欲しがりなあなたへ
妻や夫からの愛情が欲しい、仕事に見合った給与が欲しい、自分にあった仕事が欲しい。
このように以前の私の脳内は欲しいもので溢れていた。
結婚生活では夫に子育てを手伝って欲しい、仕事では自分に見合った役割が欲しいと考え、そして常に自分は何も持っていないと思い込んでいた。
なぜ、与えられることを当たり前だと思い込んでいたのだろう。
とんだ勘違いババアだ。
「花を咲かせたければ、水を与えなくてはならない。」
そんな当たり前のルールを無視し、失念し、飢えていた。
なぜ自分が"先"に与えられると思っていたのだろうか。
夫や妻からの愛情、子育てや仕事への理解が欲しければ、まずは自分が相手に与えなければならない。
それでも「自分は夫や妻に愛情を与えているし、労っているのに相手からは何も与えられていない。」そう感じることもあるかもしれない。
しかし本当に夫や妻に、愛情や労いを与えられているのだろうか。
地球人には地球上の言語で語り掛けなければ意味が通じないように、その人ごとに効果的な与え方が存在するのだ。
言葉で示して欲しい人がいれば、物で示して欲しい人がいる。はたまたスキンシップで示して欲しい人もいるだろう。
愛のある言葉を求めている妻に、花を渡しても効果的ではないのだ。
「どうせ枯れるのに、勿体ない」そう返ってくることもあるかもしれない。
そしてそんな妻の姿の幻滅して関係がさらに悪化をしていく。
仕事においても、自分の希望を満たす前にその実力が自身に伴っているかどうかを考えなければならない。
さらには上司へのアピール方法は本当に適切であるのか?
自分の上司には、どのようなアピールが効果的なのかを考えなくてはならない。
間違った方法で相手に与え続けても、それでは相手に伝わるはずがない。仕舞いには「自分は与えたのに、相手からは返ってこない!」と憤り感じ、与えることを辞めてしまう。
相手に伝わっていなければ、与えていないも同然なのだ。返ってくるはずがない。
自分の価値観だけで判断し、相手に与えたつもりになってはいけない。
花を咲かせたければ、その花にとって適切な水量を適切なタイミングで与えなければならない。
その時間を怠るであれば、自分は何も受け取ることができないのだから。
っていう感じに自分への戒めで書いてみました。
反省しています。(苦笑)
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