体はこうやって「嫌だ」と教えてくれる
今日のノートは自分との対話と過去の整理です。
軽やかな体ではない私は、どんな私ですか?
暗い 重い 悲しい 嫌だ
食べたくもないのに食べ続けることで、軽やかじゃない体を手に入れてるよね。
体が重くなって、体調を崩してれば
頑張れない 頑張らなくていい
そして許されるから。
やりたくないことへ抵抗するために、自分を犠牲にしている。
だけど実はとても軽やかな体がほしくて、遊んだり、跳ねたり、猫とごろんとしたりしたかったのに、重い自分だとそれができないから。
また悲しくて 落ち込んで。
そもそも
やろうとしていることは、本当のところはやりたくないでしょ。
その順番が間違えたでしょ。
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五年前からか、私はお金への欠乏感を抱き始めた。
一所懸命お金を稼ごうと、様々なバイトをする。バイトで燃え尽きになって、ネットコンテンツにたどり着く。
ネットでコンテンツを作れば、そこでお金と時間の自由が入ってくるからと思って、しかしその先に行きたいところを既に見失っている状態。
それで 私がやったのは
まず自分を家に閉じ込めて
無理やり何かを作り出そうとする
作り出せないと、いろんなスキルを学ぼうとし、
焦って、自分の足りない部分ばっかり目を向けてしまう。
でも、そんな生活、そんなやり方自体は自分の価値観に合わない。
ずっと家にこもる、体 動かない、自然の中にいない、動物もいない、好きなことやっていない
好きなこと(栄養)で潤されていない心って
何が生み出されるんだろう
自然に沿うように生きていこうと説教ばかりに、実際自分は何もできていない。
外に出て、お花の写真を撮ったり、自然に関する知識を学んだり、動物図鑑に耽ったり、季節の食材を使って料理に楽しんだり、森や田舎暮らしの映画を見たり...
それらをやろうと衝動が湧いた時、すぐに悪い顔をして押さえつける頭がいる。
「おい。今はそんなことをやる時間じゃないでしょ。もっと他の大事なことをやらないと。早く動けよ!」
こんな風に、ここ数年間、私は自分が大好きなことを次々と理由をつけて押しつぶしてきた。
そのためどんどん生まれてくるストレスにまみれ、過食や買い物、いろんな教材や講座に申し込んでは途中でやめてしまうことに走ってしまった。
お金への欠乏感なんてじゃない。
やりたいことをやれない虚しさなんだ。
もちろん今から考えると、過去にやっていた全てが「正解」だと思うのね。
ちゃんとその時その時に必要な学びは得てきたから。
- Part 2 -
で、「自分を弱くする」「弱い自分を利用する」やり方、子供の頃のわたしにはさんざんやっていた。
学校で勉強するのを抵抗するために、一所懸命病気になりたかった。
病気になると辛いけど、勉強よりは楽。
むしろ病院に行くのが楽しかった。
学校の先生から、体が弱い子だからしょうがないよねって言われて、許されるのを期待していた。
だからお金を稼ぐことを優先に、自分のやりたいことを全て抑える生き方をしていると、当然破綻してしまう。実際、感覚が鈍ってきたのも事実。
こうして、実は許して欲しい。
「嫌なことをやるのもう勘弁してくれよ、好きなことやろうよ」と聞こえてきそうな気がして、
かわいくて悲しくて涙が湧いてきました。
- Part 3 -
わたしはこれまで自分に「誠実」ではなかったです。
でもね、一周回って、やっぱり帰ってきてよかったと思います。
自分の過去がどれくらい遠回しにしたとしても、
全てを「正解」だと認めてあげれば、過去から宝を受け取ることができます。
自分に「ありがとう。ごめんね。」と言いました。
今から、枯れた心に、水やりをする。
もう怖くないよ、私は自分をちゃんと育てて、守っていくんだから。
今日も最後までお読みいただいて
ありがとうございます。
貴方もご自分と繋がる日々を生きられるよう
お祈りしています。
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