伏見の鬼 20 最終話
水揚げの夜、花火は煌びやかな花魁衣装を纏っていた。
京懐石が卓上に並び、女楼主までが舞を披露していた。
それでも床に入る際に帯を解き、花魁衣装は御付きの禿が畳み置くのに変わりはない。全ては空事を虚栄で糊塗しているかに思われる。
総司は花火を掻き抱いて耳元で囁いた。
「其処元、近隣に身寄りの血筋にあたるものがおらぬのか」
「・・・兄らしき方で居るようでがんす。実は顔見世のころに、部屋揚げ頂いたことがあるでごんす」
総司は身を起こした。
「・・仕方ないでごんす。あちきは所詮、苦界の花であり、こなした床数だけで、おまんまの盛りが変わるのでごんす」
昨秋の暮れ、弥助は五条色街の大門を潜った。
博打で大勝したので、足は生駒屋へ向かった。
陽が落ちかけており、張り見世には新造にも至らない若い娼妓が、嬌声をあげて呼び込みをしている。懸命に鳴く燕の雛をみる思いだった。
そして張り見世に座した、若気の娼妓に引き付けられた。
若衆に小銭を握らせて、その娼妓を呼んだ。引付座敷から奥手に入る北広間に通された。昼でも階下は薄暗く黴の匂いがする安部屋だ。
張り見世の娼妓は、芸達者にはまだ至らない。
女としての床芸だけがその見せ場となる。それ故に、すでに襟元が緩んでいたが、その肌には高価な白粉などはのっていない。
「あんさん、ここは初めてがん・・どすえ」
訛りを言い換えたが、音律に郷里の響きがあった。
その襟元に弥助はあるものを見出した。
秩がお京を背負い、壬生屯所に現れた。
総司は袂に、小太鼓の玩具を入れている。殆どの金は花火の水揚げと、路銀に渡してしまった。その残りの小銭で求めたものだ。
お京を覗くと母の背に顔をつけて寝入っている。
総司が躊躇っていると小声で秩が言った。
「あれはよい祝言でございましたね」
ああ、と頷いた。
かの二人をこの壬生屯所にて、夫婦とはしたが。
互いに相手が兄であり、妹だとと判っていよう。
総司の胸元にさえその一時の過ちを秘して、享楽の巷より関東に落してやれば、いずれ元通りになるやもしれぬ。
兄は妹の肩口に、火箸の先端で火傷傷を残した。
いつの日か、もし妹と出逢えた際の目印とした。
妹もそれを許容した。しかるに出逢うた場所が宜しくない。
新選組の隊士が、伏見の鬼を騙っていた浪士を成敗した。
しかも浪士は人質を取ったという。
やいやい聞けや、その人質となった鳶職人な、懸想していた新造が五条色街にいてな。乏しい給金から、懸想した新造に、紅と白粉を渡してたそうな。
で、その鬼はどうなった。
何となあ、新選組隊士が見事に斬ったというぞ。
何と頼もしい侍ぞ。
まだまだあるぞ、昨今稀にきく佳い話。
でなその隊士が身銭を切って、色街から新造を水揚げしてやってな。祝言までもあげてやったという。
何と見事な。何と至誠に満ちた侍であろうか。
いやこれは耳にするのも重畳、重畳。
その夫婦は何処にか居らむ、一目見たいものよ。
巷の風雪の出処は知らぬ。
ただそれを利用しない歳三兄ぃではない。
今や新選組と名を検め、会津藩松平容保公の膝下で京の警固を担っている。その名は天を往く竜が如く、京の誰もが耳目に置かない日はない。
皐月はとうに過ぎ去った。
花火と弥助はもう郷里の秩父に到着したであろうか。そのまま夫婦として暮らすのであろうか。或いは兄妹の縁に戻れるのだろうか。
じりじりと日差しを背後に浴びて、総司は彼方を眺めている。
秩がその袂を意を決して触った。
「いけずやわぁ」と朗らかに笑う。
「いけずではないわ」と総司は小太鼓を取り出して、摘まんで回してぽぽんと鳴らせた。
※注 新造:新米の娼妓 禿:娼妓の世話をする12歳までの少女