おフランスでは負けてからが勝負ざんす 2 #青ブラ文学部
悪魔、と呼ばれた男はふたり居まして。
欧州で歴史的にそう憎まれてきました。
第二次世界大戦後の現在ではヒトラーであり、ドイツでは彼の名前に全責任を負わせて今も鞭打っているのです。
彼以前においては、永らくナポレオンがその汚名を被ってきました。
ナポレオン・ボナパルトは不生出の傑物でして。
彼の略歴を書き連ねると、期せずして長編になってしまうので割愛します。
ワーテルローの戦いで皇帝は大敗北を喫します。
皇帝ナポレオンは、欧州統一の一歩手前でした。
彼が御者を左に置くと決めたので、それに反発して英国🇬🇧が右に御者を置いたのです。それで世界基準は今でも左ハンドルであり、英国勢力圏のみが右ハンドルです。日本においては、日英同盟時に道路インフラ整備が本格化したので、英国に倣いました。
さてさて欧州を戦乱の渦に追い込んだ、フランス🇫🇷革命。
実は圧倒的に敗戦国でもあります。しかしながらフランス🇫🇷の粘り腰はここからが本領発揮です。
外交官としてまた傑物であるタレーランは、「この局面に外交官は不要である。腕のいいシェフと美しく男を悦ばせる女たちが必要だ」と。
彼のお抱えシェフ🧑🍳である、アントナン・カレームを筆頭に、シェフと美娼たちを集めました。
ウィーン会議。
いわゆる「会議は踊る」で有名な会議です。
各国の外交官は、連日の美食を愉しみ娼婦たちの肉体を悦しみ、本来の目的であるフランスの糾弾という目的を忘れます。
むしろ1日でも長く、この怠惰な日々が続いて欲しいと希求します。
結果的にフランス共和国は、植民地を全て失いましたが、王国時代の領土を一寸たりとも割譲することはありませんでして。
これが敗戦国であるのに、勝者を振り回して、利を得るフランス共和国の勝負ごとなんです。
アントナン・カレーム。
シェフの帝王かつ帝王のシェフ、と呼ばれた男。
このアントナンという名前は、実はアントワネットに因んでいます。フランス革命時には彼は捨て子であり、シェフに拾われてレストランで下働きを始めます。
フランス革命は、多くの貴族をギロチン台に送り、暴徒がその家の女たちを犯して屈従させては娼館に送り、財産は収奪するということが日常でした。そんな貴族お付きのシェフが職場を失い、オーナーシェフとしてレストラン🍽️を開業していたのです。
そしてこのアントナン・カレームがフランス料理を体系化し、かつデザート🍰においても大家となったのです。
シェフの帽子を定めたのも彼で、砂糖やペイストリーなどの食材で、建築物のように堅牢無比なピエスモンテで名声を博したのも、彼です。
そうかつてのウエディングケーキのような、食べられないケーキの始祖でもあります。