優等生ものがたり5. 「全ては、自分を信じるために」
全てのできごとは、自分を信じるためにあったと、今ならわかります。
これの続きです。↓
あれから私は、実家に帰り、いろいろな試みをしてみました。
note での発信をはじめたり、
毛嫌いしつつも「ちょっぴりやりたい」とずっと思っていた、インスタ発信をしてみたり。
小物を作って売ってみたり、イベントをしてみたり、セッションをしてみたり。
うまくいかないことも多かったけれど、それでも、それはそれは楽しかったです。
あ、Youtubeもこの時に、一度はじめているのか。(もう消してしまったけどね)
————誰の声でもない。
私の真実は、私にしかわからない。
丁寧に心を読みとって、
心の奥の奥まで、自分と共鳴する。
深くで感じている違和感や、不安。やってみたいこと、安心感なんかを
全て包んで、やさしく受けとめる。
もう、自分自身に対して、嘘をつく必要がない。
本当の不安も、本当の幸せも、満たされた思いも、ささいな違和感も
全て隠さずにそのままで、受けとめてあげる————。
それができるようになった時、
私はようやく、私になれた気がしました。
実家に帰って、家族と過ごす日々に、
涙を流すほどの温かさや幸せや、満たされた思いいっぱいで生きていました。
それを知ったのも、この時です。
ただ、こりない私は、また失敗を繰り返して、
別のベンチャーで働いたり、やりたくもない副業に手を出して、
心身停止になることも、ありましたが。(笑)
ずいぶん、自分の言葉で、何かを語れるようになりました。
こうして文字で、つづれるようになりました。
不安もあるけれど、あいかわらずビビって、落ちこむことも多いけれど、
私は「わたしの心の掴み方」を手に入れました。
じっくりと耳をすませて
心の声をきく大切さを、そのやり方を
たくさんの傷や失敗を負いながら、培ってきました。
それを少しでも
誰かのどこかで、同じ思いをしている人に届けられたらと思い
こうして言葉にしている次第です。
親の愛、むじょうけんの愛、
本当は愛されていたということ。
本当は、周りの人も、やさしかったということ。
自分は自分に、やさしく寄り添ってあげていいんだということ。
もう、自分を認めて、ゆるしてあげていいんだということ。
私は、幸せになっていいんだということ。
私はずっと、幸せとともに、生きていたんだということ————。
この7〜8年、もしくは10年以上のときを経て
私が追い求めてきた、「心」や「人生」というものの真髄は、
たくさんのことを、私に教えてくれました。
これほどの価値がある学びは、そうそうないと思っています。
優等生だと思っていた私は、
ほんとうは楽をして幸せになりたい、愛されてぬくぬくと生きたい、ぼんくらだったけれど。
私は、それで満足です。
かつてないほど、自分をあいして、愛されていると実感しながら、日々を送れています。
これまでの日々で私が得た、1番の学びは
私は私の道を、完璧なタイミングで歩いていて、私のすべきことは
私の内側の感覚を、丁寧に見つめて
心がほんとうに感じることに
全身をとぎ澄まし、
いっぽ一歩、着実に、みちびかれる方へと
歩みを進めていけばいいんだな。
と分かりました。
長い長い、ジャーニーで分かったことは、
心を大切にし、ほんとうの感覚を見つめる大切さ、自分を信じる大切さです。
うまくいかない時はいつも、
本音をしっかりと掴めていない時か、自分の感覚を信じられていない時でした。
…
ここまで長くかかった物語を、最後まで読んでくれてありがとうございます。
全ての方にタイミングがあって、私なりに感じた感覚やことばの中から、響くことがあれば、採用していただけたら幸いです。
自分らしく生きる。なんて思わずに
ただ自分を生きている。という感覚になれた私のストーリーを、ここまで書いてみました。
私はいつも、「心を大切に」「本音をつかもう」みたいなメッセージを発信していて
これからも、それは変わらないと思うのですが
そこに至るまでの、ルーツになったことを、書き記してみました。
本音をつかむ、それをあと押しするための試みも、行い始めている最中です。
これからも、いろんな角度から
あなたが自分らしく、心豊かに、幸せな人生を歩んでいけるよう
メッセージを届けられたら幸いです。
それでは、ぜひまたお会いしましょう。☺︎
優等生ものがたり。完