長崎異聞 15
岬醍醐は、女心は分からぬ。
けだし殺気に鈍感ではない。
そして相手の格も量り得る。
天然理心流では、相撃ち覚悟の技ばかりが居並ぶ。命を繋ぐのは鍛錬の集積あるのみである。つまり相手の実力を推し量れない未熟者は、命を散らす末路だ。
彼は女を抱き締めた。
あ、と彼女が甘く吐息をこぼした。
その色香の匂う耳元に口を寄せた。
「居るんだな」
あ、と背に回された手に力がこもる。その指先で応と答えている。
「其処もとは幾らだ。買うぞ」
女はそれまでとは違う力で醍醐を押しのけて、「高いよ、うちは」と真顔になった。
「公務である。奉行が賄う」
後方に被りを振って、義顕と吾郎左に奉行所に報告に参れ、と命じた。
何のことはない。この場を引かせる口実である。
「ではいかほどか?」
「いつもは六圓ばってん、お侍さんには片手でよかよ。公務なんやろ?」とお転婆な笑みを見せた。それで鯉口を掴んでいた右手を初めて離し、醍醐の鼻先に掌を拡げてみせた。
醍醐はぐっとその言葉を嚙み締めた。
彼の給金の大半が飛んでしまう額だ。
無論、奉行が代償する謂れなどない。
湯が張られている。
奥の間に通されると、幾つもの布が垂らされた四角の区画が並んでいる。遠くの灯篭の明かりが見えるそこでは、只ならぬ嬌声が上がっている。
彼は、そんな声を知らぬ。
さかりのついた猫の声だ。
湯桶は横型で只ならぬ長さである。
しかも足元で薪をくべて沸かしたものではない。恐らくは小者が桶でお湯を運び、その湯桶を満たしたものであろう。
「さっさ、湯浴みをなさい」と背後に女が立って急かした。
そういいながら上衣を捲って、さっさと全裸になった。小ぶりながらツンと尖った乳首が揺れている。手には海綿を取っているようだった。
「何してんの、時間がもったいなか」
いや、と醍醐は言いあぐねている。
「実はな・・」と彼女の裸身から眼を泳がせている。
無論、女の裸を初めて見たわけではない。江戸でも湯屋があり混浴の場所もまだいくつかはあった。しかしながら妙齢の女性に出会ったことはついぞない。
「わあってる。金がないんやろ。ご公儀がみてくれんのやろ」
「・・済まぬ」
「でしょうね。それでもうちは親方に二圓半は支払わんといかん。よかったわ、あれで五圓にしておいて」
「誠に済まぬ」
「まあこれは出世払いよ。わかる?」
さあさあと勝手に湯桶に入って手招きしてくる。
「其処もと、だから無用というに」
「あのひとらを逃がす手筈だったんやろ。ばってんここでうちと済ましておかんと、疑われる。うちがね。後生や。抱いてたも」
醍醐は袴の紐を解こうとするが、指が震えている。
「あらまあ、可愛らしい」
「其処もと!」
「李桃杏よ」
「拙者は橘醍醐と申す」
彼女は水滴をつけたまま湯桶から這い出してきて、彼の帯を解いた。その頬を自身の刀が打った。脈打っていた。
まあと、弾かれて嬉しそうに李桃杏は声をあげた。
「じゃあ、お姉さんに任して。そっと入りんしゃい」
醍醐は最後まで逡巡し、同田貫を手放そうとはしない。
「そっちよりも今は別の一刀をお考えなさい」
とはいえ先刻の殺気、それを知りながら無防備になるのは、彼の道理には合わぬ。まっこと彼は、女心は分からぬ。