感情という仮面
わたしがここ数年トレーニングしていること、それは“感情と自分自身を混合しないこと”。感情に振り回されず、ニュートラルな自分でいられるように、日々心がけています。
そもそも“感情=自分自身ではない”、という概念を知ったときは目からウロコでした。30歳になる少し前、“自分の人生を生きる”と決めたわたしは、いわばまだ自分史5歳、まだまだ自分初心者。(今年で35歳になる平成元年生まれです。)
まずはジャッジせず自分の声を聴くところから始めましたが、自分の声を聴くことと、自分の感情に浸ることは、似て非なるものだなと感じました。
徐々に自分の声を聴くようにはなれていたものの、本当に大切なことは、自分の声を聴いた上で、その感情にとどまらず、本来の自分に立ち返ること。(これがなかなか難しい…。)最近ようやくそれが少しずつできるようになってきたと体感しています。
【わたしが自分と感情を区別するために実践していること】
■朝の瞑想
朝は可能な限り瞑想をして、今日の自分を確認します。瞑想に使う時間はまちまちですが、急いでいる朝も電車に乗っているときに簡単に行います。(わたしは基本的に各駅停車の電車しか乗らないので、時間は意外とある。)
ただ、まわりに人がいると不安になるので、できれば自宅など落ち着いた環境でするのが理想。
■ジャーナリング
ジャーナリングは中学生の時からずっと続いている習慣。今思えば、ジャーナリングの効果を知らない10代の頃から、書き出すことで安心感を感じていたのだな、と思います。
基本的にはノートに自分の感情や思考を書き出していますが、以前noteにも記載したように、わたしはmuuteというジャーナリングアプリも活用しています。
移動や不規則なスケジュールが多い仕事なので、いつでも持っているスマホを活用できるのはとてもありがたいです。
また、わたしが学生の頃は個人ホームページ(!)が流行っていた平成世代。非公開にして自分用として掲示板に気持ちを綴っていたわたしは、いつでも書き込めるというところもお気に入りのひとつです。
■夜の瞑想
夜はどれだけ無に立ち返られるか?という戦い(笑)色々な方と接することができる仕事は、様々な価値観に触れられる反面、わたしのように他人との境目が曖昧なタイプの方は、たった1日で自分がわからなくなってしまいがちだと思います。
さらに都会で働いていると色々な音や色に出会う上に、イレギュラーが多い環境でもあるので、かなりの確率で頭はパンク寸前になっています(笑)
まずは帰宅してメイクを落とし、そのままお風呂へダイブ。上がってきたら電気を最小にし、パロサントかキャンドルを炊いて、嗅覚に集中します。
わたしは疲労を感じる日ほど、思考がフル回転してなかなか集中できず(冴えてるので仕事は捗るんですけどね…。)、その状態が蓄積されると、日に日に自分が乖離していってしまいます。そして別人格の自分が出てきてしまうことがわかったので、なるべく早く自分に立ち返るようにしています。
しんどいとき、悲しいとき、辛いときは、どう足掻いてもその感情に飲まれそうになりますし、このまま自分は一生戻ってこれないんじゃないかというくらい不安で苦しいですが、それは自分のすべてではないということ。
そして、その中にですら、感謝や学びがあるのだということ。それを見つけられるようになったときには、どんな感情からも抜け出せているような気がします。
なにより、抜け出せる自分になれたのは、本当の自分自身に出会い、当時支えてくれた人たちがいたから。昔の自分が知ったら、どのように思うでしょうか。だってわたしはずっと、同じ世界を見て、同じ言葉を話す人と出会いたいと思っていたから。
あのときはそんなの夢のまた夢だと思っていましたが、美しい世界はずっとここにあったのだと、今感じています。
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