風花の舞姫 小太刀 2
カーナビが指示をした。
積雪が例年よりも多い。昨夜からの雪が固まっていて、市街地の走行は朝からは難儀をした。
午後になって気温が上がるので、またシャーベット状に溶けている。県外の車が増える時期は小さな接触事故が絶えない。スタッドレスを履いても、繊細な操作感はすぐに身につくものではない。
こんな土地柄であるので、軽のジムニーが一番いい。
ナビの指示に従って右折して、その山が見えてきた。
皆神山へ下見に出ていた。
助手席にはゼミ生の北川史華、後部座席に指方多英がいた。どちらも1年生なので正式なゼミ生でもなく聴講生の扱いで、今年は単位を上げられない。
しかしながらゼミ生を獲得していないと、来年のクラスが危ういので、この2人の生徒は大事にしている。
北川史華は羽衣を持っている。
羽衣に関してはここでは語れない。
彼女は昨年末の事件で、途方もなく哀しい思いをしている。
そして僕は敗北を喫した。しかも肉体的に優位であるにも関わらずに、敗北した。むしろ清々しい気分だった。精神と身体を鍛え直すにはいい機会と考えた。
変貌したのは史華の方である。
まだ10代であるのに、気圧されるような緊張感を漂わせるようになった。ただ同級生の姿がある時は、かつて知る無邪気な大学生のままでほっとした。
観光施設でもある皆神山は、そのまま頂上の神社まで車で普通に登れる。何の変哲もない場所だ。
まず中腹にある岩戸神社に向かう。
雪の積もった灌木の中に一条の細い階段がある。それにもこんもりと雪は乗って足を取られる恐れもあるので、踏み固めて登ろうと思った。生徒にもそんな靴でくるように予め話してある。
「・・岩戸神社。天岩戸伝説ですか?」
「そうだな、それは高千穂での伝説だな。ここは山中に古墳の羨道口のようなのがあって、その外観から名付けられたと思う」
天岩戸伝説は、天孫降臨と関わりがある。
それは神代の頃、天空に高天原という世界があった。
太陽神であり皇祖でもある天照大神を始め、そこは多くの神々が暮らしていた。天照大神の弟神である須佐之男神が余りにも乱暴狼藉を働くので、お怒りになった彼女は天岩戸という洞窟に御籠りになる。
俄に天空に太陽は消え、漆黒の闇と成り果て植物は育たず、動物は恐れ慄き悲嘆に暮れたという。困り果てた八百萬の神々の相談の上で、天岩戸の前で様々な方策がとられる。
まずは夜明けの象徴である長鳴鳥を鳴かせてみても、御籠りになったままで闇は崩せない。次に天細女命が木の枝を持ち、衣服をはだけながら舞を執り行い、殊更に愉快に周りの神々が囃し立ててみる。
高天原は闇夜で困窮しているはずなのにと、不審に思った天照大神がそっと覗いてみる。すると騒いでいる神々のひとりが「貴女さまより美しい女神様が降臨なされました」と答える。
女神の妬心をついたのだろう、一歩踏み出した天照大神に「直ちにそちらの女神様をご紹介します」と鏡を差し出す。
自分の容貌を知らない天照大神が、鏡に映る自分に見惚れている隙に、剛力の手力男命が岩戸を開け広げて、神々は太陽を取り戻したという神話だ。
「私はね、この神話だけど皆既日食の暗喩と考えている」
「鋭いで、す、ね」と息を弾ませながら、すぐ後ろを歩く指方がいう。
暫く階段を登ると岩石を組み合わせた岩戸が現れる。その構造は古墳遺跡の羨道口との相似性がある。そして玄室と思しき石室に外界の光を明らかに弾くものがある。
「・・・鏡・・」と史華が低く呟いた。
神体が鏡であることは珍しくない。天岩戸伝説でも最後は鏡が出てくるし、そもそも鏡が如何に貴重な宝物であったかを知らしめる伝説だろう。しかしながら北川史華が、鏡に反応するのは痛いほどわかる。
腰を屈めて石室に入ってみる。
奥の祭壇に鏡が鎮座し、その前に供物を捧げた三宝が立つ。
左手の前室にはお神札が並んでいる。
作法通りの参拝をして屋外に出た。
タブレットを取り出して、資料写真を二人に見せる。
「これがね、最近この山で発掘されたんだ。一体何に見える」
「ゴジラとか、恐竜ですね。これ勾玉なんですよね」
「そう勾玉の中でも、子持勾玉といわれてる特殊なやつだ。この山以外にも、そうだな。山を降りて正面の横田遺跡群からもこの手の勾玉が出土している」
「爬虫類というか、両生類にも見えますね」
「背鰭のようなものもあるし、またゴツゴツとついた突起は鱗の痕跡表現かもしれない。しかし腹に抱えているのは卵かもしれないし・・・実は私はね。勾玉の存在自体が胎児を表していると思っている」
「・・両生類だったら、大山椒魚、半裂きという考え方もあります」
やはり史華は魍魎から意識を外せないようだ。
「その半裂きとも呼ばれる大山椒魚だけど、生命力が強くて。半分に裂かれても復活するとも言われているな。実はこの山の山頂に底なし沼と呼ばれる水溜りがある。実はそこが黒山椒魚の産卵場所なんだ。本来なら清流に棲む両生類が、なぜという話でもある」
史華の瞳に妖しい焔のような光が宿っていた。
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