし現代人が予想するほど、玉鬘ちゃんが目立つ訳ではありません。むしろ、
・ご衣装の話
・お正月の華やかな祝われ方
・六条院の行事の豪勢さ
・レディ同士のみやびなご交際
そんな「脱線」的エピソードが、微に入り細をうがって描写されています。「玉鬘ちゃんのストーリーを、ぐいぐいと展開して読ませて!」という読者には、つかみにくく、また退屈だと思います。
「セレブのお宅拝見♪」番組であり、ファッション情報誌
しかし当時の読者には、こういう物語が望まれたのだと思われます。
平安時代には、ネットもテレビもありません。写真も無く、絵画は高価です。豪華な衣装、華やかなもの見たさのあまり、お祭りのパレードが大人気で、貴族から庶民まで都じゅうこぞって、見物に押しかけていた時代です。
つまり、貴族女性たちはこういう物語を読み、「何色に何色を重ねたご衣装…」等の文章から想像をふくらませて、超セレブの暮らしを「見た」気分を楽しんだのです。今に例えれば、「有名人のお宅拝見♪」番組、インスタのセレブアカウント、はたまた豪華ファッション誌という所でしょうか。「物語」には、そのようなニーズもあった訳です。
そして作者にとっては、「雇用された理由」でもありました。当時の貴族社会は、ある種「情報戦が主戦場」です。VIPが優れた女性を侍女として搔き集めたのは、彼女らが発する和歌・文・絵・噂話により、「わが家のすばらしさ」を発信するためでした。ですから「玉鬘十帖」のような話を書くことは、作者にとっては「仕事」だったのです。
プロパガンダ性があり、情報誌でもある物語。「玉鬘十帖」の多面性です。
懐かしのキャラの再登場
「玉鬘十帖」には、さらに別の一面もあります。それは、「読者の期待に応えた」ような要素です。
具体的には、「昔活躍したキャラ」がチラと再登場するのです。鼻の赤さと不器量さで有名な末摘花の姫君や、中流の女ながら光源氏を本気にさせた空蝉などです。本筋には関わらないキャラたちで、再登場する必然性はないのですが、再び脚光が当てられています。
そのような辺りに、作者の余裕というか、「サービス精神」のようなものがうかがえます。読者から口づてで寄せられた疑問・要望、「〇〇の女君はその後どうなったの?」「〇〇ちゃんをまた出して!」、そんな声に応えて書いたふうがあります。
作者自身も書きたかった(であろう)「玉鬘十帖」
上で、「書くことは、作者にとっては『仕事』だった」と述べました。が、それは「無理やり書かされた」という意ではありません。
「玉鬘十帖」は全編にわたり、「本編を終えて力抜けた作者が、なおも有り余る想像力・キャラへの愛を、余裕をもって表現した」感があります。
作者お気に入りのヒロイン・紫上の、最高に幸せなお正月を描いた「初音」巻、六条院という作者憧れの豪邸を、華麗に描写した「胡蝶」巻、毛色の異なるヒロイン・玉鬘に体現させた、あらゆるバリエのラブシーン、…
要するに「作者さん、楽しんでる!」雰囲気が満ち満ちています。
三方良し:主君、読者、作者がオールハッピー
玉鬘ちゃんメインの話と見た場合、脱線の多い「玉鬘十帖」。しかしそれは、「玉鬘十帖」に求められた、「主家の広報コンテンツ」性のためであり、読者もそれを期待したせいであり、また作者も楽しんだと思われます。
いわば、ご主君、読者、作者の「三方良し」だったといえるでしょうか。このあと源氏物語は第2部、第3部(宇治十帖)と、ドン暗路線をくだってゆくので、この明るさは「最後の光明」感があります。
まとめ:「玉鬘十帖」は平安の少女小説!
主の宣伝、作者の夢、読者の期待、全てを満たした番外編
「玉鬘十帖」とは源氏物語の、22~31巻に当たる10巻です。新キャラ・玉鬘がヒロインを張るスピンオフで、本編の完成後、挿入された感があります。
そして「玉鬘十帖」のあらすじは、
・逆ハーレム型シンデレラ・ストーリー
であり、そのほかにも
・主家の宣伝
・ファッション情報誌
・読者サービス
・作者が夢みる世界の具現化
など、多彩な性質を持つ内容です。
ご高覧まことにありがとうございました。次記事もご期待ください。
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